解放軍に捕まった話

2019年06月21日 風の戯言

熱気球が取り持つ縁には心温まる友人が多い。

例えばジャカルタでスタッフ150人を抱えるタケノコ診療所の院長山田さん。
信州大学探検部で熱気球を作りたいとのことで、「柏﨑気球会館」で酒乱性人生論を語りながら酒を飲んだ。

医者を目指す学生が気球を作るなんて「バカノコッチョ」だけど、でも彼等は作ってしまった。

卒業して見事医者になり、徳田虎雄に憧れ徳州会に入った。

そんなある時、同じ病院に勤める女性に一目惚れし、プロポーズしてしまった。
だって・・・と彼女は迷った。
出会って一週間で彼のことはよく判らない。
で、山田さんは「俺のことは石塚さんに聞いてくれ」と・・・。
宮崎の彼女から電話があり、俺は無責任な太鼓判を押してしまい、2人は結婚してしまった。
いやはやだこての。

その彼が学生の頃、日中友好協会長野支部を動かし、中国で気球を飛ばすことになった。

団長は信州大学玉井袈裟男教授、学生達と妖しげな近藤・石塚を交え総勢10数人。

万里の長城を見学して翌日石家荘へ。

迎賓館で河北省のお歴々の歓待を受けた。
「龍令酔?」で乾杯を繰り返し、医者の卵が酔っ払って腹踊りを始めてしまった。
大ウケしたが参ったね。

翌朝、飛行予定地に行ったら200くらいの椅子が並べられていた。
河北省や解放軍の幹部の席らしい。

パイロットの安田君は焦ったけど、見事離陸。
気球は中国の大地を空高く翔び、やがて畑に着陸。
遙か地平線の向こうから大勢の人達が走ってくるのが見える。

しかし直ぐに「公安」の車に囲まれ、丁重に拉致されてしまった。
実はこのプロジェクトには長野のテレビ局もかんでいて、禁止されていた空中での撮影がバレてしまった。

時は1980年3月、中国にはまだ「文化大革命」「4人組」の煙の匂いが残っていた。

連行先は解放軍の司令官室。
些か緊張し、団長は考え込んでしまった。
こんな時は腹を括るしかない。
「約束を破ったのは我々の責任。どんな処罰も受けます」。

一歩間違えればスパイ罪にも問われかねない。

司令官はじっとこちらを睨み続けていた。

中国は長い苦しみの後、かすかに未来が見え始めた時代。
その後また天安門事件があるのだが・・・。

司令官の表情から我々はある程度の覚悟はしたが、フィルムが没収されただけで我々は無事放免された。

解放軍を出るとき、司令官がニヤリとしたような気がした。
腹踊りのお陰かな? いやいや・・・。

柏崎日報 6月20日 掲載分

地震

2019年06月19日 風の戯言

犬山を日帰りし、珍しく柏崎で「ハシゴ」して家に帰ったらグラグラときた。
横揺れと縦揺れの時間差で遠近は大体判るが、今回は殆ど同時だった。
テレビで速報が流れたから、そちらに気を取られていたのかも知れない。

どっちにしても、あまり気持ちのいいもんじゃない。

産大寄付講座+地区の運動会

2019年06月09日 風の戯言


7日は小雨、8日は雨、そして今日は曇り。梅雨入りしたようだ。
7日は産業大学の寄付講座、農研機構から八谷博士に来て貰い特別講座を開催。
150人教室がほぼ満杯。
これからの農業を考えるにいい授業だった。
夜は日本海の夕陽を見ながら八谷さんを囲む会を.企画したが夕陽は残念。当日はお休みだった。

日曜日は地区の運動会。
緑の草の上での運動会には、何か温かい雰囲気があった。

痴呆とバラの日々

2019年06月05日 風の戯言

田圃の早苗はしっかり根付き
山の翠は奥が深くなった。

天空は蒼く、遠い山にはまだ白いモノが見える。

庭のバラは満開になり、

バラの日陰でコーヒーを戴いているのは

罰当たりみたいに豊かな時間。

角さんの「ゲタ」

2019年06月03日 風の戯言

浪人時代は小宮山量平さんの理論社で住み込みのアルバイトをしていた。
予備校から帰ると各界の論客が集まっていて、その片隅でのお茶出しは無茶苦茶に愉しかった。
多少赤っぽいのは、その時受けたDNAのトバッチリが残っているのせいかも知れない。

帰郷当初、角さんは遠かった。

だが仕事の関係もあり、「西山のアンニャ」田中角栄さんの選挙運動を手伝うようになり、辻説法について回るうち、この人はとんでもない人なのかも知れないと感じ始めた。
「日本列島改造論」は俺達を夢中にさせた。

当時「明日の鯖石を創る会」で南鯖石と中鯖石の未来を語りあった。
「何とかしなくちゃならない」、バスを仕立てて目白に伺った。

朝から角栄節が炸裂し、俺達は完全にイカレてしまった。
話が終わって先生が「鯖石で俺に出来ることはないか」「先生のゲタを下さい!」「ゲタをくれってのは初めてだ。おい、遠藤君、庭のゲタをやってくれ!」

鯖石の未来に「ゲタ」を預けられた我々は悩んだ。
あの「ゲタ」は写真付きで東山事務所にあったが真紀子さんが西山に持っていったという。なんて人だ ! ゲタを返せ!

ただ、熱気だけはあった。その熱気に「呑んだ勢い」で火が噴き出し、何人かの市会議員と若い県会議員を生み出し、小千谷の市長を国会に送り出す一つの力にもなったと思う。

だが、同時に政治の限界も見えてしまった。
政治家の力を借りても、所詮根本的な解決にはならない。
「ルサンチマン」というのか、行動を伴わない内に秘めた嫉妬みたいな戯言は何の解決も生み出さない

大切なのは自分達の独自の目的と生き方だ。

石原慎太郎は角さんを「天才」と書いている。
角さんは天才じゃない。
角さんは恐ろしい程の憤怒と努力の人で、角さんの裏の顔に「おにょろいさん」を見たことがあるか?
「越山」に込められた怨念を湘南のボンボンに解って堪るか。バカヤロー !

「我が勲し(いさおし)は民の平安!」

浅田次郎が満州馬賊の頭目張作霖に叫ばせた馬上の雄叫びが角さんに重なる。
角さんの目指したのは日本の真の独立であり、地方経済の自立であり、日本人のプライドの復活ではなかったのか。

アメリカには危険な人物と映り、夢半ばで倒された。

「民の平安」を祈って決断し行動する政治家は短命だ。

何も決断しなく行動しない政治家は長生きする。

トランプにヘラヘラしている長州野郎に何が出来る。

柏﨑日報 5月31日掲載分