TOKYOの休日

2009年04月15日 風の戯言


 「遥かなるロシア」
 電車の中吊り広告、正確にはドアの右上なのだが、その文字が目にした時、俺はいきなりロシアの平原にブッ飛んでしまった。
 「遥かなるロシア」・・・何と言う素晴らしい響きなんだろう!。俺の中のロシアは今も「ドクトル・ジバゴ」のララのテーマが流れている。農村の風景とジバゴのオマー・シャリフ、ジュリー・クリスティのララ、みんなひっからまって俺の「ロシア」の風景で出来てしまう。トルストイもツルゲーネフもドストエフスキーも、みんなララのテーマの、心を掻き毟るような調べから逃げ切れないでいる。妄想、だね。
 
 BUNKAMURAまで行ってよく見たら国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」であった。思い込みの中で「遥かなるロシア」と読み違えていたようだ。
 目玉はクラムスコイの「忘れえぬ女」、ロシアのモナリザと言われているらしいが、この娘はどんな人生を過したのだろう。古き良きロシア、まだ仕合せだった革命前の風景、ロマノフ王朝最期の皇帝ニコライ二世、貴族達、農奴たち・・・秒速30万キロの世界が速度を増して動き出した時、過酷な運命みたいなものに翻弄される哀しさが、芸術家達の感性だけが捉えた歴史の予知を・・・感傷的に見るしかなくなる。

 12日は上野の国立博物館阿修羅展、13日はお台場を徘徊し水上バスで日の出桟橋へ、そこからまたテコテコと浜離宮まで、真夏のような太陽を受け、レーバンのサングラスをかけて、少しキザに5時間ほど彷徨った。夜は品川の駅裏でロハス・レストランで今様な料理を楽しんだ。初めてのセガレのオゴリ、大丈夫かなぁ。

 そんなこんで、急に東京さ出て、お天気に騙されて風邪ひいてしまつた。まぁ、いいか。明日は検査入院。悪い所は頭と口と手癖らしい・・・俺の友人達にはいたわりの心ってのがない。

社長退任

2009年04月10日 風の戯言


 4月10日は創風の創業記念日。今年22回目。
 この日を以って社長を退任し、岡本尚武にバトンタッチをした。
 同時に、新潟県経営品質賞奨励賞受賞の決定があった。経営計画書、としての位置づけで書いたものだから、まぁこんなもんか? 受賞を狙うとすれば基準書に則って書けばいい。しかし、この経済の激動期にそんなもんでいいのか? 一経済人としては別次元の問題のように思えてならない。
 もう少し深掘りしながら、問題点を明確にして、一歩づつ前進できれば、と思う。

 もう一つは、パーティが始まる直前に懸案の受注の連絡が入った。他社と競り合って勝てただけに、本当に評価して貰った実感が強く、とても嬉しい。

 兎に角、これで社長業から足が洗える。

第5回 産業大学・工科大学新入生歓迎会

2009年04月05日 風の戯言


 柏崎の2つの大学、新潟産業大学と新潟工科大学の入学式があり、新入生歓迎会実行委員会が主催する歓迎会が無事に終わった。
 新入生と関係者で560名、その他ボランティアが160名くらい合わせて700名余が会場を埋め尽くした。
 今年は会長に会田洋市長、副会長に松村小会議所会頭を迎え、青年工業クラブ、JCなども加わり今までにない広がりを見せてきた。バスの到着に合わせ日本海太鼓の歓迎演奏が柏崎のメーンストリートに響き、晴天も味方し、素晴らしい会になったことを本当に嬉しく思う。

 夢中になって笑顔で飛び回るボランティア・スタッフ、いつも多くのお菓子やペットボトルを提供してくれるブルボン、バスの手配など大きな力になってくれる東京電力など、本当に頭の下がる思いでこの会を担当させていただいている。
 学生達の力を貰いながら、きっといい町になる、そう信じている。ありがとう。

小さな春

2009年04月04日 風の戯言


 「年度」という奇妙な風習は「新年」とはまた違う風情と覚悟を漂わせる。「新年」は「穢れ」を振り払い、生命力溢れる新しい命を「再生」する。年度は、主に行政や企業の概念での「一区切り」というところか? 継続の為の断崖でもある。
 創業社長としてパソコンの草創期から爛熟の現在までの激動期をこの業界に従事できたことは、男としてこれ以上の仕合せはない。人間の一万年の旅路の果てに「外部脳」とその利用による「人間の幸福」を同時に追求できる、こんなエキサイティングな世界に身をおくことができたのは「良くぞまぁ」とも思える数多くの感動的な出会いの賜物でもある。
 自分の性格として、後を任せた以上その場からいなくなるのが一番似つかわしいのだが、持続的成長のためのバトンタッチは暫らく並走することが必要なようだ。それなりに楽しみではある。

 実を言えば創業時から20年を一区切りとして65歳になったら芸能界に行きたいという夢があった。何故なのか、何をしたいのか、例によって自分でもよく分からない。ただ、面白そうだ、と言う世界ほど素晴らしいものはない。当然のことだが、死ぬほどの苦しみがあって、それを乗り越えると新しい世界が見えてくる。何処が終点と言うわけでもなく、見えるはずもないけれど、その実感は気持ちのいいものだ。

 写真は掛川さんが撮ってくれたもの。
 これをもって芸能プロダクションに売り込みにいこうと思っている。案外いいかも・・・

永井陽之助の現実主義

2009年03月30日 風の戯言


 毎週土曜日はサウナとマッサージを行のようにして、潮風温泉ソルト・スパに出かける。頭デッカチで慢性的運動不足ときては肩こりと不整脈が親類みたいな付き合いになっている。温泉で茹でて、サウナでテリヤキにし、マッサージで切り刻んで貰うと、暫らくは使用に耐える身体に復活する。
 合間に、リラックス・シートで週刊新潮を読んでいると極楽に近づく。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
 4月2日号の「墓碑銘」の欄に「永井陽之助の現実主義」の見出しがあり、興味をそそられて目を泳がせた。

 「世界の権力構造を明確に説いた」人らしい。イデオロギーや宣伝の為では本質が見えない。面白かったのは「米国の戦争感と毛沢東の挑戦」の記述で「戦争を政治の延長として捉える革命勢力に対し、米国は悪を罰する一種の教育的懲罰が戦争で、短期的な効率だけを求め、外交・政治の目的から独立し、勝利が自己目的化している、と喝破したとされる。
 アメリカの真の理解は「キリスト教原理主義」の視点から見ないと現実を見失うといわれる。いわゆるイデオロギーに支配された武力闘争を「謙信の戦争」に見る。
所謂「義」を掲げ、殺戮を瞬間的な勝利にのみ価値を置き、「統治」に観点をおいてないようだ。彼らは何の為に死を受け入れたのか?

 もう一つ面白い記述があった。「時間の政治学」
 「ベトナム戦争を、短期的な(勝利)の判断に次々と迫られる米国に対し、ベトナムは無限の時間的資源に恵まれていた」と説いていた、と書かれている。凄いや!

 写真は自宅前の公園から春雪の八石山を望む。
 薄い緑の葉を木一杯に点ける、名前の知らない木が、春の息吹で赤く膨らんでいる。もう直ぐ4月ナノデス!