満願成就 御礼
梅雨の終わりの時期としては、これ以上望むべきもないお天気だった。
柏崎青年会議所のメンバーが精魂込めて設営した復興イベント会場は熱気に溢れ、家族連れや、柏崎にこんなにも若い人たちがいたのかと思うほど大勢の人が海岸に溢れていた。
大晦日、元日と嵐のような季節風に阻まれ「復興花火」は実現できなかった。遭う人毎に「きっとこの日にしなさい」と言っていたんだよ、よかったね、と声を掛けてもらった。
そうなんだよな、と思う。
JCとのコラボレーションが最大限にシンクロし、思い以上の、鳥肌の立つような感動が伝わってくる。シンプルな、そして一つのドラマのような演出を花火師の本田さんは見事に夜空に花開かせてくれた。30年来の友人の、心を知り尽くした演出に、込み上げてくる感動に、観客のどよめきに、周りの風景が滲んでいた。
花火の終わった後直ぐから、いろいろな人から携帯電話に「よかったね」と感動の電話が入ってくる。みんなの思いを天に届けることが出来た。
なんとも幸せな一日だった。
今年こそ、また何時もの夏が帰ってくる。嬉しいね。
百日咳?
しつっこい咳に悩まされ病院に行って来た。診療所はいいけど、病院は苦手だ。待合室で萎びた様に診察の順番を待っている病人の群れを見ると、俺は絶対こんなになる前に死んでやる、と思ってしまう。向こうも仲間が増えたと喜んでいるのだろうが・・・・。
しかしまた医療業界の凄さを実感させられた。いったい、この病人及び病人予備群に対し医療側はどれだけの人員と医療器材を準備しているのか・・・経営者の一人として収支バランスを考えると目眩がしそうだ。
堤未果「貧困大国アメリカ」のレポートによれば、現在アメリカ中流階級の貧困層への転落が激増しているが、その主なる原因は高価な医療費に因るものだという。世界一高い医療費で中間層が破産しているのだそうだ。
ニューヨークで盲腸の手術をすると平均入院日数1日、平均費用243万円!、だと! 然るに日本だと入院日数4,5日で費用は30万円を越えることはまずないとのこと。
アメリカ発の「グローバルスタンダード」が日本に押し寄せた場合、小泉流の民営化が果たしてみんなの幸福に繋がるのか、懐疑的になる。多分『ウソ』だろう。
なんてことをつらつら考えていると、書棚に並んだ背表紙に引き込まれた。乱読*積読だから部屋の書棚は大したことない。しかし世界にはこの何百万、何億倍かの本が実在するはずだ。人間という、知的空間に棲息する生き物の凄さに始めて気がついた。人間は動物の一種に過ぎない、と思っていたが全くの別種なのかも知れない。
或いはまた、堤未果さんを読んでいると、その人間の中から「富裕層種」が分化してきている、ようにも思う。
生物は自然環境の変化に合わせて進化し、経済環境の変化により別種が誕生している・・・貧困層に落ち込んだら2度と這い上がれない・・・寒々とした風景が見える。
明日は晴れそうだ。
無事に花火が揚って、今年こそ本物の夏が欲しい・・・そう思う。
写真は下加納集落の案山子
写真の横に横断幕があって「頑張ろう! 下加納」とあつた。毎年この時期に洪水に見舞われるこの土地に、今年こそ幸いあれ!
咳の正体は?
周期的にやってくる咳き込みを自ら臨床実験のように楽しんでいる。次第に咳き込みの後に意識不明の瞬間があるようで、現状を把握するのに1,2秒掛かるようになった。
昨夜はお腹の大きくなった娘と3人で食事に出かけ、40日振りに紹興酒を飲み、その後一人でご無沙汰している店に2軒寄りご機嫌になって帰ろうとした瞬間、意識がなくなり倒れたらしく、現状が理解できず「何処で、何してるんだろう?」状態で助け起こされ、直ぐに自力でタクシーに乗りはしたが、何か照れ臭い帰宅になってしまった。
社員と冗談を飛ばしている内に「最近酒を飲んでないようだから免疫力が落ちたんじゃないか」という魅惑的な解決策にホイホイと乗ってしまった自分が馬鹿だった、ナ。
臨床実験はともかく、こんな症状にどう対処すればいいのかインターネットで調べ始めた。こんな状態で初めて知ったのだが、ビジネスの上で顧客満足は至上命題に近いのだが何とまた自己満足の世界が多いことかと、つい自分の仕事の反省をさせられた。
自然にも人間にも余分なものはない。自分中心でなければ精神不安に陥り自滅する。だからそれはそれでいいのだが、他人の心を思いやれる精神状態ってのは自分が不安定だと出来ないのだろう。自利々他。まず自分の為、そして次に他人の為、それが同時に出来ることが理想なんだろね。
で、咳は何のためにあるか。ただ、人を苦しめる為にあるわけではなく、体内に有害なものの侵入を阻止する為の身体という全能の神の作用なのだろう。彼らはその識別を何処でするのか、センサーを何処で働かせているのか、と考えてみると「喉」なんだね。喉に痰が絡む、多分これは外敵と防衛軍の死体の山、これがなくなると負けたか勝ったかのどちらか、だ。
まぁ、といわけで安保徹流免疫学の極意、41度の温泉に15分以上浸かれば大抵の病原菌は死ぬ。リンパ球と顆粒球のバランスが取れて、メデタシメデタシとなるはず。信ずれば通ず。信ずれば花開く。
午後からじょんのび村に行って来る。温泉を楽しみにするようじゃ、老けた感じだなぁ。
地球外生命体 ?
何の因果か、咳き込みが止まらない。少しづつは楽になっているのだろうが、呼吸困難になり、やっとのことで喉の隙間から空気が体内に取り込まれるとホッとする。
別に今更命が惜しいとは思わないが目を白黒させて喘いでいる姿はカッコいいものではない。酒を止めているせいで、免疫力が弱っている・・・そんな言い訳もしたくなる。
まぁ、災難に遭う時には遭うがよろしかろう、死ぬる時には死ぬが宜しかろう、と良寛は言ったという。自然災害は避けることは出来ないし、生老病死、人間には避けられない労苦はある。
そんなこんなで7.16が近づいてきた。
昨年末の追悼と復興祈願の花火が季節風で取止めになり、改めて地震一周年の7.16に上げることになっている。青年会議所のイベントと組んで海岸で250発の花火が夏の夜空に開く予定だ。みんなの願いが天に届いて欲しい。
ネタが少ないのか、連日新聞やテレビ放映の取材を受けている。素直に自分の気持ちを表せる言葉が見つからないまま、時間だけが過ぎていく。全ては時が解決する、か。
夕方、加納の医者ドン、2番目の義兄なのだが、に患者に化けて診察を受けてきた。まぁね時間が掛かるかな、と。薬を貰って自宅に着いたら追っかけ電話が来て、薬を変えてみようということになった。自宅内でペットを飼っている人特有の咳かも知れない、ということらしい。そういえば社内で同じような咳をしている社員はみんな犬を飼っている・・・もしや・・・カモシレナイ。
酒を飲むことにも効果があるのだろうとは思うのだが・・・。