九州自動車道の事故

2009年07月28日 風の戯言

 佐賀バルーンフェスタの井上義裕さん、水子さん夫婦が九州自動車道をワゴン車で走行中、土砂に飲まれて死亡した、というニュースに驚かされている。26日の事故だったという。気球の仲間で花火を見ようとしていたその直前らしい。御冥福を祈る。

 1980年、佐賀バルーンフェスタの最初の大会には俺も参加している。もう30年近い年月が流れている。広島大学の有頂天グループ、角田君たちが小千谷の最初の風船一揆に来てくれたのが縁の始まりだったと記憶している。
 バーナーのトラブルで飛べなかった彼が、その口惜しさをぶつけたような大会が始まり、有明の海を見ながら2時間半も飛んだ記憶が今も鮮明に残っている。金子修一君の新婚旅行を兼ねた大会出席でもあり、嫁さんには迷惑な旅だったのだろうと思う。まだ、大らかな時代だった。
 柏崎に縁のある水町君や多くの友人に囲まれた素晴らしい大会であり、やがて世界大会に繋がる予感がしていた。

 コンピュータの会社を始めて、45歳という遅い出発でもあり、わき目も振らず? 全力で21年を走り続けたように思う。悔いはないが、気球の仲間たちとの、あの炸裂するような時間は少な過ぎた。石塚の酒乱性人生論は、人生は美味い酒を飲むためにこそある、という理論は間違いなく一世を風靡していた。美味い酒を買える経済環境を用意すること、時間を忘れて酒を飲める仲間を大切にすること、そして、朝まで語り合えるネタ、本を読んだり体験したりした楽しい話題を豊富に持ってること。それが人生の重さであり愉快さであり、それこそが人生だとする酒飲みのグダっぽい話ではあったガ・・・。

花火の芽、捕まえた

2009年07月27日 風の戯言


 花火の目と俺の目が合ってしまった。
 花火は暫らく俺を見つめている。
 「やぁ、どうした ? 」と声をかけたら口の中で何かブツブツ言っている。リュックからカメラを出して「チョットそのまま」と言って撮った写真がこの写真。なにやら嬉しそうにしていた。
 多くの花火の中には、水の中に叩き込まれたり、裏からケツをぼったくられたりと、この世界もとろい奴はいるんだ。
俺の前に立ち止まった花火なんて、もうあの世界では変わり者で通っている。みんな数秒の命なんだが、夫々の役割があり、個性がある。可愛いね。

柏崎 海の大花火は 世界一!

風の戯言


 海の大花火大会,3時過ぎから降り出した、殴りつけるような大雨は打ち揚げ開始時間にはピタリ止み、陸風が吹いて花火の煙を沖合いに追い出してくれる。最高 ! の花火日和。
 中でも尺玉100発同時打ち揚げは、ありゃ千本桜のイメージ。最期の「チリ」はどう見ても桜の花びらが散る風情としか言いようがないんす。えぇがったなす !

 番組が全て終わって、送り花火がポツンポツンと夜空に上がり、出口では日本海太鼓のメンバーが送り太鼓を人波が消えるまで打ち続けていた。嬉しくて、涙の出そうな演出だった。良かったよ、柏崎の花火 !

明日は柏崎 海の大花火

2009年07月25日 風の戯言


 一筋の光が具体的な姿を、まだ現さない。見えたかな?と思うと一瞬後には何処かに消えてしまう。
 そんな迷いの時に、珍客が訪れて鼓舞してくれる。多分、もう直ぐに我が進むべき道(かなり大時代的表現だ)が見えてくるだろう。

 今、柏崎の熱い夏が始まっている。
 24日は マーチングバンドと民謡街頭ながし
 25日は たる仁和賀
 26日は 海の大花火大会

 気球野郎 石塚修の今生の思い出にと、日本熱気球連盟草創期の理事仲間に声をかけたら30人近くが駆けつけてくれることになった。急に予定が入ったり、アラスカで用事が出来たりと2名ほど欠席になったが大方は揃う。楽しい花火見物になりそうでワクワクしている。
 会社と社員一同でSoFuカラーの緑一色の「尺玉5発同時打ち上げ」タイトルは「柏崎の花火は世界一!」
 日本熱気球連盟とその一味は丸特10号で「小千谷風船一気にも幸あれ !」
 
 桟敷席は大賑わいで、楽しい花火大会になりそうです。

一筋の光

2009年07月21日 風の戯言


 18日土曜日、豪雨の中パンツまでビショビショになってゴルフ。サスガに午前中でリタイヤ。
 19日は半病人。泊りに来たチビに勇気付けられる。
 20日は社員の結婚式。写真は家に帰って風呂を浴びていた時の夕陽。何かしら、一筋の光が語りかけていたように思えた。
 
 幾夜かNHKが放映していた現代資本主義の現状は、人間が自らの欲望を抑えきれなくなった因果によるものなのだろう。評論家を気取って見ても、誰がその暴走を止められるのか、絶望的でさえある。
 娑婆は管理するものと、されるものに別れ、される側が常に正しいわけではないが、未来を失うものは間違いなくされる側の人間だ。しかし、本当に強いものは、やはり「される側」のような気がしてならない。

 未来が見えない。
 ただ、もう少しで見えてくる予感がする。