節分の夜に
あっという間に節分の夜を迎えている。平岩弓枝の「新・御宿かわせみ」を読んでいたら「元旦の後に節分が来るなんて聞いたことネェ」とあり、明治6年に改暦された時の混乱が人の暮らしを戸惑わせたのだろうなと思った。
調べてみると成る程、7日が旧暦の正月だった。実は7日、バリに行くのだが旅行社が「春節」云々と言っていた。忘れていたわけではないが、歳のせいか、何かどうでもいい、って言うか重要度の認識が薄くなっている。一歩幸福に近づいた?
この歳になっても一人旅はいいもので、言葉の通じない世界ってやはり嬉しいもんだ。飛行機と宿さえ決まれば、後はそれほど重要性のあるものは少ない。最低限の食事は、大体指差せばいい。手は口ほどにモノを言う。買い物は基本的にしない。大体面倒臭いし、欲しいものがない。若い時から貧乏にせいで、何が何でも「欲しい」と言うものがなくなった。いや酒と色気はまだ・・・。
久し振りに中村天風を読んでいて葉隠れの一節「武士道とは死ぬことと見つけたり」を「武士とはいかなる時にも、生きて生きて生き抜く術を学び身に着けて、自己の人生を志と共に全うする時、死に対する恐怖心が消滅すること教えている」と解説していた。改めて考え直している。
死に対する恐怖心は不思議と少ないが、何が何でも生き抜くと言う気概も不思議と無かった。「自分の人生を志と共に全うする時」とは何だろう。周囲を見て「公共性」と「成熟性」が悲しむべき状況にあることは知っている。「無責任と我欲」だけが強く、調和を欠く「KY」の人が多くなった。
コミュニケーションの基本なんだけど、ね。「自分を変える」という人生の中の一番の幸福を取り逃がしているんだろうね。
要は、もっと勇気を持って生きてみろ、ってことなんだろ、早く言えば。
写真は「盛来軒」のラーメン。本当は「支那そば」と言ってもらいたいのだが・・・柏崎人の味の原点・・・特に俺にとって、だが・・・。うまかった。
創風 20年
今日、1月31日、創風システムの第20期が終了した。
45歳、建設現場から情報産業に転じ、有限会社設立の300万円も自力で用意できなかった起業時を考えれば、コンピューターとネットワークの勃興期に兎にも角にも20年生き延びてきたことはもっと自慢してもいいような気がしてきた。
そしてそのことが可能だったのは、嘘偽りなく人の温さと信頼のネットワークだったことに今更ながら感動する。
素晴らしい社員達と、忍耐強く私達を育ててくれたお客さん、どんな時にも勇気付けてくれた友人達、そして家族と兄姉、姪と甥と、コロとラン、そして八石の山波の美しさ、まだまだ多くの人たちが見守ってくれていたことを俺は忘れたことは無い。社長室には小さな仏壇があり出社時と退社時は水を供え手を合わせている。時に「助けてくれ」と叫びだしたい時もあるけれど、普段は嘘偽りのある生き方をしてないぞ、との確認だけ。それがどれほどの意味のある行為なのか分らないが、今は習慣になっている。
まだまだボロクソだが、やがてみんなから「よかった」と言って貰える会社になりたいと思う。
今日八幡開発社長の飯塚悦平さんと久し振りに酒を飲んだ。彼から夏目漱石の「四人称」の話を聞いた。?っ感じだが、自分の思考や行動を見つめているもう一人の自分、と言うことらしい。調子に乗ってバカなことをやっていると、後ろ頭の方向から「おいおい、いい加減にしろ」と叱責を飛ばすもう一人の自分、それがそうなのだという。
人生、変なもんだが、生きていることのそれなりの充実感はある。軽やか、ではあるが・・・。
男の脳と女の脳
黒川伊保子さんの講演を聞く機会があった。
富士通で人工知能を研究していた経歴を持つ人。研究を進めているうちに、どうしても整合できないシステムとして男の考え方と女の考え方の違いに気がついたという。
考え方の違いと言うよりも感性の違い、だと言う。「怪獣の名は何故ガギグゲゴなのか」と言うベストセラーがある。気になっていて書名だけは覚えていた。
詳しいことは後にして、嬉しかったのは男にはボーとしている時間が必要なのだと言う。そうか、あれは痴呆症の前兆だと思っていたが、男の脳はそう出来ているのだ、そうな。
それで安心した。俺にはその時間が少し長めに必要なのだ、とそう納得した。いい加減な話だが、お互いの違いを理解する、と言う単純なことがこんな「感性」から始まるのかもしれない。
再び、死について
真夜中にこんな題名での書き込みは自分でも些かどうかと思う。
要は尊厳死のことなのだが・・・。
同じようで、尊厳死と安楽死は明らかに違う。自分の意志が存在するかどうか、だと思う。
人は全て替え難い人なのに、万物に生命があり始まりと終わりがあり、人間は100%の死亡率を誇る。早かったか遅かったかの差異はあるが、価値があったか無いかは本人の関知せざるところだ。死後、人の記憶に残るとすれば、幸いとすべきなのだろう。当方としては薄気味悪い話だが・・・。
人間の脳と言う不可解な一物がなせる業なのだろうが、死を予定できたかどうかで、人生の晩鐘期を迎えたものにとって幸福の度合いは違う。
突然死と言うのは本人はいいのだろうが、残されたものにはキツイ。10歳の時の父の心停止による突然の死は心から消すのに20年は掛かった。母も祖父も祖母も長患いではなかったように思う。あの頃あまりいろいろなことが同時に起きて記憶をいい加減なものにしているのだろう。人間のこの機能は凄いと思う。
人間の終末を長患いで逝くか、ポックリ逝くか、本人も残された人も随分と考えが違うはずだ。
自分としては65年も使えた乗り物だから大切にはしたいが、部品の交換までして乗るつもりはない。むしろ使える部品を必要としている人たちに使ってもらえれば、それはそれでいいのではないかと思う。
もう十分に見るべきもの見たし心残りは無い。部品が壊れても修理されたら困るので、意識が無いのを条件に尊厳死を選びたいのだけれど・・・誰かやってよ。
内臓が悪いかと医者に行ってみても、頭がおかしいからとレントゲンとって見ても、どの医者もなぁーにも無いと言う。ほんとかなぁ。
もう10年くらい、人の邪魔をしてみるか。のんびりと、迷惑だろうが、好きなように生きるさ。背広のポケットにペンチだけは忘れないことだ、な。
雪の降る村から
久し振りに香を焚きながら「カヴァレリア・ルスティカーナ」を聴いている。吹き荒れた風も止んで雪も小降りになってきた。不思議な静けさが蘇ってガラスの壷に取り残されたような、俺だけの静寂。
パヴァロッティのテノールを判ったような振りをして聴きほれているのもいいもんだ。夜が更けてゆく。頭が痺れてくる。体中から力が抜け意識朦朧とした中で「間奏曲」を聴く。いい曲だ、と思う。
激しい季節風の後のような、一時の安らぎ。