ちょっと、大連まで
若い頃、建設業の改革を叫んで「青年部」を創った役員も2人が他界し、「五葉会」は3人になってしまった。血気にはやって激論を戦わした若い時の仲間は、何を話さなくても近くにいるだけで心が和む。
2人は建設業界の最高幹部になったが、忙しい中を、時折一緒に度に出ることにしている。
今年は大連を選んだ。理由は別に無い。
職業的には大連ソフトパークを考えたが、旅順を見たくなった。以前何度か大連を訪れているが、許可が得られず諦めていた。
二〇三高地に上り、旅順港を遠望できた。
ロシア太平洋艦隊を封じ込めるために港口近くに沈めた民間船は22隻に及ぶ。国の興亡を賭けた日露戦争の悲壮と心意気が伝わってくる。
沈んだ船の中に「米山丸」、「弥彦丸」、「小樽丸」等の船名見える。
柏崎に縁の深い小樽板谷商船隊だ。
「坂之上の雲」
民族が一つの夢を追いかけた、そんな時代を想う。
野焼き
俺は、それは無いと思っている。そんなことを信じたら、生きることは楽でもないものになってしまう。人間は死ぬことが出来る、それはとても幸せなことだと思う。
なんか、最近同じようなことを書いている、な。
鯖石川の堤防の野焼きが始まって、ホントの春が来る。
コミュニティ・グランドの桜も膨らみ、ボンボリに灯の入るのも間近だろう。
待ち焦がれた春は嬉しくもあり、両親祖父母の命日が皆この時期に集中しているので、もう60年近くにもなるのに、未だに心が沈む季節でもある。
今のところ自分の死には何にも気にならないが、人の事は何故か切なさを感じる。
頑張ばらにゃならん事情と、衰えた気力のはざ間で欝になりかけている。
魅力的な女性の色気に、時折失神しそうになりながらも理性を失わないでいる自分の知性 (痴性?) にストレスが溜まっている。
なんのこっちゃ !