夏雲
妙高は不思議な山で、何故か人の心を和ませる。
妙高は別名「須弥山(しゅみせん)」と呼ばれ、古代インドの世界観の中で中心にそびえる山とされている・とされているが、WiKipediaでは「須弥山」とはサンスクリット『Sumeru、スメール山』の漢字による音訳で、意訳は「妙高」という、らしい。
高校山岳部で馴染んだ山でもあり、あの山を見るとホッとする。
お盆休みに、蔦屋で福田和也の「岸信介と未完の日本」を買って来ていたので時間潰しに目を通した。『在りし日の日本』が蘇って来、夢中になっていた。
福田和也の名前は知っていても、本を読んだことが無かった。なかなかの人と、改めて知った。
そう言えば、「敗戦」の日から67年が過ぎていた。真夏の、あの日の3歳の記憶がまだ残っている。
今は3.11と福島原発の取材を通し、「失敗の本質」を暴き出している朝日新聞の「プロメティウスの罠」を厭嫌ながら読んでいる。5年前の中越沖地震も一歩間違えば、柏崎は今の福島のような事態に追い込まれていたとしても不思議ではなさそうだ。
先祖代々の生活の場を追われた人々の苦しみと絶望が伝わってくる。そんな中でも、人は何故死を選ばないのか、人間という動物の不思議さを感じる。
カサブランカ 満開
高校の頃、山登りに夢中になっていて、7月下旬から8月上旬が一番天候が安定し、山登りに適している、と教わった。数学教師の関先生が山岳部の担当で、残雪の焼山を笹倉温泉から詰めたり、北アルプスの縦走が今も貴重な思い出になっている。雪渓の上のテントの中で、焼酎の味を覚えたのも先生のお陰だった。先日、古い山の仲間から先生の訃報が届いた。
数学の時間に、方程式を黒板に書いたまま黙り込み、そのままで1時間が過ぎたことがあった。
「数学は理論では無くて感だ。常にやっていないと勘が狂って解けなくなる」
その一言で授業は終わった。55年近い時間が過ぎているのに、そのときの感動は、今も蘇ってくる。
先生のお陰で、自分の人生が変わってきたことに感謝している。
夕方の庭に、カサブランカが満開になっていた。
連日の暑さの中で、この花が静かな時を与えていてくれる。