9.11
あの日から6年経つのだそうだ。
巨大なビルが崩れ落ちる映像を見ながら、倅と「アメリカが変わる」と話し合っていたのを思い出す。「自由のアメリカ」の終わりの始まり、それを直感させるに十分すぎる「事件」だった。しかし、その後の展開は「仕組まれた」と思わせるにも稚拙過ぎた。多分、歴史的にアメリカは侵略にも植民地経営にも慣れていないはずだ。塩野七生の「ローマ帝国」の話を持ち出すまでも無く世界帝国の経営にかけてローマ帝国とモンゴル帝国に適う国は無いのかもしれない。
特に20世紀に入って動き出した「遅れてきた帝国」は、日本とアメリカは「ヘタ」な感じがする。
どうでもいいことか・・・。
「蓮池薫 訳」の文字に惹かれて「私たちの幸せな時間」を買ってきた。最初の翻訳「孤将」が強烈で、特異な環境にありながら彼の才能の輝きに魅せられた。翻訳とは、多分一種の「創作」なのだろう。「孤将」李舜臣の不安と孤独、いやそんな通常の言葉では言い表せないような生命と使命への絶望的な懐疑、そしてその先にある澄み切った世界。金薫と蓮池薫の合作は静かな深い感動をもたらしてくれた。
男には、時に命に代えてもやり遂げなくてはならないものがある。誰の賞賛も理解も無くてもだ・・・。狂っているのかも知れない。でも、それでいいのだと思うことにした。
片貝の花火 第2夜
片貝の友人が厄年の花火(本当は今日が厄年花火なんだって)の音を携帯に乗せて送ってきてくれた。花火の炸裂音と観客の歓声が伝わってくる。
15歳も年下ながら本音でいろいろな話が出来る仲間、熱気球に夢中になっていた頃からの、俺の宝物。
10時。四尺玉の上がる時間。
やはり気になって家の前に出てみた。静寂の後、八石山の鞍の部分が明るく輝き、地を揺るがすような音が重く響いてくる。みんな、喜んでいるのだろうな。今年も花火を揚げられて良かったね、そう話かけたくなるような夜が過ぎていく。今頃、賑やかに帰り道をぞろぞろと歩いているんだろうな、と嬉しくなった。
ぶどう村のぶどうは、越後ワインに引き取られていくと言う話を聞いた。良かったなぁ!
片貝の花火 浅原神社秋季大祭
重陽の節句は小千谷片貝町の浅原神社の秋季大祭が執り行われる日でもある。片貝の花火と人は言い習わしているけれど・・・。
今夜もまた大勢の人たちが集まって素朴な花火大会を楽しんでいることだろうなぁ。9日初日の見ものは42歳厄年の同級生が上げる銀冠りのスターマイン、お立ち台で「アガーレ、アーがーレ」の大合唱の中、鎮守の森の杉木立の隙間を埋め尽くすような花火が爆裂し、火の粉が降ってくる。
10日2日目の圧巻は還暦の善男善女が挙げる「金冠り」、これが又見事で頭の上から小判が降ってくるような凄い花火。
60歳の青春、老爺老婆と言っても又色気十分の同期生達が花火の打ち上げに完全に狂い踊っている。
人生が一巡して、いい歳こいて、こんな無茶苦茶な感動を味わえるなんて、小千谷片貝の花火は何とも羨ましい限りの祭りなのだ。
秘すれば花・・・
瀬戸内寂聴の本を始めて買ってみた。「秘花」世阿弥が佐渡に流されてからの生活を前半は世阿弥自身の語り、後半は佐渡で身の回りの世話をした紗江の語りとして、全編を静謐な世界が包み込む。
俺は「世阿弥」も「能」も何もかも知らない。しかし寂聴の世界に沈殿している時間は至福だった。こんなに静で激しい心の時代があったのかと・・・・。
薪こる遠山人は帰るなり
里まで送れ秋の三日月
順徳院の御製だそうだ。なんという美しさか!
天皇から防人や庶民まで和歌に映したこの国の心根の優しさを改めて思い起こさせてくれる。余分だが、この時代の欧州などでは「庶民」は動物に近い生活だったとされる。
浅田次郎は定番。今回は「月下の恋人」。ストーリーの豊かさと表現の確かさ。
「夜が闇の権威を誇っていた時代」上野駅から直江津行きの汽車に乗った「列車は何の前ぶれもなく、私の日常をぐいと押しやる感じで動き出した」
不意にこんな表現に出会うと泣き出してしまいそうになる。どうしてアイツは俺の心を掻き毟るのだろう。
台風は上手く柏崎を避けて行ってくれた。それにしてもにぎやかな年だネェ。
写真は高柳町荻の島 松尾神社