団塊の世代に贈るエール
友人から「Club Willbe」の入会案内と主宰者残間里江子の「引退モードの再生学」(新潮文庫)を頂いた。なかなかいい本だ。団塊の世代の分析と、彼らに贈る同世代からのエール。
正確に言えば1947−49年に生まれた人を指すので、俺は団塊の世代ではない。団塊とは鉱業用語で「堆積岩中に周囲と成分の異なる物質が丸みを持った塊となっている状態」だそうで、堺屋太一の造語だと思っていたがチャンとした専門用語であるらしい。
と言われて「ハハーン」と思った。我が女房殿、1947年生まれ、折り紙付の団塊の世代。彼女の同級生がやたら群れるのだ。自分だけが特殊なのではあるまいが、我ら戦中派は言えば独立自尊、ハグレ者が多いように思う。俺は小中学校、高校、大学と基本的に同級会同窓会の類は出席しない。スネに傷を持つ身の、世間を狭くしている者特有の「背中」なのかも知れないのだが・・・。
白洲次郎ほどの能力も自信も格好つける背骨もないが、ハグレ者ならハグレ者らしく、もう少し筋を通してもいいのかな、と思うことがある。平均寿命までまだ少し時間はあるが残された時間がそんなに多いわけではない。崖の淵まで走りきるのも良いのだろう。何をするか・・・だ。
幻の古浄瑠璃、復活再演
江戸前期に上演され、以来鳥越文蔵先生に発見されるまで台本が大英博物館に眠ったままで時は流れ、今回300年ぶりに復活再演される「越後国柏崎・弘知法印御伝記」なる古浄瑠璃を見に行ってきた。後援会の一人でもあるのだが・・・。
浄瑠璃がなんであるか、勿論俺には判らない。文楽の源流とか佐渡文弥人形に近いもの、と言われても正直「知らない」。
無理を言って入場券を手配して貰い、義理と興味半分と折角の休日を身体を休めないでいいのかと少し鬱々として出かけたのも正直な話。しかし、上演が始まると不思議な世界に引き込まれた。そんなに違和感がないのだ。子供の頃、近くの家に旅芸人が来て、瞽女や浪花節語りだったのだろうが、田舎に不思議な夜を持ってきてくれた、遠い記憶が蘇ってきたのかも知れない。
狭い会場ではあるけれど、多くの希望者を断ったと言う話だけれど、入りきれないほどの人たちが、中に外国の人も、子供達もいたけれど、みんな息を潜めて舞台に魅せられていた。
柏崎は不思議な町だ。歌舞伎や義太夫の源流と言う古浄瑠璃に興味を持ちそれを企画する人たちと観劇に来る人たちとの濃密なネットワークが、古き良き柏崎のDNAが今も生き続けている。
キッチンぽてと
NPO法人トライネットが障害者自立支援法に基づく障害者福祉サービス事業で柏崎市東本町フォンジェ駐車場棟1Fに「キッチンぽてと」を開設した。
今日はそのオープニングパーティ。
当面、1日50食、内25食はお弁当。残り25食をオープンした「キッチンぽてと」のランチで販売するという。
「しごと」に取り組む子供達の笑顔が良かった。ゆっくりと、夢の実現に向けて歩き続けている。1年かが理の準備が自信となり、自然の笑顔を作り出しているのだろう。
経済原則の中では、特に現状の経済状況で「笑顔」を創りだすのは難しい。外部からの人目を考えると・・・という場合もある。
人間の幸福の原点は「経済的利益」だけではなく、小さくとも何かしらを成し遂げた充実感なのだろう。
改めて「知足 足るを知る」ことが幸福の原点なのではないかと思った。言葉だけでは簡単なことなのだが、そんな心境にはまだ程遠いところにいる。
スタッフの人たちの言い笑顔が最高だった。
世界は何処へ行く?
ニューヨーク株価、東京の株価、円やドル・・・BIG3やAIG、アメリカ国債、郵貯、日本郵政の不透明な動き、小澤秘書の逮捕・・・それらが絡まって世界経済の混迷が深まっている。
刻々と変化するデータに翻弄され、解決に向けた方程式もその枠組みが定まらない。どうなる???
こんな時には全てを棄てて「人間の原点」に帰るのが一番だし、自給自足の田園生活を夢見るのが楽しいのだが、家族や社員やその家族を護るためには「鬼」にならざるを得ない。
情報を集め、情報を読み解き、情報をばら撒き、パワーと策謀の限りを尽くして、自分が護らねばならないもの護る為に全力を振りかざす。阿修羅、鬼にならねばならない。
柄にもなくそんなことを考えている。兎に角、社会が予測不能な急激な変化を続けている。不安を振り払うことは出来ないが、しかし「現世」とはそういうものなのだろう。石すらも「安定」とは遠いところにある。何の慰めにもならないが・・・。
浅賀俊介 結婚式
2月28日、旧トルコ文化村を改装した結婚式場グランコートは冬には珍しい晴天と若い人たちで華やいでいた。
浅賀俊介の結婚式
彼は妻の友人浅賀千穂さんの長男で、多分20代の半ば。席札では「新郎の恩人」と紹介されていたが、俺は年の離れた友人だと思っている。
彼は、一昨年の夏、柏崎市川内の住民が毎夜のように暴走族に悩まされいるのに我慢できず、仲間を集めて「やめるように」と申し込みに行ったという。川内側から彼一人、反対側の谷根側に数人。彼に説得されてバイクグループが谷根に回ったとき「事故」が起きた、らしい。
警察に捕まり、仲間を庇って、一人何ヶ月か留置場にブチ込まれていた。今の世に、まだこんなに不器用な若者がいたのかと、俺は嬉しくなって一度だけ面会に行った。ドラマでよく見る場面。何を話したかもう忘れたが、彼がこんな状況に中、支え続けている「彼女」がいると言うことを聞き、「この男は大丈夫」だと思った。
まるで演歌の世界だが、職業や勤め先ではなく「本当に信頼できる」人との縁を、何よりも大切にする若い人たちの生き方に感動した。
大勢の仲間達、大勢の新婦の友人達の祝福に囲まれて、二人の人生がスタートする。
タバコの煙に朦朧としながらも俊介の門出を祝うことが出来て嬉しい。