秋は、今・・・

2010年11月14日 風の戯言


 12日の金曜日は関東方面への営業の「相棒」
 天気の良い秋の旅を一日楽しんできた。
 帰路、山が霞んでいたので「秋だネェ・・」
 柏崎に着いたら車は泥だらけ。山も車も季節外れの「黄砂」にやられたらしい。
 土曜日は、熊探しとブナ林の紅葉を見に久米から清水谷を経て353に回り、石黒から落合、芝峠温泉、栃ケ原を通ってじょんのび村へと、秋を満喫してきた。
 夜は友人と「じょんのび饅頭」を肴に「どぶろく」を楽しみ、久し振りに酩酊。糖尿病が元気を出したらしく、喉は渇くは、口の中はべたつくは、で降参。

 家の前の公園は今紅葉が真っ盛り。イチヨウの実を拾ったり、落ち葉を踏んだり、娘の娘と遊んだり・・・のんびりした秋の休みを心行くまで楽しんでいる。

松雲山荘 紅葉

2010年11月07日 風の戯言


 今日は大安、立冬。
 気持ちのいい秋空に誘われて赤坂山の松雲山荘に紅葉を訪ねてきた。今夜あたりのライトアップは最高の人出かもしれない。
 
 NHKで日本の国債残高が1000兆近くに膨れ上がった背景を映し出している。何処かで聴いた「歴史」だ。破滅に突き進んだ昭和の戦争の「失敗の本質」を指摘した野中郁次郎を忘れてしまったのか。繁栄を求め過ぎた国民の責任なのか、「一億総懺悔」という無責任を思い出す。

 立冬の海は穏やかだった。
 また荒れだすのだろう。

三千院 わらべ地蔵

2010年11月06日 風の戯言


 人生という旅路の一里塚を、また一つ越すことが出来、辿り着いた痴呆状態を楽しんでいる。

 今年は久し振りに三千院を訪れてきた。青空に、始ったばかりの紅葉と、木立の中で、秋の陽光に輝く苔達に引き込まれてしまった。苔の中にわらべ地蔵がひっそりと佇み、京の旅の奥深さは時間を越えることだと教えられたような気がした。何かに急ぎ過ぎて生きている男にとって、意味を持たない旅も必要なのかもしれない。
 
 比叡の根本中堂で独り言を言っていたら、僧が微かに微笑んでくれた。

新潟県経営品質賞 申請書提出

2010年10月29日 風の戯言


 何と言う綺麗な夕焼けなんだろう !

 201年度新潟県経営品質賞申請書を締め切りの今日、提出してきた。総務の近藤さんと阿部さんが纏め上げてくれたものであり、会社の総力を挙げて形にしてもらった。嬉しさが込み上げてくる。
 5時から始る社員総会、それに続く「さらなる未来への旅立ち」と名づけられた社員パーティに間に合うように新潟から帰路を急いだ。柏崎に近づくにつれ、見た事もないような夕焼けが西の空一面に広がり、会社に着いて近くの田圃に走りながら写真を撮った。

 暫らく、夕焼けを見ながら立ち尽くしてしまった。

 半年懸かりの申請書の提出を神様が祝ってくれたような、そんな夕焼けが滲んで見えた。
 
 ありがとう。

鯖石、地名の発祥の魚形石

2010年10月22日 風の戯言


 旧南鯖石村大字石曽根824番地の、私の生まれた実家の庭に「鯖石」の名の発祥の下といわれる「魚形石」が、六尺四方の石柱に囲まれた一角がある。
 南鯖石村大字石曽根字行兼(ゆきかね)集落に住み着いた「石塚家」は藤原北家が関東に拠点を構えた藤原秀郷、佐野氏の流れにあり、館林城が織田信長四天王の滝川一益に猛烈に攻められた落城の折に越後国山中と行兼まで逃げ延びた兄弟に始る、と伝えられている。ホントかね。
 四代目は深い信仰により全国の山岳仏教の地を熱心に歩いたようだ。湯殿山から1尺8寸の鯖の形をした水石を見つけ持ち帰ったという。神命を感じ庭に石の祭壇を作り、祭った、と。若い頃、兄貴と掘ってみたけど、何も出てこなかった。
 大法螺は家系 ?