夏の名残り

2010.08.23 風の戯言


 久し振りに、本当に何年ぶりだろう? 昔の工事現場でもある荒浜の海に行ってきた。
 浜は整備され、もとの堤防のところには道路が、砂利道だけど、走っていた。昔は殆ど来る人も無く、サマーベッドとパラソル、そしてビールと雑誌でも持っていけば朝から夕日が沈むまで幸せな時間があった。家にいる女房には不思議な人に見えたらしい。
 海水パンツにレーバンのサングラス、白髪頭の狂った老人にしか見えなかっただろうが、俺は成長の止まった青年。

 海水は清らかで温かく、もう9月が近いとはとても思えない。西に傾き始めた夕日と、キラキラ輝く海を見ていて、何かに追われているような気分が融けていくのを感じた。
 
 こんな時間が足りなかったのだ。
 
 今の原稿が出来上がったら、もう1度旅に出よう。
 俺には気ままな旅が必要なのだ。

 向こうに、微かに米山が見える・・・柏崎の夏

22年お盆 墓参り

2010.08.14 風の戯言


 昨日13日は前日の会社の納涼会の後遺症でグロッキー !
 お墓参りにも行けず、妻と倅に代参を頼み一日中ベッドの友。
 今日は朝の散歩と宿題を片付け、会社の帰路秋雄兄貴のお墓と石塚家15代の先祖の眠る行兼の墓地を一人でお参り。
 雨のお盆は、何か落ち着いていて、いいものだ。

長姉 佐藤愛子 米寿の祝い

2010.08.09 風の戯言


 7日、姉の佐藤愛子米寿の祝いが帝国ホテルであった。
 自分にとっては20歳年上でもあり「姉」というより「母」のような存在。「医者どん」佐藤秋雄義兄と、子供の頃からの親代わりだった。思い起こせば涙が止まらないような思い出が走り抜ける。
 人の心が熱く絡まりあい、慈愛と感謝が素直に行き交ったいい時代を生きられたように思う。

 集まったのは縁者30人ほど。茂ちゃんが用意したスライドが古き良き時代、皆の若かった頃の思いでが交差し、ひと時一族が共に生きた頃の懐かしい昔に戻った。

 姉もまだ矍鑠とし、11年後の白寿の祝いを待ち望んでいる。

実りの季節が来る。 出穂始る。

2010.08.01 風の戯言


 鯖石から市内に向かう道路脇の田圃の出穂が始っている。
 毎年、柏崎地域では一番刈入の早い地域、安田駅の裏側、明神集落や安田城の組の人たちの想いが伝わってくる。
 今のところ旱魃も出水の恐れもないようだが、天候が刈入まで無事であるよう祈るだけだ。
 各集落には神社があり、天候が微笑んでくれる事を、ただそれだけを祈っていたように思える。水を制するものは国を制する。皆を幸せにする事が、リーダーに求められる、というかそれが条件で奉るのだろう。
 「七人の侍」のラストシーンを思い出す。

夏、谷根の赤岩ダム

2010.07.31 風の戯言


 忙中閑あり。
 昨日の呑み過ぎにもめげず、午前中は会社で雑用整理。
 途中何を思ったか、お天気の良さに誘われて久し振りに谷根の赤岩ダムを見に行ってきた。誰にも会わずにこんな山奥に入るのは不思議な感じがする。
 溢れ出ているわけではないが、満々とした水を湛え、静かな時を過している魅力に感動する。
 柏崎のガス水道局の管理者、故月橋套氏の偉業を偲ぶ。今これほどの事が出来る人材は居るのか・・・なんてのは余計なことだが、一人男の思いが歴史を動かす生きた証のようにも思う。
 
 月橋さんは高崎山の洞窟観音で有名な山徳商店(山田徳三)が育てた中曽根康弘と並ぶ人。いゃー、俺は水道屋になったとかいいながら西行寺の山田家のお墓参りに来ていた、と住職が教えてくれていた。大きな人だった。

 柏崎の水道施設を考える時西巻進四郎町長の名も忘れられない。みんなが大きな夢を持って柏崎を引っ張って言ってくれた人たち・・・1度お会いして話を聞きたかったなぁ。