5月の風

2009.05.06 風の戯言


 大型連休も今日で終わり。NHKは「ゴールデン・ウィーク」という言葉は使わない方針らしいが、「GW」は風に吹かれるには一番いい季節。
 モミジが柔らかな緑の葉を茂らせ、八重桜が花びらを散らす庭で、過ぎ行く時間を惜しむこともなく、風に吹かれているのはいいもんだ。人間も光合成を必要としているのかも知れない。

 連休の中日、「みどりの日」に、そうかもう天皇誕生日でも昭和の日でもないんだ、谷根・赤岩ダムを見に行ってきた。ここも風に吹かれるにはいい場所だ。リクライニング・チェアと一冊の本があれば、それだけで幸福感に浸れる。
 人生で遣り残したことも、思い起こせば自裁したくなることも多いけれど、5月の風に吹かれていると全てが遠くに運ばれていくのを感じる。

 人を愛し、風になれ
 深い哀しみも、電流のような感動も
 それもみんな、人生の風

貞観園の庭

2009.05.02 風の戯言


 高柳の名園 貞観園の公開を前に御当主との面識会のようなことで貞観園を訪れた。主要建築お堂の修理がまだ未完なのと、工事の為に庭の苔が傷ついたままなので少し心が痛む。庭は雪消えの直後の柔らかな緑に溢れていた。もう少し経つと木々に力強さが出てくる。
 出来ることならば、草取りボランティアとなって、苔の上を藁草履と作務衣で、庭の風のようになって草を毟りたい。

 今日は山中の「春紀」に行き噂のラーメンを楽しんできた。イスが4脚しかない小さな店で、順番が来るまで40分くらい待った。
 待つ間に、麦麦べーカリーを覗きにいき乗岡君の元気な姿を拝見してきた。好評なパンは既に売り切れ、豊かな時間を過しているようでうれしかった。
 澤田屋のジンギスカンを持ち帰り、庭の桜の下で宴会を開いた。年に一回くらいだが、仕合せな時間を頂いている。
 
 昨夜は建設業時代の役所の仲間と、地震復旧の仕事が一段落したので、久し振りに溜まった何年ケ分の忘年会と納涼会をやっていました。
 土方から足を洗って22年になるけど、役人と業者の間なんだけれど、古い昔の現場の苦労話しながら一緒に酒が飲めることが涙が出るほど嬉しかった。

鯖石の春

2009.04.29 風の戯言


 春が低速爆薬のように静かに爆発している。
 5日ほど前の鯖石川上流は、と言っても山室から高柳くらいまでしか見ていないが、川筋の柳が柔らかな芽を吹いて啄木を思い出させるような風景があった。
 八石は様々な雑木の新芽が山を覆い、若い緑になる前の赤や黄色の何とも言えない生命の鼓動を感じさせている。
 この時期、正直言えば山の色の移り変わりをあまり見たことがない。建設業時代は雪解けの後の現場の完成と検査資料の作成で3ケ月くらいは殆ど休みらしいものはなかった。
 コンピュータ屋になっても春は、と言うか一年中気の休まる時間はなかった。自分で馬を下りて、まだ軍装は解けないが、風景を目にするユトリが生まれてきたのかなと思う。
 

春の血祭り

2009.04.27 風の戯言


 高橋和子写真展のときに、ゆう文舎の柴野さんと「トンネル・ワイン」(些か説明が必要ですが・・・省略)が残り僅かなので、そいつを『楽しく、やっつけよう』という約束を「ゆう文舎 春の血祭り」に結晶させて・・・やっつけた。
 2002ものビンテージを含め11本が空になった。料理は取り寄せたものと、中央病院さんの指し入れ、西山吉野さんの手作り山菜料理、高橋和子さんが北海道から取り寄せたチーズと花畑牧場の生キャラメルが届き、会場は大騒ぎ !
 オーナーの中央病院星山理事長御夫妻、本庁から出向組みの県の課長、長岡から美しき同志、我らエキストラとゆう文舎ボランティアなどで総勢18名くらい。個性の塊みたいなメンバーで、話に味のある人たちと酒を飲む楽しさを再確認した。展示された絵画に囲まれて、好きな酒が飲めるなんて罰当たりのような気もするが、これが現代の『サロン』なんです。素晴らしい空間で、このくうかんから新しい柏崎の文化が花開いてゆくように見える。いや、きっとそうなるのだろう。
 3軒目はお客がみんな友達で、大フィーバー。結局、3時御帰宅。なんてこった! 

 前日は「じょんのび村」で2組の友人夫妻と生ビールとドブロクをやっつけて、そのまま溺死。
 新装なった風呂を朝一番で「ごっつぉ」になって、部屋に戻って布団の中で脳死。8時半に起こされて朝食、参ったね。
 午後からソルト・スパ潮風に浸かって、朦朧としながら家に戻り爆睡。結局夕飯食った覚えはないし、何時『正式』に寝たのか良くわからない。
 年を取ると、不思議な日常が待っているようだ。

鯖石魚形石祉

2009.04.23 風の戯言


 私の実家、旧南鯖石村大字石曾根字行兼824番地の庭に、この辺りの地名『鯖石』の起こりと語り伝えられる「鯖石魚形石祉」がある。石塚家の5代目孫太夫智信という人が霊山「湯殿山」から1尺8寸の鯖の形をした水石を持ち帰り、人が見るに珍しいものなので庭に方6尺の石垣を回し「鯖石殿」と称して祭ったらしい。刈羽郡旧跡史に「鯖石の庄」のいわれに、そんなことが書いてあった。
 また、明治の初め頃、そこに学校を建てようとして他の所に移したけど、一晩で元の位置に戻っていた、という話が伝わっていた。石垣の中に埋まっていて、直接見た者は目が潰れる、との伝説も、あったらしい。
 昭和30年代の後半、兄と掘ってみたが何も出なかった。そっと埋め戻し、知らなかったことにしてある。まぁ、水石で鯖か鯉か解るはずもないと思うのだが・・・ボラだったら納得するかけど・・・。
 鯖石郷の石曾根の石塚。脳味噌の細胞まで石で出来ているようなカタブツの揃った一族・・・地名や苗字から見るとそうなのだが、先祖代々大ボラ吹きだつたのかな?

 新潟県経営品質賞のフィードバックセミナーがあり、課長以上役員が参加できた。心豊かな3時間だった。
 きっと言い会社になる・・・そんな気がしてきた。