ライムライト
夢中になって「ライムライト」を繰り返し繰り返し聴いていたら村上龍の「オールド・テロリスト」(文春連載)の主人公と思しき「関口」が好きな曲をイヤーホーン大音量で聴き続ける「アブナイ」場面に出会った。少し危険だ。
しかし、古い曲はなぜにこのように歳老いた男の心を震わせるのか? 世界は違うけれど、いくらかは同じ時代を生きた震動みたいなものが共鳴するのかも知れない。ライムライトには絶望の淵で、微かにともる未来の灯が見えたような、そんな希望の欠片が感じられる。
時代はいろいろな局面を曲がり、2度と同じ時代には戻らない。次々と進化し、変化し、人々が大切にしていたものを奪い去ってゆく。
この本の中で村上龍が現代を称し「不況ではなく淘汰の時代だ」と言ったのは真実だと思う。不況は何時か好転する時もある。しかし、経済社会で自然淘汰されたものは生き残る術はない。死に物狂いで生き延びたものだけが、次のゲームに挑戦できるのだろう。
事業としては感度の鈍い奴も目を覚まさせなければならないのだが、ネンネコで育てられた子に「自主性・創造性」なんて言っても解らないようだ。セルフ・マネジメントが正しいのだろうが、時間が足りない!
暴走したいが「アラ古稀」の体は前を向けて歩かせるのに骨が折れる。
写真はぶどう村の合歓(ねむ)の木。
まだ、こんな花をつけていた。この花に、こんな名を付けた人に会ってみたくなった。
穏やかならざる夏
古い記憶で、夏山登山は7月20日から8月10日の間が一番天候が安定する「期間」と教わったようだが、地球が鬱病に罹ったようで天気の変化が激しすぎる。
夕方散歩に出ようとしたら土砂降りになり、タイミングを外せばビショビショになっていた。これも天の助けか !
それにしても、北アルプスの縦走で膝を挫いても1隊を率いていた石塚は何処に行ってしまったのだろう? 少し歩いてゼイゼイと息が定まらない。頭の回線速度が落ち、一昔前のアナログ回線のようで記憶の像が固まらず、曲の題名が思い浮かばず、何時間も後に「あぁ、チャップリンのライム・ライト」だとやっと判ったりする。遅いのは生まれつきだが、ここまで遅くなると自閉症になりかける。まぁ、いいか !
助かった!
全国各地で災害が続いている中、不思議と柏崎だけが助かっているように思えてならない。今回も県内の大雨で三条や加茂で大洪水が発生しているのに、気象データを見る限り柏崎地域だけの降雨量が少ない。ありがたい。
十日町方面では1000ミリに近い降雨データもあった。
ただ、NHKテレビに鯖石川「柏崎市 加納地内」で洪水警報のテロップが流れたために、いろいろな方からお見舞いの電話をいただいた。今日は朝5時から川の見回りに行って来たら、水量は多く、一部田圃は水没していた。
午後からは薄日も差し、夕方の海岸では若い人たちが砂浜で遊ぶ姿も見られた。
多くの人たちが水害に見舞われた中、柏崎だけが幸運の女神が微笑んでいたように思えた。
柏崎 海の花火
仕事でお世話になっている何人かのお客様と、何人かの気球の仲間達、そして何人かの社員たちとその家族。大勢の人たちに囲まれて今年も柏崎の花火を見ることができた。
目の前の海中に弾ける花火たちを眺めながら、現実と遠い記憶の中の出来事のような、不思議な感じも味わった。
10万とか20万人とか、大勢の人たちが歓声を上げ、拍手をし、ざわめいている。花火の、それも重量感もあり、華麗な海の花火に人は夢中になっている。
最後の「市民一同」の花火の頃、堪えていた雨がそそっと降ってきた。「東北の人たちの涙だね」と女性社員の一人が呟いた、という。
会場の出口のところで日本海太鼓のメンバーが「柏崎の四季-夏」だと思うが、心の籠った太鼓を演奏していた。「ありがとう!、頑張れ!」の一言と募金箱の足しを入れてきた。
人はみな助け合って生きている。人間社会の「経済」とはそんなことなんだろう。ありがとう。いい1日だった。
写真は創風システムと社員一同の奉納花火、「柏崎の花火は世界一」5寸玉10発+尺玉10発同時打ち上げ。