大雪

2010年01月14日 風の戯言


 この世界から一切の音が消えて、雪が降っている。
 ただ、昔のように凍りつくような寒さはない。歳で感覚が鈍っているせいか? 今の時間、14日午前4時28分。

 友人からのメールで、久し振りに中村天風を思い出した。
 「心と感情は別のもの。心は行動を制御するシステム」
 確かこんな記述があり、救われつつ、また次の難題を抱えたように思っていた。
 人に豊かさをも齎すものは「感情」であり、その多くは荒ぶる感情をコントロールした時に与えられる。知性で制御できない感情の爆発は、祖先の神であるが如く人間らしく好ましくはあるが、嵐が過ぎた後の寂しさは、これ以上のものはない。
 本音と建前の問題で、山本五十六が友人にあてた手紙の中で「自分の考えていることと全く逆のことをしなくてはならない(開戦の事か?)のは変なもんだ」という意味のことを書いている、と聞いた。山本七平の「空気」そのものだが、もっと自由に「個人」の主張が出来たら日本は面白くなっていたのだろうと思うことがある。

 無音の世界で、つまらぬことに思い至っている。

冬の陽光の中で

2010年01月11日 風の戯言


 久し振りに青空と温かい陽光に恵まれ、3連休の最終日は無精髭に埋れながらの腑抜けを楽しんでいた。
 傾き始めた陽を受けながら、妻に首縄を引っ張られヨタヨタ歩く姿は、多分人目にも雄雄しくは見えたのかなぁ? とビミョー。
 ヨタッタ身体にムチ打つような脅迫概念で毎日アリナミンVとニンニクの力、睡眠薬と養命酒コップ一杯を何年も続けていたら、心身ともに融け始めていた。何事にも「あんべぇ」があるもので、過ぎたるは及ばざる如し・・・いや、害の方が大きくなるのだろう。
 思い切って全てを絶って、酒だけはなんともならないが・・・少しづつもとの元気が戻ってきた。

 酒乱性人生論の真髄は「人生如何に生くべきか」の問いを「人生、どうしたらうまい酒が飲めるか」に置き換えるところから始っている。「ほどほどに酒の買える経済力」と「語りつくせぬ話の泉」と「時間を忘れて飲める友人」が大切なのだ、と。
 自宅脇の「柏崎気球会館」に泊り込んでいた4−50人の京大生達と、そんな話で盛り上がっていた人生の季節があった。
 冬の青空を眺めていると、思い出すことが多過ぎる。

酒のない世界に連れてって・・・

2010年01月10日 風の戯言


 今年は4日から仕事始め。
 11時から賀詞交換会、夕方は社内で仕事始めの新年会。 「カル–ク」の予定が結構「濃厚に」になってしまった。

 5日は長岡商工会議所の新年会に新年号への寄稿者として「来賓」で招かれた。何とも居心地の悪い席だが、覚悟を決めて挨拶に回り始めたら前会頭の大原久治さんが居たり、酒井カマキリ博士がいたりで、もう賑やか ! 更にフロアを回れば知っている人たちが集まってくる。すっかり調子全開で蝶のように舞いながら飛ばしている内にカンコーの藍沢社長に誘われて2次会へ。
 フラフラしながら電車で柏崎へ。藍沢さんの娘さんに拾って貰って無事自宅へ。
 7日は長岡経営品質研究会に誘われて岡本先生のセミナーを受け、終了後岡本さんの結婚祝いにチェンジ。ここでもはしゃぎ過ぎて、どうやって家に帰ったのかなぁー?
 長岡は、柏崎と違ってみんな明るい ! 柏崎の経済人はこうはいかない。お互いが苦しい時に、如何に明るく見せるか、そこに大人の思い遣りと、優しさと、しぶとさがあるように思う。

 9日は柏崎の意味不明の集まり、名前は一応「新縄の会」、心は、前回の話が「ウンコ」に落ちてきて、辿ればトイレットペーパー、落とし紙、新聞紙を適度の大きさにきったもの、柿の葉っぱ、いやその前は「アラナワ」じゃぞ、と「ウンチク談」が盛り上がり、次回は正月だから「荒縄」ではなく「新縄の儀式」でやろうと、手の付けられない大人の暴走が始り、会場の「笹川」は大変なことになっていた。
 でもまた、こんな子供のような大人の酒宴はムチャクチャ楽しい。
 今日は、完全に一日ダウン !

明日から戦闘開始

2010年01月03日 風の戯言


 昨夜は娘の嫁ぎ先家族と娘の娘を囲み夕食。
 些か飲み過ぎて今日も午前中ダウン !

 午後から、明日から始る新春に備えて心の準備運動。
 ナンテ言ったって、机の前で痴呆症・・・まぁいいか!

 無気力のまま、週刊新潮の最終ページを飾るコラム「変幻自在」の高山正之の著書「アメリカはどれほどひどい国か」と「日本はどれほどいい国か」に浸る。幅広すぎる知識と辛口の鋭さは老朽化した頭の中を掻き毟る。
 元産経新聞記者で、出版元がPHPというのも面白い。
 経済社会だから新聞社もテレビ局も、企業として営利活動の継続性を法的前提とするが、マスコミがビジネスとしての本音に振り回されすぎるのも、根性がなさ過ぎる感がある。

 「和」とは真実を知り尽くし、飲み込んだうえで生きるしたたかさを大切にした「大人」の実践行動なのだろう。
 
 夜更けて、雪が小降りになってきた。
 明日から活動開始。

元日

2010年01月01日 風の戯言


 元日は断続的な雪に暮れている。
 風が強く、南鯖石の実家に新年の挨拶に言った時、久し振りに「森近山」が鳴っている音を聞いた。子供の頃何日も続く、家に吹き込む吹雪と山の咆哮が怖かった。電灯も少なく、暗闇の中で寡黙に耐えるだけの時間だったように覚えている。
 元日は集落の新年会と実家と妻の実家への新年の挨拶。ナントカ此処までやってこれたのは石塚家本家の支援によるものが多い。

 夕方からはテレビに噛付いている。
 「ウィーンフィル、ニューイヤーコンサート2010」
 ジョルジュ・プレートル指揮により湧き出てくるワルツ、ボルカは、同時中継の臨場感もあり、今までにない感動の波が押寄せてくる。
 痴呆症のおっさんが目を真っ赤にして音楽を聞いている・・・冷静に見ればそんな光景なのだろうが・・・感動を伝えられないのが口惜しいね。

 日本と朝鮮半島2000年。このNHKのアンコール番組も良い。

 久し振りに訪れた「自由の時間」を楽しんでいる。