地域での経営と福祉を考えるセミナー

2011.07.09 風の戯言


 表題の、少し長いタイトルのセミナーを昨日開催した。
 サブタイトルは
  誰もが働く幸せを感じられる組織
  —障害者雇用を通して考える—
 講師は
  法政大学大学院政策創造研究科教授 坂本 光司氏
  日本理化学工業株式会社 会長    大山 泰弘氏

 主催者は「地域での経営と福祉を考えるセミナー実行委員会」。
 当初は昨年の坂本先生のお話がよかったので、もう一度お聞きしたいと事務局の笹木さんにお願いしたところ「OK」が出、トライネット西川紀子理事長が「大山さんの話も一緒に聞きたいね」との事だったので再び新潟県経営品質協議会の笹木事務局長に電話を入れ、お願いしたら即時に諒解のご返事をいただきました。
 後で考えると、これだけ有名な人が柏崎を同時に選らんてくれた事は、未来に何か大きな可能性を残していると思う。

 夢中で企画したけれど「集客」がやはり気にはなった。しかし、「わかる人だけ集まればいい」と思っていたのに、市外の各市町村からも参加される人が多く、少しビックリしていた。
 100人ちょっと、と思っていたがフタを開ければ当日入館者30名くらいを加えて合計約250名になった。
 経済人の他に、県内の施設の人たち、役所の職員等、今までにない層の人たちも見えていた。
 何かが始まる兆しを感じた。

 スタッフの努力に感謝 !

七夕

2011.07.07 風の戯言


 頭の中に混在している「未整理物件」を書き始めたら A4用紙を4枚ほどになってしまった。覚えていたものだけだから、たぶんまだ重要なことがいくつかあるのだろう。
 優先順位を付け、一つづつ確実に実らせてゆく手法を確立させておかなければ、終生なのも出来ないままで終わってしまう。それもまた「アジ」なことかもしれない。終わりのその瞬間まで自らの信ずることを通す。そのことにしか意味、児らを納得させる条件はないのだろう。無意味でも…。

 今日は七夕。
 梅雨空が続いていて、二人の出会いは見えない。

 鬱陶しいが、これがまた、長い地球の歴史の一地方の今日だけの天気、だと思うと愛おしくなる。
 人は未来に夢を託しながら、尚、今終わるかも知れない自分の命を、その時に会い対面したら、迷うことなく、納得しなければならない。
 生は一瞬であり、そこに価値がある。

BLUE GOLD

2011.07.03 風の戯言


 南相馬から戻って10日にもなるのに精神不安定な状態は続いている。これはもう、俺の地なのかなぁ…。
 7月1日、元資生堂の白井先生から会社の経営品質アセッサーに講義をして頂いた。リチャード・フロリタの「グレート・リセット」(新しい経済と社会は大不況から生まれる)で紹介された1870年代、1930年代、そして現代の大不況は必ず次の世界の新しい価値を求めて激動していくはずだ、と。
 白井先生によれば、日本に経済と社会の価値観に大きな変動を与え、乗り越えてきた1930年代と1970年代のオイルショック、そして今回の東北大震災は日本人にとてつもない大きな試練を与えている。
 しかし、必ずこの試練を乗り切るだろう。という。
 大震災と経済の変動気が重なって、社会が大きく変わろうとしている現状の根本が見え難くなっている。
 これは人類の大きな変動期なのだと…。

 経済の変動期が明確な姿を現している。行政の財政がひっ迫し、単年度予算の中では処理しきれない「案件」が出てきた。これをどう解決してくれるか。現代ビジネスの基本だ。

 なんてモヤモヤした頭を抱えて「夏」を迎えている。

 今、「BLUE GOLD」に夢中になっている。日本においては「水と空気はタダ」みたいだが、地球規模の水の状況を調べるとそう簡単ではない、らしい。清らかな山水を背中に担ぎ下ろすところや、泥水の上澄みだけを鍋に酌んで帰る子供たち。そんな映像がテレビでよく見かける。
 人間は、水なしには生きていけない。その水を「BLUE GOLD」としてまさに貴重金属なみに扱いだしている。
 時代がまた大きく変わっていることを知らされた。

 柏崎は豊かな海に抱かれている。
 この豊かな海は、たとえ短期間だとしても、俺は避難しないぞえ。

南相馬市の夢

2011.06.29 風の戯言


 先週末の「福島」が俺を変えているようだ。
 大自然の前で、人間の存在なんて小さなものに過ぎない、そう自分でも悟っていたつもりでいた。しかし、大津波に襲われた後の、町の跡とも農地の跡とも見極めのつかない一面の「平野」。田圃があり、工場があり、商店があり、家庭があり、其々が未来を信じ夢を託し努力を重ねてきたのに、すべてが波に消えてしまった。

 仏教の世界では、命はいつ途切れるかも知れないから、いつ終ってもいいから、今日の命を最後だと思って「今日一日」を一生懸命に生きろ。そう、教えているのだろう。
 人は運命の逆落としを何時までも悔やむのではなく、100日を過ぎたら諦めと新生への希望を無理にでも胸に植え付けて、信じて生きねば、奈落の底に引きづり込まれてしまう。
 胸に涙の壺を抱えながら、温かい笑顔を絶やしてはならない。笑顔は人の心を救う。自分にどんな苦難があろうと、笑顔を絶やしてはならない。きっと、人は幸福を味わい、その幸せが、まだ自分を包んでくれる。

 人は生きなくてはならない。

 人は、人を楽しくさせるために笑顔を絶やしてはならない。
 楽しく生きなくてはならない。
 そして、時折誰もいないところで腹の底を絞り出して思いっきり泣かねばならない。
 涙は、自分の心を洗い、自分を強くしてくれる。

 絶望の原野に工場が再建され、スーパーが開店し、床屋が店を出していた。
 がんばれぇ!!!!
産業は「働く幸せ」のもとであり、みんなが明日に希望をつなぐことができる。

 頑張ろう!

福島を行く…鎮魂…そんなもんじゃない!

2011.06.25 風の戯言


 急遽思いついて福島を見てきた。
 自分と旅ナビ柏崎の2人の若い人たち。
 朝7時に出発し、夜8時に帰社。これで良かったのか、と問えばもっともっと時間をかけなけれ「わかったつもり」にしかならないのだろう。
 相馬から南相馬に入り立ち入り禁止の漁港を見させてもらい、福島第一原発20Km 規制の警官と問答し、津波で波返しがわずかに残った岸壁の隅で、鎮魂の祝詞を読み上げてきた。
 茫然として帰ろうとした時に、何処から現れたのか老婆が一人黒い犬を連れて突如現れた。綺麗だっハズの集落は1軒も残っていず、屋敷と防波堤の間にあった美しかった松林は跡形もなく、集落の墓地は完全に葬り去られ、隣の家に来たばかりの新婚家庭の嫁さんは、波に消えた。あれ以来毎日探しに出ているが、もう100日になるものねぇ、と涙を流していた。聴けばその「嫁さん」は新潟から来たの人だ言う。
 我々が来たのは、その人とのご縁があったからかもしれない、と申し上げたら涙ぐまれていた。「きっと何かの縁がある人なのだろう」と答えた直後から、自分の眼がしらが熱くなり涙が止まらなくなった。