震災列島

2009年08月11日 風の戯言

 梅雨が明けないうちに秋が来てしまいそうだ。時間100mmの雨なんて「またまた、ホントかよ?」程度で殆ど冗談でしかなかったのが最近のニュースではよく耳にする。
 今日会った環境技術の工学博士殿は今年の作況指数が90代前半になるだろう、と予測していた。凶作である。

 集中豪雨の続きは地震。もう心配ない、と学者さんは言うけれど信用できないね。M6.9、M6.5の地震が駿河トラフ上で35時間内で立て続けに発生している。東海地震と東南海地震が連動し、東海+中部を襲うと言うリアリティ溢れ過ぎる文学と科学の見事な融合、と絶賛?された石黒耀氏の未来小説を思い出した。世の中が倦んで来た時に、日本では昔から社会変動と自然災害が同時に進行し、苦難の中から新しい時代が誕生しているのだ、と言う絶望と希望の満ちた本である。
 日本民族が、そんな神の御心にあるなんて、あまり褒めたものでもないように思う。

カキがつく

2009年08月10日 風の戯言

 今日届いた「文春」9月号の阿川弘之の随筆は愉快だった。司馬遼太郎が元海軍大佐正木生虎に宛てた手紙の「カキガラ」が主題。多少成功した人には虚名と言う「カキガラ」が付着し、常にそれを削ぎ落としていないと船足が鈍る、自分の人生を生きていなくなる。そんな話。
 ある時阿川の三男のお客が「君のお父さんは?」、「作家です」、「あぁ、Jリーグの・・」。この話を電話で聞いて、多少カキガラを意識していた阿川が、全く自分を知らない世界があったことで「ホッとした」気分と何か口惜しそうな気持ちを落着かせようとしていた心の揺らぎが面白かった。

 誇りを持って、自由に生きる為には棄てなければならぬものも多い。取捨選択のルールは気分次第なので、大抵は後で苦労する。言い訳したり、訂正したら男の生き様に傷がつく。不器用に、肩肘張って生きるいる男が好きなのだが・・。
 最近、つくづくと思うことがある。ビジネスや政治やスポーツは結果次第だ。しかし、人生は結果ではない、と。むしろ結果を意識したら本当のものにならない。航行の妨げにならぬ程度のカキガラを着けながらも、意識しないで胸を張って誇らしく生きる・・・そんなのがいいのかも知れない。

夏は何処に行ったの?

2009年08月09日 風の戯言


 梅雨はどうなった? 夏は何処に行ったの?
 7日の立秋は既に過ぎてしまっていた。100mm/hの狂乱雨を心配し、気象庁サイトに気を取られている内に、もうお盆休みが近くなっていた。台風や地震の来襲で「夏休み」なんて言う感覚が薄れてきている。
 柏崎港には「日本丸」ガス型を見せ、臨海公園では「サイエンスアカデミー」をやっているようだが、見に行く気合が入らない。夏風邪と欝と脳死と心停止が重なり活動拒否症は重症だ。口内炎にインフルエンザが併発して再起不能になりそうだ。
 
 こんな時は静かに回復の時を待つしかない。
 

会社の後期スタート

2009年08月06日 風の戯言


 21年度の半期決算(2-7)が間もなく出る。情報産業は納期が長いので、注意深く単月決算を積み上げて行くしかない。
 例年だと後半が落ちる。ましてこの不景気で先行きが見えないのだが、「自社のアイディンティティを見つめ直し、自社の強み」を再確認することが大切だと思っている。
 景況が苦しい時は顧客も眼の色を変えている。本音で経営を語れるまたとないチャンスになるのだ。「ピンチはチャンス」。昔の人の知恵は底知れぬものがある。
 そんなこんなで、今日から現場に出始めた。長い間事務所にいる時間のほうが長すぎたな、と反省している。「穴熊」になっていたようだ。
 営業本部長の名刺を持って得意先を回る楽しさはまた格別で、話が弾んでなかなか先には行けない。ある意味、これが俺の天職なんだなと思い、このスタイルを大切にすることにした。
 皆が待っていてくれる、心の底から嬉しいと思った。年齢もあり、若い時のように飛び回れないが、でも命の限りいろいろな人たちに会いたい。

今日から8月

2009年08月01日 風の戯言


 今日、8月1日は長岡空襲の日。

  空襲の日は  1945年8月1日22;30-23:58
  爆撃機の数  125機(テニアン島第313航空団)
  投下爆弾量  924.3トン(各種焼夷弾163,456発)
  罹災時の人口 4,508人
  死者数    1,476人
  罹災戸数   11,986戸

毎年8月2,3日は長岡祭で、2万発の花火が上がると言う。鎮魂の花火。長岡に幸あれ !

 空襲当日、学徒動員で長岡にいた3番目の姉は宿舎だった寺の本尊を背負い、あの猛火の中を逃げ回ったと言う。
 夜空を焦がす空襲による長岡炎上は南鯖石からも見え、当時村長をしていた父は非常線を突破し長岡に入り、焼け焦げた死体の顔を一人ひとり確認しわが子を探し回ったと言う。 混乱の中、二人は巡り会うこともなく、父は絶望に打ちひしがれて家に戻ったら、姉は一足先に戻ってきていたらしい。家中で抱き合って喜んだであろう、そんな光景を思い浮かべる。

 毎週土曜日になると娘が娘を連れてやってくる。
 子供と顔を合わせると、俺のベッドが遊び場になってしまう。逆さ吊りにされたり、布団の簀巻きにされたり、空中落下を楽しみ、もう直ぐ1歳になる子供のエネルギーに翻弄される。
 
 何の縁か、
  憶良らは今は罷らむ子泣くらむ其も彼の母も吾を待つらむそ

 を思い出した。俺はこの歌が一番好きだ。
 万葉集の山上憶良は70歳前後、妻と子供を思う情愛の深さは1250年の時を超えて”生”で伝わってくる。
 
 もう一つ好きな歌 子等を思ふ歌一首
  瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
  いづくより 来りしものぞ 眼交に もとなかかりて
  安眠し寝なさぬ
 反歌
  銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも

 子供を安心して生め、子育ても医療体制も、教育も、老後の介護も安心して世話になれるような地域づくりが欲しい。
 
 この子達の未来に幸多いことを祈る。

 広島、長崎の原爆の日がちかずいた近づいた。核爆弾が脅しの材料になる意味が理解できないが、経済不況の激流が大陸からの難民が日本を襲う時、「日本軍」はどう処置するのだろう。国を守る決断とは、そこで銃の引き金を引くこと、なのだが。この先の確かな未来の姿が・・・まだ思い浮かばない。