FOFCトリプルコンパインド

2016.03.03 風の戯言


 ビジネスは人を幸せにするためにある。
 宗教と違うのは、そのエネルギー源として人の欲を利用している。資本主義は人を幸せにする見返りに、自分の欲が達成できる。

 全ての産業はそうなんだろうと思う。
 だから、一つの産業を成立させるために「避難訓練」を義務づける、最優先させて実施をする、なんて俺には考えられない。

 日本の産業を考えると原発は避けて通れないのかも知れない。

 ただ、俺はフクシマの惨状が頭から去らない。震災の3ケ月くらい後、俺は南相馬の原発20キロの地点で、車を止められた。春なのに、農家の庭や田圃には草が伸びていた。

 「原発難民」は死んでも嫌だ。

 地域が生きていくために、電力は必要だ。だったら、原発の代わりないか? それを求めてビックサイトのセミナーを聞きに行ってきた。

 得られたモノは
 1.SOFCトリプルコンパインド
  これは須田先生に聞いていた。その確証を得た。
 2.このシステムが『地産地消』の可能性を秘めていること。
  大型発電設備では送電ロス、費用がバカにならない。

 いよいよ、コスト計算の領域に踏み込んでくる。

岸 博幸

2016.03.02 風の戯言


 「日本経済とエネルギーの今後を考える」

 商工会議所主催の講演会を覗いてきた。

 柏崎の地方創生を考える時、原発再稼働による交付金しかない、という結論から問いを逆登りした、柏崎を舐め尽くした講演は、氏の標榜するクリエィティブな視点が何処にもない。

 ハッキリ言って「バカ」だね。

 生活が大事なのは誰にでも判っている。ただフクシマのような『原発難民』だけは死んでも嫌だ、という地元の不安が何も判っていない。

 アホみたいな馬面には2度と会いたくない。

 石川和男のように、油やガスの輸入に1日100億円かかるのだ、このお金があれば・・・さぁ、どうするのだ ? と開き直られた方が本気になって考える。

 俺は絶対に他の方法を考える。任せといて !

 蕗の薹・・・まだ早いか ?

無罪判決

2016.03.01 風の戯言


 介護者が電車にひかれ、その事故で損害賠償を求められていた裁判で無罪判決が出たようだ。
 他人事でなくなってきた。

 と同時にいろいろ考えさせられる事故でもある。

 世の中の全てが変わりつつある中で、「長寿」は既に幸福ではなくなってきている。問題発言であることはわかりきっているが、死の価値が変わってしまったのだ。「惜しまれつつ逝く」というのが本来の『幸福な死』なのだろうが、介護に疲れ果て、自らの死を選ばざる末期というのは当事者双方にとって哀しすぎる。

 「70歳死亡法案可決」なんてバカな話も書いた。「ソイレント・グリーン」の背景のような人間の終末処理場も必要なのかも知れない。

 哀し過ぎる話になった。

 人間とは何か?

 今まで「正」と信じてきた倫理と価値観が変わらざるを得ない時に来ている。

 十字架を背負ってでも、人を救う宗教が必要なのだろう。

 自然の中で生きてきた日本人古来の人生観が人を救うのかも知れない。

 

もうすぐ春だぞー

2016.02.28 風の戯言


 いつの間にか2月が終わろうとしている。

 今日は小千谷の『風船一揆』 
 今年40回目、いい祭りが出来たのではと喜んでいる。

  
 冬とは思えないお天気で、念願の市内堀の山辺を歩いた。
 「おーーい、もうすぐ春だぞーー!」
 俺は枯れ草達に語りかけた。
 「うるせー、静かにしてくれ、俺はまだ眠いんだ・・・」
 なんとまた色気のない奴らだろう。

 家に帰って久し振りに鯖石川の堤防を歩く。
 「おーーい、もうすぐ春だぞーー!」
 同じ呼びかけにも、鯖石の草木はノリがいい。
 「そっかぁー、もうすぐ春か・・・待ってたぞー」
 見ている前で、気の早い八石の木々が蕾を膨らませてくる。

 今にも「酒が欲しい」と言いかねない草木達の温かさが、俺の心を和ませてくれる。
 瞑想と酩酊の区別が判然としない、仏の世界だ。

 閑話休題

 地球は何度も環境の激変を経験し、生物は5回も大絶滅に見舞われた。炭酸ガス濃度が急低下し、寒冷化による全球凍結したらしい。その後光合成による酸素濃度が上がってカンブリア紀の進化大爆発が起きたという。

 何という壮大なドラマだろう !

 この宇宙の中で、人間という不可解な生物が生きている奇跡の星の魅力がまた一つ増えたようだ。

見残しの塔

2016.02.22 風の戯言


 年老いた象は死に場所を求め、群れから離れやがて朽ち果てていくという。
 何故か、随分と以前からこの話が好きだ。

 見残しの塔
  周防国五重塔縁起   

 久木綾子が14年の歳月を掛けて84歳で書き上げたというこの本が好きだ。何年か振りに書棚から引き出し、ゆっくりと時間を掛けて読んでいる。そろそろ乱読の世界から脱出を図る時期なのだろう。

 かつて、この島国に暮らす人達が、神々と共に生きた確かな時代があった。

 源氏の一族新田の家系を伝える若狭新田家が歴史の中に溶けて行く、日向の山村椎葉村の大工を志す若者が、何かに引きつけられるように周防国瑠璃光寺の五重塔に引き寄せられて行く。そんな物語が、今は消えてしまった侍の矜持と運命に翻弄されながら己の幸せを掴み取ろうと足掻く女のつぶやきが古寺の苔の中から聞こえてくるような、いい本だ。

 新田と言えば、行兼の新保城は高橋九郎頭という新田の子孫の城だった、との言い伝えられていた。落城の際に死んだ13人の塚が、今もやや離れた山の上にある。

 本を片手に、今も残る五重塔を見に行きたい。