銭もなき身にも哀れは・・・秋の夕暮れ

2007年11月11日 風の戯言


 静けさや 雨降る庭の 落ち葉かな

 11月も半ばに近づき、秋は足早に過ぎていく。何を望むでもなく、何に怒るでもなく、焦点の合わないまま落ち葉を眺めていると、心が満ちてくる。秋の、雨の日曜日の夕暮れは、人を正気に戻してくれるのかも知れない。

 早々と庭の雪囲いも終わり、柿の木に柿の実がなり、畑には取り残したナスが雨に打たれている。晴れた日には遊びに来る小鳥達も、今日は姿を見せない。
 2階の窓からは、公園の公孫樹の向こうに山頂を霧に包まれた八石の山が見える。見飽きない風景。

 この谷に生まれ、この谷で朽ちて行くであろうこの身は精一杯に生きたのか・・・。もう少し時間があるようだ。

 銭もなき身にも哀れは知られけり
    花街遠き秋の夕暮れ       詠み人知らず

法句経(ダンマパダ)

2007年11月08日 風の戯言


 法句経には静かな時が流れている。

 こんな教えがある。

「もしも愚か者が、
   みずから愚かであることを知るならば、
    すなわち賢者である。
                          愚か者でありながら、しかも自らを賢者だと思う人こそ
                            愚か者だといわれる」          六三    

 また
 「愚かな者は、自分にありもしない尊敬を得ようと願う。
   修行僧の間では高い地位を望み、僧院にあっては支配権を望む」       七三

 「私は知っている」
  と言う人には、教えてくれる人は現れない。
 「自分は仕事が出来て、凄いのだ」
  と言う人には、協力する人は現れず何時か必ず失敗する。

 「私は正しいわけではない」
 「自分はどこかで間違いを犯すかも知れない」
  
 自分は愚か者だと気がついている人は、日々学ぶことが出来る、といわれている。

 他人に「馬鹿だ」と言われるとムカッ腹が立つ・・・この矛盾が人間なんかな・・・。
 

唐招提寺

2007年11月07日 風の戯言


 何故か急に鑑真和上にお会いしたくなって唐招提寺を訪ねた。修理中の金堂をすり抜け鑑真霊廟に急いだ。
 「天平の甍」にあるとおり唐で既に高僧であった鑑真が何故5回の難破を乗り越えて失明までして日本に着たのか、何時かまたその心に触れてみたいと思っていた。
 霊廟の前で一人の男が、廟に何事かを語りかけまた沈黙していた。この男も迷っているのだろう。

 初期仏教の法句経「ダンマパダ」にこんなのがある。

 「全てのものは無常である」(諸行無常)と
   明らかな知恵を持って観るときに、
    人は苦しみから遠ざかり離れる。
   これこそが人が清らかになる道である。

 人は生まれ、人は死ぬ。
  たったそれだけのことに思い至ると、心は静寂になる。
  全ての真理が見えてきて、生きる勇気が湧いてくる。

奈良の旅

2007年11月05日 風の戯言


 随分と昔からの夢だった奈良を旅してきた。
 高校の修学旅行と、写真館への営業に行っただけで、ゆっくりとお寺や仏像を眺める余裕はなかった。
 今回も正倉院展を見に出かけたのだけれど、宿が興福寺の隣で、檜風呂からライトアップされた五重塔が見えるという幸運に恵まれ、東大寺の大仏殿、正倉院は散歩の範囲で拝観できた。
 今生の思い出に法隆寺と薬師寺、唐招提寺を訪れ、思い残すものはなくなった。

 途方もないエネルギーを吸収し、そしてまた途方もないエネルギーを時代を超えて発散し続けている仏教芸術に接し、日本という国と、人間という不思議な存在に思いを新たにした。

鯨波事務所の解体

2007年10月28日 風の戯言


 11月に入ったら鯨波事務所を解体する。

 2度の地震に遭い、さすがに命運が尽きた。
 与板の周光院横山住職に感謝と解体工事の安全を祈願して貰い、内部の片付け、DC機材の移動など一緒に気持ちの整理をしている。

 屋上から見た米山は最高だったと思う。
 いい思い出がいっぱいあるよ。
 長い間、ありがとう。