俺は65歳 まだまだ元気!

2007.06.24 風の戯言


 久し振りに小千谷市の山本山を訪れてみた。
 曲がりくねる信濃川に深く抉り取られて、そこだけが取り残されたような山で、展望が開け、スキー場もあった、小千谷の人たちにとって心の大切な風景だと思う。
 小千谷が生んだ偉大な詩人「西脇順三郎」は晩年をここで過した。「先生が人生の終焉の地として郷土小千谷を選んでくれたことに、我々は限りない誇りを感じる」と当時の市長星野行男さんは涙ながらに弔事をそう締めくくった。ありがとうございました、と。

 山本山は詩人や市長、市民にとって思いを巡らすには絶好の散策の場でもったし、現在も多くの人たちに愛されている。市長は朝のランニングでこの山に登ってきていた。こんなふるさとをもった事を、正直、羨ましいと思う。

 山頂周辺は牧場になっていて、昔は牛達がのんびり過していた。今も草原は残っているが、牛は見えなかった。
 中腹に「市民の家」があり、「風船一揆」の時、宿舎として利用させてもらい、初期の頃の忘れられない思い出の場所ともなっている。
 その広場の脇に竪穴式住居があり、随分前から気になっていた。縄文人の真似をし、笹の先に信濃川の魚の代わりにCDをぶら下げていたら「絵」にならないかと・・・・。
 結局、無様なメタボな自分の姿にガックリ来ている。

 西脇順三郎が散歩の最中にこの姿に出会ったら何と言っただろう・・・? 「バカが!・・・」と? いや、そうじないな。

大連

2007.06.23 風の戯言


 久し振りに大連の町を歩いてきた。
 何故かこの町が好きで、過去3回くらい訪れている。一人旅もあれば何人かのグループの時もある。今回は若い社員に大連の躍動を見せたくて三泊四日の視察旅行になった。
 この町の辿った歴史は生易しくない。ここでは省く。
 現在大連は人口600万人、中国第三位の港町として繁栄し、町の雑踏と綺麗な街づくりが現代的な活力を漲らせている。特にit産業に賭ける熱意は凄く、写真の東軟情報学院の建物と底で学ぶ学生達の熱気には圧倒されるものがあった。
実は大連ソフトパークを視察し、学院は「ついで」みたいなつもりでいたが、現地に行ってみて以前訪問したところではなくそれとは比べ物にならないほどの規模で「聳えて」いた。

娘の結婚

2007.06.17 風の戯言


 娘の結婚披露宴の招待状が届いた。
 発信者名は花婿の父と俺。なんか変なもんだ。

 何処でどうなったのか詳しくは知らないが、娘が結婚すると言い出して「千恵が選んだ男なら俺は無条件で賛成する」と答えた。だからどんな青年かも知らないでいたが、会って見たら好青年だった。大型バイクと自然を愛し、サッカーを通じていい仲間に囲まれているようだ。
 人間に必要なのは机上の知識ではない。人の悩みや悲しみを共有できる温かい心と時間を忘れて飲める仲間達なのだろうと思う。ビジネスの世界も駆け引きや力だけでは進めなくなった。経済社会だから基盤はソロバンだが、それだけではビジネスは成り立たないし、現代社会が一番求めている「感動」は生まれてこない。感動とは生きていることの共鳴なのだろう。
 娘達は一月に婚姻届を出し、三月にフロリダの友人に会うこととバイクの祭典にあわせて新婚旅行に出かけ、最近になって彼氏の家に住み始め、披露宴は九月だと言う。俺には理解不能な結婚スケジュールだが、まぁそんなモンなのかも知れない。
 千恵がアメリカ留学?遊学中に書いた「Boston」はこのブログの最初の方にあげておいたけれど、俺はとても嬉しかったことを覚えている。大丈夫だ。

自分の目撃情報

2007.06.16 風の戯言


 雲の間の流れる空の青さかな     おさむ

 昨日、今日と2日続けて自分の目撃情報が届いている。
 昨日は新潟の朱鷺メッセ、時間は15時50分頃。講演をすっぱかして喫茶店に居た悪童の目の前の廊下を「俺」が歩いていった、と。
 今日は銀行のゴルフコンペの会場に車で乗り入れるのを見た、と。体調が優れず前日ドタキャンしたはずなのだが・・・。いずれにしろ、2日こんな話が続くと自分の中のてく野次馬根性が呼び覚まされる。何なんだろう?

 閑話休題
 昨日NECユーザー会全国大会での森永卓郎氏の後援は絶品だった。1000人以上の聴衆を笑の渦に巻き込みながらの90分、経済指標を見せながら現状の解説、身近なところから現代社会の変貌を抉り出す。年収区分による結婚率の違い、とか秋葉原現象の解説、はたまた自らのオタクの世界を話しながら、現代情報世界の面白さなど、絶妙且つ愉快な講演だった。

 前に戻る。
 俺は幽体離脱をしているのか?
 瑣末なことに気を捕られている様じゃ成仏できないな。星の数は銀河1000億*1000億個、ここまで多くては数に意味なぞなくなってしまう。その中に地球のように超特別な幸運に恵まれた惑星がいくつあるのか知らないが、その中での果てしもない生命の輪廻。宇宙の輪廻に生命の論理をゴタ混ぜにしていったら、正に天文学的な数字の中の個性は殆ど意味を成さない。膨大な数のRFIDとベラボーなサーバー群とサポート不能なファイバーケーブル群を繋ぎ合わせれば「固体識別」は可能になるかもしれないが、だからなに? って感じで「個体を特定する」意味はなくなる。
 自分の生に何かしら意味があるとすれば、「現在」というその瞬間だけなのだろう。

 「風のように生きろ!」ってさっきのテレビドラマはそういっていた。それでなくても短い一生を、過去にひきづられることなく、未来に向かって今を自由に生きろと・・・。

 幽体離脱、かぁ? 何かワクワクするなぁ!!!

 写真は6月8日ベルナールで開かれた「岩下尊弘画業30周年パーティ」の一コマ。なんと私奴が黒服にブラックタイで決め込んで司会をしているところ。時折、こんな術も使う。

故丸山智央君一周忌

2007.06.14 風の戯言


 弊社元常務取締役丸山智央君が亡くなって1年が過ぎた。

 彼はは創立メンバーの一人、と言うより共同設立者であった。柏崎情報開発センターに入居する為に事前下見に行ったら、当初想定していた部屋は窓から屋根しか見えず、二人で顔を見合わせ考え込んでしまった。
 がっかりしている二人を係りの人は極楽寺側の事務所に案内してくれた。部屋に入ると、窓一面に桜の花が見えた。「丸さん、こっちだよな」「うん、社長、こっちにしましょう」それで決まりだったが家賃は6万円増えた。
 「いいさ、頑張ろうよ」そして二人の、いや5人の創風システムがスタートした。

 仕事は厳しかったが、二人でよく飲んだ。グラス片手に歌う「酒と涙と男と女」は絶品で河島英吾本人の歌より数段上手いと俺は思っていた。そして、酒をあんなに美味しそうに、あんなに楽しく飲む男を他に知らない。
 長い間に仕事に対する考え方に違いも生じ、やがて彼は独立してゆく。いろいろ悩みも多かったに違いない。けれど何時も元気に話をしていた。

 突然の死から1年。全てが早過ぎる時間の中で、彼の死も次第に遠ざかってゆく。
 今年もまた「閻魔市」の季節になってしまった。