点滴と毒キノコ
相変わらず咳が止まらず、咳込みが始まると目の前が真っ白になり意識が遠のいてゆく・・・なかなか得がたい経験だ。医者に診て貰ったら「そのうち治るでしょう」みたいな、顧客満足度ゼロの診察で、それに付き合うことにした。
しかしまぁ、咳込みって疲れるねー、会社で壁にもたれて咳き込んでいるとホントに急に年を感じる
今日も4歳年上の人を見送ってきた。医者で、幅広い活動と多趣味な人で柏崎文化人の典型みたいな人。段々友達が少なくなってゆく。寂しい限りだが・・・これも全て運命。
彼の話の中で、友人と点滴を打ちながら毒キノコを食っていた話は絶品だった。次第に自分がおかしくなって行くのがわかるのだそうだ。一度その仲間になってみたかった。
「愛」というもの
昨日は新潟県異業種交流センター中越支部主催のシンポジューム「震災を乗り越えて 中越の未来予想図 10年後をどうするか」が開かれ、元新潟県知事平山征夫さんの基調演説の後、知事と西川副会頭、そして俺、震災復興計画策定委員会副委員長の立場でパネルディスカッションに入った。
主題は地震後の原発に堂取り組むか、ということに尽きるが、詳細はともかく結構ホットないい議論だったと自我自賛している。
シンポは議論を巻き起こす場所で結論を導き出すところではない。コーディネーターが悪いと各パネラーが好きなことを喋って、欲求不満の塊みたいになって壇上を去るのだが、今回は今後の議論の方向付けが出来たのではないかと思っている。その意味で、いい会に参加させて貰ってありがたかった。
「愛」とは何か
あるがままの、そのすべてを受け入れ、愛しむこと。
その地域に対しても、人に対しても。
絶望の先に未来がある。
最近咳き込みが酷くて、一時的に酸欠状態をおこすのか目の前がぼやけ現実感を失う。車を運転している時は切ない。車列がある時はおぼろげな前の車の後を追えばいいのだが、大きな咳が曲り角の時は悲惨、先の見えぬままハンドルを必死に切るのだが、今日は間に合わず交通標識に激突、左のフロント部分を小破してしまった。ショック。
どうもこの車は相性が読まないようだ。小規模ながら短期間に4,5回修理に出している。祟りがあるのかな?
20年の疲れがほとぼり出したように噴出している。まだもう少し死ぬことはないだろうが・・・。自分なりの生き方が出来なくなり「自死」を選ぶ人も増えてきているが、それもどうかと思うし、もう少ししぶとくてもいいのだろう。
梅雨の休日
季節外れの風邪に襲われ、肺癌を併発したような咳が止まらない。健康管理に人一倍木を使っている妻も理なのに、気まぐれな体調に振り回されている。参ったね。
九州、関東は大雨なのに柏崎は付き合い程度の梅雨。ナンテす黄な粉といっていると「そんじゃぁ・・・」なんてもっと気まぐれな天が集中豪雨を降らせる。クワバラクワバラ、触らぬ神にたたりなし・・だ。
中越沖地震からもう直ぐ1年。折りたたむように岩手・宮城内陸地震が起き、原発関係を見守る立場からは背筋が凍るほどの危機感を抱いている。
柏崎原発が再開のめどが立っていない時期に、もし仮に、岩手・宮城内陸地震がもう少し南、福島で起きていたら東京はどうなっていたのか。リスクマネジメントの立場から言えば「2拠点主義」は正しい。まさか離れた2点間に同時にリスクは生じないだろう、と思うからだけれど、重大案件では有効なもう一つのバックアップ・システムが必要なのかも知れない。
咳が止まらなくて、雨の休日を別途の中で過した。晴天が続いた為に草木が喜んでいる声が聞こえるようだ。気が向いたときに水撒きはするが、それも全てではない。木々や草達が不公平をなじっているけれど、世の中なんて不公平で不平等なんだと説明にもならない「答弁」をしている。
堤未果の岩波新書「貧困大国アメリカ」がいい。本来国は、税を納める国民への対価・サービスとして国民の生命と財産を守り、全ての人への義務教育を規定している。(25条、26条)。効率化の名分の下にその全てが民営化になり、当然の帰結として格差社会が生まれ、軍が貧困社会にリクルートに来る・・・中産階級も競争に敗れてやがてイラクに送り込まれていく。
日本の未来への警告書ではないのかな。