9月になれば
9月になれば・・・て言ったって、もう3日になるんだけれど・・・
9月になれば、夜の深さが違ってくる。
雨上がりの庭は虫達の声で静まり、シンシンと鳴る頭の中がうるさく、ただ黙して闇を見つめる。
全ての愚問は影を潜め、賢き答えは姿を消す。
心を留めて、ただ過ぎ行く時を楽しむ。
明鏡止水。
9月になれば、
誰だって、静に時を見つめる時間が恋しくなる。
奇妙な結婚式
9月1日、娘の結婚式が無事に済んだ。
1月の入籍、3月の新婚旅行、9月の結婚披露宴・・・
順序が少し変じゃないかな、とも思うし、1年かかりのイベントにしてしまうのも・・・まぁそんなもんかなと思いながら一緒に楽しんでしまった。
大勢の人たちに集まってもらい、みんなの祝福を受けて、幸せな子だな、と思う。
入籍が済んでも、新婚旅行から帰っても、嫁ぎ先と実家の間を行ったり来たり。それでも少しづつ実家に帰る率が少なくなってきたのに、披露宴の夜は当然のように遅くなって我が家に戻ってきて、家族みんなが「もう出てきたのか!?」
聞けば新郎は無制限一本勝負の3次会へ、娘は翌日、つまり今日は「嵐」のコンサートに親友のさっちゃんと出かける事になっていたのだそうだ。
大勢の人たちに祝福してもらい、又地震後の大変な時に散在させてしまった。なにか、親の立場として申し訳ないような気持ちもするけれど、とにもかくにも、奇妙な披露宴が終わった。新しい人生のスタートを喜んであげたい。
何の心配もしていない。
リサ・ランドール
昨日、何気なしにNHK-BS1を視ていて「美しき知性 リサ・ランドール博士 異次元の謎」に引き込まれてしまった。難しい理論物理学の世界を魅力的に、判りやすく語るその姿に、本物の知性に触れたような気がした。
理論物理学と言うのは数学により組み立てられた仮説であり、それを実験により証明されて世の中に出て行くものだろうと思う。博士が言うように、最初は電気理論は多分仮説であったろうが実験と応用物理学により電気は我々に計り知れない利便をもたらせてくれている。
異次元世界とは、多分我々が時たま感じる「霊感」みたいな世界のことなのかもしれない。博士の仮説では3次元世界がパンの一片のような世界が何枚かあり、通常はその一片から出ることはできないが、その何枚かの宇宙を行き来する何かが存在するのではないか、とまあそんな仮説のように思った。
考えてみると「共時性現象」なるものをいろいろ感じることが多い。また日本文化の深層にある「あの世とこの世」は遺伝子学で説明できるのではないかと思っていたが、何となく「あの世」が存在するのが正しいような思いになる。由緒正しき仏教徒?としては疑問が多いのだが・・・。
全てのものに始まりがあれば必ず終わりがある。それが生命であり、人間もあらゆる生物も地球も宇宙も同じ存在であると考えていたものとしては、この仮説には不安がある。しかし、自分の小さな頭で理解できた知識なんてほんの僅かなもので、気の遠くなるような偉大な知性と言うものが実在することも、俺は知っている。
夏の終わりに、俺はブラックホールに魅せられてしまったのかも知れない。
ひまわり?
デジカメ片手に別俣の水上集落を歩いていたら小さなひまわりの畑があった。畑に入り込み写真を撮っているうちに「おやっ?」と思った。ひまわりの花は太陽の方向を向いているはず・・・? なのにこの花は背を向けている・・・!
どっちが正しいのか分らなくなった。
フラフラと散歩していると痴呆症との違いは見えない。外観は勿論だが最近は自分でも本物と贋物の見分けが出来ないまでに進歩した。だから、たとえそれがポケットデジカメであろうと、「写真を撮っている」風であればそれだけでよそ様は安心している。ありがたいもんだ。
ところで、今日の東京は暑かった。35.8度。体温に近づくと熱暴走が起き、機能が止まる。東京に住む人たちは大変だ。この暑さが続けば電力不足から家庭用クーラーが役立たずになり、人間の干物が大量に出来そうだ。ミイラと見間違うほどの「安い干物」と3サイズバッチシの「特選物」からメタボっぽいものまで・・・冗談ともかく、柏崎原発が泊っている現在、福島に何事か起きれば「東京」は干物でなく煮物が出来るようになる。こりゃ大変だ!
もう少し何かを考える必要がありそうだ。
善根堰
加納から鯖石川を少し歩くと善根堰がある。
この堰から西江と呼ばれる用水路を通って鯖石川の水は安田の田圃を潤している。何処の用水もそうだが、稲を作るためにはるか上流から水を引く為の先人達の苦闘は忘れてはならないことなのだろう。
夏草の茂った堤防を、川のせせらぎと秋の気配を含んだ風が伴走してくれる。一面の田圃は実りの兆しで色づき、刈り取りまで大水と台風が来ないように祈っている。
子供の頃はこの川で水泳や川遊びをして夏休みを過ごし、夕方になれば愛犬セッターを連れての遊び場でもあった。鳥専門の猟犬は夏の川が大好きで、気の済むまで川の流れに浸り水浴びを楽しんでいた。川原の石に腰掛け、小一時間も犬の遊びに付き合っていたあの頃の石塚修は何処に行ったのだろう。遠い昔の自分に会って見たいと思う。
あの頃も何時も孤独だったように思う。犬達だけが心許せる仲間で、何時も5、6頭の犬を連れて遊んでいた。寂しいと思ったことも無かった。
宮平の堰から笹崎、行兼までは堰きとめられた川に夏の雲が映り、この風景もいいもんだ。次第に両岸の山も迫り、暴れ川を堤防の中に押込んだ農民達の喜びの歌が聞こえてくる。
森近の橋の完成は間近で、災害の度に流された橋が永久橋に建て替えられている。
もう少し堤防を行くと、俺のふるさと「行兼」がある。地名より人名に近い感じがするが、そのいわれは知らない。