日本経営品質賞表彰式&報告会
昨夜は恵比寿ガーデン・プレース38階展望レストランで乾杯 ! 南鯖石村行兼集落に昭和16,17年に生を受け15歳まで同じ学校に通っていた幼馴染・・・あれ以来50年の月日が過ぎている。悠々自適の二人と未だ悪戦苦闘しているオッサンと・・・ワインと共に飲み下す様々な思い出がある。
様々なことが頭の中を駆け巡り遅くまで寝付かれなかった。
25日午前10時30分から日本経営品質賞授賞式が始まり寛仁親王殿下ご臨席の下に始る。我が社も地方賞受賞者として参列した。ロイヤルパークホテルでの会は盛会だった。
ただ、東京の連中と言うのは暇に任せて様々な遊びを作り出すのだな、と関しながら見ていた。へそまかり虫。
もっと面白い仕掛けが見えてくるぞ。
春の香り
春のような陽射しと青空に誘われて、久し振りにランちゃんと散歩に出た。家で寝ることが仕事になった老犬も、温かい陽を浴びて錯乱したように走り回っている。
雪に覆われているとは言え見慣れている風景のはずなのに妙に懐かしさを感じるのは何故なんだろう? 雪原を渡ってくる風も優しさに満ちている。
保育所の前庭の猫柳? コブシ? ハナモクレン? の芽が膨らみ始めていた。山の中に住んでいながら草木の名前が覚えられない。生来の記憶力の乏しさ故なのだろうが、もう少し興味を持ってもよさそうなものだ。文春3月号に寄せた谷川俊太郎のエッセイにも「草木の名前を覚えない、覚える気がない。・・・名前はどうでも良いが・・・楽しんでいる」そんな文が載っていた。いいね。
昨日今日と高柳の冬のイベント 高柳雪まつり「YOU・悠・遊」が開催されている。昨日の前夜祭はきっとミゾレ交じりの最悪の状況だったと心を痛めていたが、今日は朝からの好天。遊びに行く体力も気力も回復していなかったが、なにやら天が味方していてくれたようで、とても嬉しかった。きっと良い祭ができたのだろう。
沖縄のあと
沖縄の旅から帰って慌しい1週間が過ぎた。
日曜日の帰宅だったから今週は痺れた。どうも、週末がドッシリしていないと次の週は心が落ち着かないようだ。
自己責任とは言え、周に3つの夜の会は堪える。意識は朦朧として行動と言葉に気魄とヤクザ性が籠らなくなる。もう少し精進が必要なようだ。
昨日は疲れてボロボロになった身体を潮風温泉の長谷川プロに絶命するかと思うほど強力にほぐして貰い、今日は動かれずに一日ベッドの中。
惰眠の間に「下天を謀る」上・下を読み通した。
老後の楽しみにと、ベッド脇に20インチテレビとDVD/BLのシステムと随分前に買え置いたホームシアター設備を付けて貰い、弄って使い方を覚えたのも楽しかった。機械ものをいじっていると楽しくて子供染みてくるんだなぁ。
でも、何か不思議な充実感が漂い、久し振りにウキウキしている。
愛用のスタンドを直してもらったのも一因。和紙を通してくる光は自分の心を和らげてくれる。
来週は「おぢや風船一揆」34回目。楽しみだ。
沖縄の風
沖縄の旅をしてきた。
肩こりが酷く、ハリ師とマッサージ師に「生き方を変えろ」と忠告され、雪の世界から南の風の中へ身を置く事で少しは良くなるかと思った。友人は1ケ月くらい温泉療養に出ろ、そのくらい留守にしても大丈夫な会社でなければそれだけの会社でしかない、とも。魅力的な話だ。
石垣島に移り住んだ知人も居たりして、どんな所か見たかったことや、辺野古も実際に自分の目で見てみたかった。
たまたま石垣島でタクシーの運転手が島で最大手のタクシー会社の常務取締役で、乗務員の管理や経営上自分で最前線に出ることが一番良いとの考え方の人で、知識も人間的にも凄く魅力的な人だった。そんな人を娑婆が放って置く訳も無く、テレビの番組にもいろいろ狩り出されているとか。石垣島が一段と魅力的になってきた。
沖縄本島は最悪。ホテルは辺鄙な山の中だし、オマケに雨。
それでも名護の辺野古、米軍基地の移設問題で話題のキャンプ・シュワブを見に行ってきた。曇り空で海は暗く、本当の姿が見えなかった。沖縄の重さは、そんなに簡単にわからない。
なにやらイライラの連続で、新潟空港からの帰路、白い飯豊連峰と平野が見えたとき、不意に涙が出てしまった。
人間、生まれたからには「生命」を使い切れ、とドラマの中で龍馬の父が言っていた。男は何がしかのことをやり遂げる為にこの世に生を受けてきたののかも知れない。
人生も、そんなに簡単にはわからないのだろう。