上高地

2009.09.26 風の戯言


 ジャカルタの山田医師と故玉井先生の御仏前に26日にお参りしようと約束していた。
 集合は25日の夕方、居酒屋[麻呂]さんち。だから柏崎を午後に出る予定だったが、急に一人旅をしたくなり24日午前中に会社を飛び出し、糸魚川-大町-松本をセンチメンタルジャーニー、3時頃には松本駅前の東急インに入った。

 悪友達と落ち合う約束は25日の夕刻。考えてみたら丸一日自由な時間ができたことになる。25日は朝から天候も良く、松本の山々に朝霧がかかり、[今日は最高]。思い切って今生に一度は見ておきたかった「上高地」に足を伸ばす。
  
 高校山岳部のアルプス縦走で槍ヶ岳までは来たが穂高は見ていなかった。以来俺の中では[上高地]は夢だった。こんな形で実現しようとは思いもしなかったのだが・・・河童橋も梓川も穂高も、もう思い残すことは無い。
 
 途中[乗鞍高原]の看板が見えたので進路変更、暫らく走ると体内の危険信号が点灯、無視すると碌な事が起きない。子供の頃からのこのシグナルだけは信頼している。迷わず引き返す。心残りはない。

 モヤモヤしていた「欝」は雨散霧消してしまつた。

メリー・ジェーン

2009.09.23 未分類


 人は生まれ、生きて、死ぬ。
  だから、人は死ぬ日に向かって生きている・・・池波正太郎

 こんな当たり前の言葉が心に残る時は大抵酷い「欝」だ。季節的にも稲刈りシーズンは毎年体調不良に陥る。なんでかね?
 しかし考えてみたら、もう此処何年も週に2回の鍼治療、そして週末のマッサージ。この何の役にも立たない身体を維持するために殆ど透析に近い治療を必要としていることになる。他に栄養剤数種。多分そんな日常も限界に来たのだろう。
 普段は月曜から金曜まで走り続け、土日は家で書類整理をやる・・・会社でじっとしていられない性分は、決して褒めたものではない。もう少し「利口」であっても良いのだろう。
 一人の事業家として、文字通りの激動の時代を生き延びてきた、良くも悪くも、そのことは正しいのだろう。しかし、人間の幸福とは何かを絶えず問い続けなければならない。

 人は生まれ、生きて、死ぬ。
 その「生きる」というのは、途方も無い努力の積み重ねなのだ。自分でも身悶えしながら生きてこそ、多少は人の役に立つ、のだろうと思った。

 しかし、もう少し遊べ、とそう結論付けた。それでいいのだろう。
 22日、急に小千谷の須坂屋の蕎麦が食べたくなり車を走らせた。店の支払いを済ませて、「親父さん」の消息を聞いてみた。自宅で悠々と畑を楽しんでいる。そして時折「おぢや雪原祭」の始りの頃を話している、と。30数年前のことを今も話しててくれる事を知って、思わず目頭が熱くなってしまった。「欝」の時にはこんな話が何よりも嬉しい。

 車を走らせながら、「つのだ・ひろ / メリー・ジェーン」を繰り返し、繰り返し聞いていた。一滴一滴水が吸い込まれるように心身を満たして行く。音楽って良いものだ。

 写真は小粟田原、カントリーエレベーターの近くから長岡方面を見る。かつてこの雪原から数十機の熱気球が飛び立ち「おぢや雪原祭−−嫁よこせ、風船一揆」が開かれていた。
 戦前には軍の隠し飛行場があり、蒋介石が此処にいたことがある、と古い本で読んだことがある。

秋晴れの空に誘われて

2009.09.20 風の戯言


 19,20日と柏崎に集まったミュージシャンが街のあちこちの店でジャズを聴かせる音市場。経麻呂さんと近藤淳ちゃんが目的で2,3の会場を追いかけた。淳ちゃんの歌に厚みが増してきて、涙が出そうになる。
 最近[欝]が強いと思っていたが、友人は「稲刈り時期だモノ」という。金木犀の花の香が闇間を漂う時期と重なると俺の「身体と心の痛み」がぶり返し、生きる意味も欲望も何処かに見失ってしまう。最近は「どうせ歳なんだし・・・」と自虐的な追い込みも掛けてしまう。参るね。
 しかしまた、心に開いた傷口を覗き込んでみるのも、楽しくは無いけど・・・自虐的な面白さもある・・のだ。

 秋晴れの夕陽に誘われて、ぶどう村から黒姫山を覗く。
 来年はこの牧草地の一端を借り、「綿羊」の放し飼いが出来ないかと、ひそかに案を書いている。主宰者団体「柏崎綿羊保存会」なんてね、民謡の連中に怒られるかな。
 この場所は刈羽三山に囲まれて、人家の明かりはほとんど見えない。星空が綺麗なんだよ。
 そうか、秋の一夜を星達と語り明かすのも良い企画かもしれない。みんなが星空を忘れているもんな。

 娘の娘が今日で1歳と1ケ月。
 そんな娘が始めて5,6歩 歩いた。嬉しいもんだね。

脳天火災 大人の休日

2009.09.16 風の戯言


 脳天火災の鎮火作業で家出した。良くないね。
 行き先は野尻湖と燕温泉。
 植木治療院の先生によれば、トラブルが続く時は家出が一番効くらしい。程度に依り、家からの距離を伸ばした方が効果的、だそうだ。心理学的に言えば、非日常に身をおくことの大切さ、を忘れていたようだ。みんなが働いている時に、一人車を走らせる罪悪感と開放感、そんな時間から逆に現在状況が見えてきたりする。
 世界の人口が2050年には65億から90億に増えるだろうという予測があり、地球環境が温暖化し、水資源と食糧不足が叫ばれている。経済の現状も楽天的な未来展望を欠き始めている。或いはそれが「神の仕業」なのかも知れないが・・・。
 リーマンショックから1年。世の中は2番底を目指して動き始めているようだ。

脳天火災

2009.09.13 風の戯言


 12,13日と2日間怒り狂っていた。褒めたものではない。

 12日は?刈共前社長土田穂波さんの御葬儀に参列。

 午後は徳川宗家18代御当主を迎えての「新潟日報歴史フォーラム」本題「柏崎と桑名藩」が市民プラザで開かれ講演を聴いてきた。いわば身内からみた「徳川時代」なのだが、世界史においてみると騒然として戦争に明け暮れたヨーロッパ、260年も平和が続いた日本は確かに特筆に与えする。
 歴史好きにとってみれば堪らない3時間だった。PHP出版からの「江戸の遺伝子」は好著である。

 が、駐車場から出ようしたら駐車券を紛失、暫し後に券の色を勘違いしていたことが判明、脂汗とカッコ悪さと自分へのムカつきが重なり、苛立ちは「潮風」でも鎮まらず、脳天に火が付く。何とか気を静めて漸く帰宅。

 13日は建設業時代の恩人の葬儀、準備万端で出ようとしたら数珠を忘れて・・・些細なことでイライラが頂点へ。
 ナントカ歳の功で表面上は凌いだが、内面は暴動勃発。ヤレヤレ! 何とも大人げない休日。