自死という生き方
屋根下の雪だけを残して冬が静かに去ろうとしている。
今日はお彼岸、春分の日。
30年前は「風船一揆」を小千谷の早春の風物詩にしたくて夢中で走り回っていた。お彼岸が来れば雪も降り止み、春が近づく、そんな雪国の喜びを白い雪原と青空に向かって大声で叫びたかった・・・遠い遥かな思い出・・・。
仏教思想と自然現象が何処で結びついたかは知らないけれど、日本だけの習慣だと言う。あの世とこの世を行ったり来たり、ランドール博士の5次元の世界、世俗的解釈が出来るようだ。
週刊誌の書評に誘われて須原一秀「自死という生き方」を読み始めている。借金苦や失恋、挫折、病苦や鬱病でなく、存分に生きた、何も思い残すことは無い、と言う哲学的死に方もあっていいと、自分でも書きたかったテーマだ。人間は宗教や社会的習慣ではなく、勝利としての自分の死の自由があってもいい、と思っていた。
人生を十分に生き抜く為に、この手の本は必要なのかもしれない。
今日は久し振りにパティ・ページの「テネシーワルツ」を繰り返し繰り返し、飽きずに聞きほれていた。65歳になって失恋したわけでも無かろうに、心を掻き毟られ、悶え、今日一日がこの曲を聴く為にあったのかと思うほど感動に浸っている。
1950年代、アメリカは憧れの的で、日本は貧乏に苦しんでいた。鯖石はまだ縄文時代のような生活で、俺には何も無く、死にたくなるほど退屈な日々の連続。爆弾やロケットを作ったり、電気ショックで魚を気絶させたり、蔵の中を荒らしまわったり・・・退屈しない為にはかなり大変だった。
雪割草
春のようなお天気に誘われて、西山大崎の雪割草の里を散策してきた。加納の家にはまだ雪が残り、同じ柏崎でも海辺は一足先に春の訪れを楽しんでいる。
庭の柿の木の下に蕗の薹が落ち葉を押しのけて顔を出していた。春の香りは酒のつまみに最適なのだが、連日のアルコール濃度の高まりすぎて断念! ここを乗り越えてゆくのが在来種の飲兵衛の筈なのだが・・・酢味噌あいが美味しかった。
14日土曜日の堺屋太一さんの講演は逸品だった。さりげなく自分の実績を語り聴衆の信頼を引き寄せ、鉄道草創期の反対運動に触れ、時代の先端を行くものの理解を進める。原発の町興しを壮大なヒント、2キロのプールを作ることにより年間100万人の観光客を呼ぶ・・・子供のような夢と、鬼のような実行力と、仏のようなホスピタリティ、それが地域を作ってゆくのだと・・・考えさせられた。
震災復興計画策定委員会が明日4回目の会合で終了する。計画の理念を表現するのにキャッチフレーズを「さらなる未来へ」とさせて貰った。柏崎は北国街道に咲いた美しい海辺の町であったはず。越後縮みの行商を経て石油産業、原子力産業が花咲き、幾たびかの困難を乗り越えて今また未来を目指す、そんな決意を表したいと思う。
本当はこの町の未来を語るグランドデザインが必要なのだろう。基本理念、基本方針なしに時代時代に翻弄されていては地域の利益は見えなくなる。何を求めているのか自分でも分らなくなる。貴重な時間は空費されるに任されて、市民の幸せが漂流してしまう。急がねばならない。
マレーシア気球大会 中止
来週18日から1週間の予定で楽しみにしていたマレーシアの気球大会が急遽中止になりビックリしている。理由は8日に行われたマレーシアの総選挙で政権が引っくり返ったことによる。予定されていた全ての行事が中止または延期になったようだ。9日15時に決定され、今日朝メールを確認した。権力の移動ってのは凄いもんだな、と思う。
しかしまぁ、遊んでいないで仕事しろ、って言う俺の何時もの神様の御心なんだろう。俺の神様に間違いは千に一つもない。無理をしてやってしまえば必ずお灸をすえられ、やるべき時に迷っていると自分の意志ではなく物事が動いてしまう。神様なのか仏様なのかよく分からないが、自分が誰かに見守られ、動かされていることは何時も感じている。
そんなわけでマレーシアは綺麗に諦めた。
土日とお天気も好く、久し振りにランちゃんの散歩に出た。あたり一面、まだ4,50センチの雪に覆われているけれど日ありのいい土手に蕗の薹を見つけた。
もう3月の半ば、春はもうそこ。
アロエ軟膏信仰
なんという優しい雪の降り方なんだろう、と思う。さわさわと音もなく、そしてまた積もるでもなく、一面が真っ白くなって、あっという間にまた春のような地面が現れたりする。
冬の間は、殆ど青空を見ることも無く夜通し山が轟々と啼き続ける、そんなことも全くと言っていいほど無くなった。 現代の男達と同じように、自然も優しくなりすぎたような気もする。荒々しい冬の季節は何処に行ったのだろう。暮してゆくにこんないいことは無いのだけれど・・・。
昨日、急に鼻水が止まらなくなり「そうなのよ、花粉症はある日急に来るの」との女性社員の一言でギクッと来た。花粉症? 知らねぇぞ、そんなもん! 知ってても知らなくても頭は重いわ鼻水は止まらないわで、FM放送の取材中ももう大変だった。いやいや人生何かあるか判らんもんだ、て。
で、家に帰ってアロエ軟膏様を鼻の穴にねじ込んだら、あら不思議、一発で洟水は止まってしまった。耳が痛い、ケツが痛い、インキンかな?なんて時はアロエ一発で解決している。用法に「適量を患部に塗布してください」って、まあかなりいい加減なことが書いてある。何時からあるのか、使用期限も書いてないので安心して使ってるけど、正に神薬だね。何にでも効くって、やっぱりいいもんだ。
原発の耐震安全・信頼性国際シンポ
26,27日の「原子力きっ伝書の耐震安全性・信頼性に関する国際シンポジュウム」は実り多かった。26日は震災復興会議で午後からは欠席、27日は風邪の悪化でダウン。だから正味26午前と27午後鹿参加できなかったが原子力発電に関る多くの国と人たちが集まり、かなり純粋な議論が展開されたことを喜びたい。基本的に技術者達が一般の人たちに向かって何かを伝えようとする熱意とその難しさ、それらをひっくるめた原発にまつわる諸々の問題を、知の共有を図ろうとしていた姿勢は大変なものだったと思う。
27日、総括セッションで会場からの質問と言う形ではあったけれど吉田眞理さんのスピーチは感動モノだった。普通御礼を含んだ質問とは言え会場からのスピーチが満堂の拍手を浴び議長が立ち上がって深々とお礼の挨拶をするなんて光景を見たことが無い。それほど感動的だった。
たった一人の女性のスピーチが世界から集まった原子力技術者に勇気と誇りを与え、柏崎の文化の高さをしめた効果は図りきれないほど大きなものがあると確信する。
ここから眞理さんのスピーチ原稿です。
原子力発電所の耐震安全性・信頼性に関する 国際シンポジューム
H20,2,27
柏崎市の吉田と申します。原発立地に住む一母親の視点から、感想を述べさせていただきたいと思います。
まず、この度このような素晴らしい企画を都会ではなく、この世界一の原子力発電所有する中越沖地震被災地柏崎にて主催して下さいましたお気持ちに、心から深く感謝申し上げます。
この度の柏崎刈羽での「出来事」は、数十年間に数百機建設されるであろう、これからの人類の「原子力との共存」 に原子力ルネッサンスに転換する臨界期の象徴として、大切な役割と使命を有すると認識しております。
この度の企画をこの柏崎で主催したというこの行動は、「安全」のみならず実は「安心」にも多大なる貢献をしていると参加させていただいて私は感じております。
この度の企画が、再稼動の根拠としての議論では無いというお気持ちは、昨日お聞きしました。しかし、もし、現実的に再稼動をするなら、この柏崎刈羽には、ただの再稼動ではなく、世界への大切なメッセージとともにそれを成す事が「使命」として有ると思っております。
午前中の酒井様のご発言に、原発はビッグサイエンスというお言葉を述べられましたが、この地に住んでいるものとして、原発とは、「平和」を作る大きな使命が有るというのが、私の認識で御座います。
「平和」とは、世界に対する「安心」・「信頼」に繋がります。それは哲学を持った「人」造りで有ると思っています。
この度は安全でありましたが、自然は未知であります。次に何が起こるかわかりません。
「世界は一つの船に乗っている」というコメントが昨日ありました。原発を積んで、上手く人類が船に載り続けるためには、「平和を作り上げる信頼」が必要なのだと思っております。
この度の震災で、原発の知識がないという現実が「不安」や「風評被害」を生みました。又、消費地と生産地のあまりの温度差に、生産地で住む柏崎刈羽市民は、経済的、物質的のみならず、精神的なダメージを受けました。その柏崎でこのような素晴らしい国際シンポジュームを 開催してくださいました事は、それらを払拭し、はじめて世界一の原発が有るという事に私は“誇り”が持てるきっかけを作っていただいたような気がいたします。
私が心配しているのは、子供達に残すこの地球環境と、子供達がこの震災の後始末を世界の大人達がいかにするのかをじっと見ているという事です。この度の震災での学びが、科学技術のみならず、「平和」つまり、「穏やかな精神環境」を創る為の「人としての思いやりの学び」であることを母親として、祈っております。
情報とは、情けに報いると書きます。メディアは映像と言葉を使った芸術家で有ると思っています。コミュニケーションは、愛情であり、哲学で有ると思います。「信頼・哲学からの再構築」がこの度の再稼動に繋がると思っております。
昨日からの壇上での皆様の温かく、真摯なご発言に、企画して下さいました皆様、世界からいらして下さいました皆様に、心より御礼を申し上げたいと思います。有り難う御座いました。
文責・吉田眞理