風のジャズメン
日本がおかしな坂を転がり始めた。
野田政権の鉢呂経済産業大臣の辞任。完全にマスコミが自分達のプライドを捨ててネタ作りに励み、自殺行為をしているとしか思えない。
マスコミ取材人には公式な取材にはテープレコーダー等を使用し発言の裏付けを取っている。逆にオフレコ、オフ・レコード記録を取ってない時には非公式な、個人的な会話になる。新聞等には記載されない本音を聞き出し、その信頼の蓄積から記事は深いものになる。そう信じていた。
しかし、現実はオフレコが正面に出て大臣辞任まで発展した。新聞は問題を、記事を作り出している。自らの信頼を否定することであり、職業的な、もっと個人的なプライドをドブにぶちゃっていることになる。
日本は「痩せ我慢の国」ともいわれ、武士道の我欲を捨てた精神性の高さが世界の尊敬を集めていた時期があったという。太平洋戦争の敗戦で、米国が危険視した精神文化をゴミの様に捨て去らされてしまった。
駐日英国公使アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」は欧米における日本文化の高さを紹介した名著としてあまりにも有名であり、ベネディクトの「菊と刀」は戦前の日本研究書にも日本の精神文化の高さが記載されていたと覚えている。
自分もまた、経営者としてお金だけを求める哀れな経済人になり下がっている。組織の長として社員の職を失わないよう老骨にムチ打っているけれど、それが自分の役割と承知しているけれど、どこか、寂しさは拭い切れない。誰に信頼されなくても、自分の中の自分だけは失いたくないと思っている。
高齢の為、愚痴っぽくなっている。
就寝前の静かな時間を、好きなCDを聴きながら過ごしている。幸せな「時」が過ぎていく。
「9.11」からもう10年。柏崎のスナックで女子たちと大騒ぎしていたら、東京の息子から「何してんだ! テレビを見ろ!」と電話が飛び込み画面に現れた貿易センタービルの倒壊画面は衝撃的だった。同行の新潟工科大学佐藤教授としばらく目が離せなかったことを今も思い出す。
10年、かぁ。世の中変わり過ぎてしまった。
9.11は3.11の6ケ月。
3.11語、世界も日本も変わってしまった。経済も文化も、異次元の世界のように、異人種の様に、私の愛の言葉も通らない。
風のジャズメン
小国、八王子に入るトンネルの手前に何人かのジャスメンがギターを奏で、トランペットを吹いていた。なんだか涙が出そうなほどに、あまりにも嬉しかった。
12日は中秋の名月、今は中天にあり、雲間を漂っている。
庭の小さな命
左足の筋肉と腰に激痛が走り、「歳のせい」と半ば諦めていたが、忠告に従って整形外科に通い始めた。根性が足りない、自分を叱ってみたが、どうも精神論では片がつかなかったようだ。
注射と飲み薬で痛みも薄らぎ、痺れもなくなり、膝に骨が擦り合うようなカクンカクンという音もなくなった。医者というのは大したものだな、と驚いている。
10代の頃から続く「肩こり」も筋肉注射のお陰か、次第に柔らかくなり始め、倅が送ってくれた肩こり解消法の簡単な運動映像もかなり効いているようだ。
少しづつ、本を読める時間が出来てきた。何よりも嬉しい。ただ、読んだ本の内容を少しも覚えていなくて、どの本も新鮮に見える。ただ、厄介なことは暫く読んでいるうちに内容を思い出すことだ。本は2回読むべきではない、という哲学を持っていると、この現実は衝撃的だ。
庭のスイカ畑の葉にアマガエルが休んでいた。アブラセミやオニヤンマ、ウスバカゲロウ?が戻ってきていて何となく嬉しくなる。鯖石川の堤防を散歩しているとクロサギ?に出会う。警戒心が強く、近づけないが、別々の方角に飛び去る彼と彼女?が、どう連絡を取り合ってまた一緒になるのか不思議だ。携帯は持っていないはずだし…