梅雨の谷間で

2010年07月04日 風の戯言


 梅雨空の所為では無いが、頭の中が湿気ている。
 元来、言葉が豊富な人間じゃ無いけれど、使用可能な言葉がメッタメタに放散している。どうすりゃいいのだ ?

 ナンテのは兎も角、今の時期、車を走らせるとあちこちで綺麗に咲いているに目が移る。
 じょんのび村の帰り、鯖石街道の川東線を走っていたら、森近の集落はずれに菖蒲というのか名も知らぬ花達が咲き乱れていた。
 こんな写真を撮っていると、自分が真っ当な人間に思えて何とも嬉しくなる。人間が花を大切にするのはこんなことからなのか、なぁ ? ・・・。

 新潟県経営品質賞の申請書を書き始めている。新潟産業大学の講義を聞きながら、かなり判っているつもりでも、いざ書き始めると身の置き場なくなるほど情けない文章のなる。
 中長期の経営計画も兼ねているので理想と現実のギャップを、項目を整理してスケジューリングする事が肝要なのだが、現代の変貌はこちらの変革を待っていてくれるほどヤワじゃない。気は急くし、頭はアル中、身体はデクノボウ・・・なんとかせにゃ・・・。

 久し振りに松井孝典の「一万年目の人間圏」を読み直している。先日何処かのテレビに出ていたので気になっただけなのだが、やはり本物の知性ってのは全然違う。
 書き掛けの申請書を何処かにホン投げ、読んでいるうちに興奮して眠ってしまう。マッサージに行かないと体中に激痛が走り気分が滅入って死んだ方がマシ ! なんて考えたりして休日は楽じゃないが、刺激的な本は良いものだ。

梅雨空

2010年06月29日 風の戯言


 俄かサッカーファンとしても落ち着けない。
 今夜はパラグアイ戦、少し押され気味な感じ。ファンの方も心理戦で、テレビ中継のコメントは皆「いい子」。全ては「時間」が解決するのだが、落ち着かない。今、ハーフタイム。

 今日は新潟経営品質協議会によるリコー近藤社長の講演会。柏崎出身、新潟大学工学部出身の社長の話は面白かった。環境問題に組織を挙げて取り組む経営スタイルは絶賛もの。冷徹に現在の経済状況、転換期に来た環境問題を分析しながら今後の経営テーマを追っている。

 新潟からの帰りは皆で私の車に相乗りしてワイワイガヤガヤ。楽しい帰路ではあった。

静かな夜に

2010年06月26日 風の戯言


 寝静まった静寂の中で、ギター・デュオの古いCDを聴いている。

 慌しい仕事の時間。
 生産性本部の講師を招いての産大寄附講座。
 講師を囲んでの、今と昔の話が交錯する懇親会。
 仲間だけのフィリッピン・パブの2次会。
 「経営品質は飲む事と見つけたり」、か。
 自分で仕掛けたのかも・・・。

 全ての夢想を捨てて、音の世界に漂流する無性の寂しさ。
 「無の世界」へ我を導く音達の調べの優しき。
 魂の、水の底に沈んだ様な感情を抑えた古い曲に自分の全てが引き寄せられていく。

 音楽、とは不思議な・・・何なんだろう?

グミの実

2010年06月22日 風の戯言


 庭にタワラグミの木があり、たくさんの実をつけている。
 渋みの強い味は、今は少し敬遠している。子供の頃は夢中で食べたものだが・・・。桑の実と、崖に生える「さがりイチゴ」が懐かしい。

 グミは蛍の季節でもある。
 最近は見に行かなくなった。

 いつの間にか6月も末になって、柏崎の花火祭が近くなった。尺玉100発同時打ち上げ、海中スターマイン、尺玉300発の連続打ち上げ、数多くのスターマイン等近年は目の肥えたファンも多くなったとか。当社も「黄金尺玉10発同時打ち上げ」を奉納する。
 今年は「越後風船共和国」の仲間達30人と賑やかな花火桟敷を楽しむ予定だ。携帯で誘うと二つ返事で「行くっ!」と喜んでくれる。空を翔る命懸けの遊びを共にしてくれた、30年以上の付き合いというのも、自分の宝物だ。

ぶどう村 夢の痕

2010年06月21日 風の戯言


 「ぶどう村」の社長になり損ねた未練が残っている訳ないが、時折刈羽三山、米山、黒姫、八石の山波が一望できるぶどう村に車を走らせる。自宅から3分もあれば山に着く。
 車を止めれば、180度山に囲まれ、人家は見えない。新緑の山波が美しい。
 
 リクライニング・ベットを下ろし、風だけが遊ぶ元のブドウ畑で、故郷の山に囲まれて静かな時間を過すのは何にも変えがたい至福の時間でもある。

 ローソンの新浪剛史社長が文春のエッセイに「経営者の性」として「全てに合理的な必要性を求めてしまうけれど、経営者的、合理的な思考を一旦止めてみると「時間」が見えてきた」、と書いている。
 「理屈で無いもの—文化こそ何かと息の詰るような社会に必要なのだ」、と。

 一流の経済人は茶室が似合うのだろうが、少し認知症の始った自分としては、時間を忘れて山を眺めている幸福は何にも変えがたい。

 故郷の山は、風達が時折こちらの様子を見に来るだけ。中に、心配そうに静かに顔を見てゆく風もいる。

 山は静かで、この静寂の中に埋もれている時間が好きだ。