白鳥はなぜ帰らない?

2020.01.30 風の戯言

冬はどこに行ったの ♪

今が、遅い秋なのか、早い春なのか、本当に冬なのかよく解らない。

不思議なのは白鳥が北に帰る時期を、本当に知っているのか?

長橋の池には、大勢の白鳥たちが遊んでいた。風が強かったからね。

季節感が狂って、今年は何やら大変な予感がする。

理論は平行線

2020.01.29 風の戯言

理論・理屈は何か為にすることがあればいくらでも成り立つ。

純粋な科学技術の理論でさえ、なかなか一致しない。
だから同じ条件で、実験が繰り返され、同じ結果がもたらされたら、その理論は正しいということになるのだろう。

社会現象は時代により地域により様々になる。
共産主義さえ理論闘争が繰り返されている。
泥棒でも三分の理で、要は理論は平行線、ということか。

逃げ口上や詭弁を弄されると理屈で屈服させることは難しい。

理屈を受け入れさせるには人徳が大切だが、世の中は着飾った権威と武力と金なんかなぁ。

弁護士という職業も、理屈と人間的な魅力で裁判長をどう味方につけるか。
その闘争のように思える。

タンスにゴーンも随分と身勝手なことを言っている。
理屈はあるが強欲が過ぎて、いずれホームレスになる。

愛とは何か

2020.01.28 風の戯言

社会にあふれた言葉として「愛」がある。
「愛と誠」なんてドラマもあった。

安岡正篤を読み続けていたら
「人が万物と生を同じうするところより生ずる共感を愛という」とある。

解りやすく言えば、万物には命があり、やがて消滅する、ということか。

星の命は何億年もあり、人の命はせいぜい100年であり、トンボや蝶は数日の命なのだろう。

それが真理だから、たった一度の人生を命の尽きる瞬間まで生き尽す、それしかないのだろう。

何も思い煩うことはないのだ。

「愛」とはもっとエッチなことかと思っていた。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

論語読みの論語知らず

2020.01.27 風の戯言

勉強は出来るが娑婆での応用力のないバカモノを、陰でそう言い腐していた。
何かの本で読んだことを咀嚼消化せずに自分の見解のように話す恥知らず。

バカタレ ! ハナタレ ! クソッタレ ! とミソクソに言っていたが、どうもそうでは無いらしい。

要は、自分で分かっている心算でも、案外分かっていないんだと悟ることがさらに大事、とのこと。

中途半端に安岡正篤を読み始めたら1ページ毎に無数の槍が飛んでくる。

まさに「吾日に吾身を三省す」である。

「自分は日に何度かわが身を反省する。
 人のために考え計って努力出来なかったのではないか
 友と交わって誠実でなかったのではないか
 教わってそれを習熟しなかったのではないか

人間万事「省」の一字に尽きるとも言えるという。
「省」とは省くの意味もあり要らぬものを捨てること。

文科省は要らないのかも知れないね ?

アフガンとの約束 中村哲さんのこと

2020.01.26 風の戯言

そんなに分厚い本ではないが、読了まで時間がかかった。

先日行われた中村哲さんの葬儀に5000人が集まったとのこと。
中村哲さんが25年にわたりアフガン精一杯に尽くしたことは日本人の心に響いたようだ。
かの地で、彼の棺を大統領が担いでいたのが印象的だった。

2001年、9.11のあと、テロ撲滅の片棒を担ぎ、日本も派兵した。
「戦闘が行われている所が戦地」だと時の首相は子供騙しの論理を展開し、野党は黙った。
自衛隊は米軍の傭兵になり下がった瞬間だったのかも知れない。

自衛隊の派遣は全くの無駄だ、と中村哲は国会で静かに叫んだ。
国会内に嘲笑が起こったという。
なんという国だろう。

本を読みながら、こんな人に会ってみたかったと思う。
こんな人の下で働いてみたいとも思った。

静かな自己観察とユーモア、真のリーダー像かと思う。
哲学と行動力と深い人間愛、そんな浅はかな表現しかできない自分に呆れる。