もののふ

2016年02月16日 風の戯言


 微熱と咳が続き、早く人にうつさないとこっちまでおかしくなってしまう。

 と言うわけで、一日ベッドの中。

 ニュース番組を見ていれば、安倍首相が「もう、やってられねぇーよ」と何時切れるのか楽しみになってきた。
 隣の朴お姉さんも、習ちゃんにフラレテ、本格的に狂ってきたみたいだし・・・。

 こんな時は、本でも読んでいるに限る。
 評論家ぽく、地政学的な解説で納得していては、世の中の動きの真因が判らなくなってきている。資源争奪戦、宗教上の戦争、ユダヤ人財閥の繰り人形、ステグリッツ博士の「戦争経済」、アンドルー・ファインスタインの「武器ビジネス」あたりが現世をひもとく解説書になりそうだ。

 人生は揺れ動きなから進む光の時間。
 釈迦の掌で、納得行く「自律」が必要なんだろう。

 司馬遼太郎の『武士』にもう一度触れてみたい。

 石塚修は藤原藤太秀郷の末裔でござる、なんてね。

もうすぐ春ですね ♪

2016年02月14日 風の戯言


 今日14日は「バレンタインデー」

 熱く濡れた瞳で言い寄られたことは、記憶にござんせん !
 この性格だと、「愛」の世界から程遠いのは悔しいね。
 まぁしょうがない、義理チョコで OK!

 春一番が吹き荒れているらしい。
  ♪ もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか
    風が吹いて暖かさを 運んで来ました ♫

 キャンデーズの歌声が聞こえてくる。

朋あり近間より来たる・・・

2016年02月13日 風の戯言


 男子三日会わざれば則ち刮目してみよ

  三国志演義における呂蒙の言葉だそうだ。

 久し振りに近くの友にあった。
 中々普段会えず、久振りに昼食を一緒した。
 会えばいつもバカな話で盛り上がるのだが、今回は国会でいろいろあり、彼は高石法務大臣の放送統制の言葉に怒り狂っていた。

 何処まで真面目な議論なのか、後追いで新聞テレビを見ているが、阿部ちゃんの政府は日本を何処に連れて行きたいのか、国家経営の利益目標が見えてこない。

 彼と経営学の話をし、我々ももう少し勉強すべきだと感じた。

 今丁度、原田伊織の「官賊と幕臣たち」をよみ、蓮池徹の「拉致被害者達を見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」、ケント・ギルバートの「自虐史観のあほらしさに気づいた日本人」、馬淵睦夫「世界を操るグローバリズムの洗脳を解く」は現在進行形の諸々のニュースを味わうには絶好の香辛料だ。

 戦後70年、そろそろアメリカやマスコミから掛けられた催眠から解き放たれる時期なんかも知れない。

 こんな事が語り合える仲間が近くに居たことと、自分の変身に感謝

冬晴れ

2016年02月11日 風の戯言


 風邪気味なのか体調が優れず、杉本医院で診察を受け薬を貰い、その足で中学の同級会に送ってもらい、古い話に次第に酔い痴れ、些か飲んだ。

 家に帰って、風邪を思い出し、風邪薬と睡眠薬と酒をブレンドしたら、今日は一日介護老人。窓際の日当たりの良いベッドで殆ど半死状態を楽しんでいた。
 本は開けど文字は読めず『ナンジャコリャ』の世界。老後が心配になってきた。

 もうすぐ後期高齢者の同級会なんてガキの頃の思い出と、病気自慢と寝たきりになった仲間の話。

 たまにはこんな時間もいいもんだ。

朋あり、遠方より来たる

2016年02月09日 風の戯言


 降ったり、晴れたり、寒波が来たり
  雪国にとっては「ハワイみたい」な冬が過ぎて行く。

 雪が少なく、今年の『風船一揆』は中止との連絡が来た。
 記念すべき40回目だったのだが・・・もう40年か・・・

 「明日の鯖石を創る会」だの『風船一揆』だのと夢を語り
  俺は皆の夢を蹴飛ばして『創風システム』を起こした。
  社名は新しい夢であり、昔の仲間への謝罪でもあった・・・。

 ジャカルタの山田さんが柏崎に遊びに来てくれた。

  子曰はく、  
   朋有り遠方より来たる。
    亦楽しからずや。
     人知らずして慍みず。
      亦君子ならずや。と

 信州大学医学部で気球を思いつき、我が庭の「日本気球会館」で制作し、日中友好協会を動かし河北省石家荘でフライトを楽しみ、徳州会の徳田虎雄を動かしアキノ大統領就任1周年記念のマニラで大群衆の中での係留を楽しみ、彼はジャカルタで医療を志した。

 異国の地で悪戦苦闘しやがて独立をし、今はスタッフ150人の医療法人を築いている。

 独立の時、「その夢を手伝わして欲しい」と俺は言ったのだそうだ。そんなこと言ったのか、もう忘れた。
 預かり証も領収書もなしで、そうしたのだと。
 もう既に全額返して貰っているけれど、その『恩』を返しに時折柏崎を訪ねてきてくれる。律儀な男も居るもんだ。

 そう言えば、会って1週間の女性にプロポーズし、戸惑う彼女に「俺のことは石塚に聞いてくれ」と宣い、彼女は見も知らぬ俺に電話してき、俺の「間違いない」の一言で嫁さんになってしまった。

 何年か後、勤めていた東北の病院の余興で三味線を弾く旦那の脇で小太鼓を叩きながら「石塚さん、これで良かったのでしょうか」と言われ「良かったんだ、間違いなかったんだ」と答えた時の、あの場の情景が今も忘れられない。

 宇宙は広く、そして人間は温かい。