長岡商工会議所 新年号への原稿
卓越した業績を目指して
経営品質アセスメントへの挑戦
今年もまた激動の年になりそうです。一昨年のリーマンショックで「地域経済」は世界の経済環境に直結していることを否応なしに実感させられました。しかし競争社会の限界も見え始め、「経済とは皆が生きる仕組み」、或いは「仏教の根本は共生(ともいき)」という言葉も見直されています。企業は営利活動による継続的成長を法的前提としていますが、同時に自然環境との調和と、社会、顧客、社員に対し責任ある存在としての自覚を求められ、同時にデフレスパイラルの予感の中で企業経営は難しい舵取りを迫られています。
弊社は「総合情報サービス業」として業務ソフトウェアの設計・製作、情報通信ネッワークの構築、情報関連業務の保守・サポートを主業務とし、顧客は自治体、企業、個人等多方面に渡り、ユーザーは全国に広がっています。顧客の知的情報資産に直接触れ、「信頼と創造」社是とする企業として「社員満足なくして顧客満足はありえない」と考えています。社員の人間性の向上、専門知識と技術の向上、経営の安定が何よりも大切になります。
創業20年を目の前にし、経営を次世代に託し継続的成長を考えていた時、顧客の部長さんから「経営品質アセスメント」の話を聞き、「これしか、ないっ !」と思い至りました。以来6年、試行錯誤を繰り返し、セルフ・アセッサーも9人育ち、経営の視点を顧客本位、独自能力、社員満足、社会貢献の経営品質4つの理念に照らして全社で見直しています。社員50人の小さな会社ですが朝礼時当番の社員が経営についてスピーチし、社内ホームページに発表しています。たどたどしい歩みですが、昨年は新潟県経営品質賞奨励賞を頂きました。やっとスタートラインに立てた思いがします。
今年は「柏崎経営品質研究会」で新潟産業大学に「経営品質とは何か」を主題とした寄附講座を開設させて頂ことになりました。「地方の時代」には其処で生きる為の経営学があるはずであり、経営品質アセスメントは地方の中小企業にとって継続的成長のための知恵と勇気を与えてくれる科学的経営実践学だと確信しています。
日本生産性本部、経営品質協議会の支援を頂きながら、原発立地地域の自力による自立を目指したいと考えています。地方が経済的自立を果たすことは簡単なことではないけれど、経営者が熱意を込めて未来を語り、社員と地域と共にその価値観を認識・共有し、実現に向けて共闘していくならば不可能はない、と信じています。都会で失われつつある本来の人間の生きる喜びと、知的資産経営と呼ばれる現代の経営は地方でこそ可能な筈だと思うからです。
坂の上の雲
社員の永井君から教えて貰って今日3回目のNHK「坂之上の雲」にのめり込んでしまった。司馬遼太郎は最も好きな作家で、特に「街道を行く」は全巻書棚に収まっている。「坂之上の雲」は正岡子規や夏目漱石の物語から日露戦争物語と2つの物語を一つにしたような不思議な本だったと記憶している。
最近、テレビ・新聞の方向が以前と明確に違ってきたような気がする。時代が変り始めているのだろう。沖縄の基地問題も日本の叫び声を感じるようになっている。アメリカに振り回されて独立国家として本当の幸福が可能なのか、まだ明らかな声にならない地の底からの何かが伝わり始めている。
週末には娘が娘を連れてやってくる。
そろそろ1歳と4ケ月。雪はないとは言え12月の風の中を、家に帰ろうともしないで自宅前の公園で遊んでいる彼女に、何とも言えない嬉しさが込み上げてくる。
最近は雲の色や形、紅葉や自然の美しさに以前とは違うものを感じ始めている。何となく懐かしく、嬉しく、花の形や水の色が良く見えるようになった、ような気がしている。
多分、アセリが薄らぎだしているのだろう。考えてみれば今までの時間より未来の時間が確実に少なくなっている。生命を持ったものにとって、それは決して忌むべきものではなく、それはむしろ生きるものへの祝福ではないかと思い始めている自分がある。
何時の時代でも、生きることが安楽であるはずはない。しかし、自分達の世代は歴史上稀に見る幸運な時代を生きてきたのだろうと思う。この先に何があるのか、見届けてやろうじゃないか、と今まで思いもしなかった考えが浮かび始めている。齢のせいで死に欲が出てきたのかな?
一枚のCD
小雨降る暗闇を見詰めながら、一枚のCDを流し聞きしている。12月だというのに窓を開け放したままでもそんなに寒くもない。窓辺でグラスで酒を飲みながら、暗くて何も見えない庭をボーとして眺めているのは心地が良い。もう1時を回ったのだが・・・。
「作家の使命 私の戦後」山崎豊子(新潮社)を読み続けられなくなった。作者が作品の背景を語るのには多少の抵抗がある。しかし、彼女の創作に向かう取材活動を知ることで、その小説の奥深さが増してくる、そんな思いが強い。
いろいろと批判されている作家ではあるけれど、彼女の建築家のような構想と設計、その後の細部にわたる且つ現場にたった取材、しかも膨大な資料読み込みなどを知ると、あの記述の確かな手ごたえが納得でき、新たな感動が蘇ってくる。
この本の中で何箇所かで啓示されているゲーテの格言
「財貨を失うこと、それはまた働いて蓄えればいい。
名誉を失うこと、それは挽回すれば世の人は見直してくれるだろう。
勇気を失うこと、それはこの世に生まれて来なかっ方が良かったであろう」
随分な言い方だが、誇りある生き方は何事にも優先されるべきもの、なのかも知れない。
青すだれ 秋の図
「文芸春秋」に3ケ月連続掲載された浜矩子の「経済白書」は現実の経済状況を見直すいい材料だ。この稿とジョ-ジ・ソロスの警告と合わせ読み直してみると、世界経済の脆弱性が浮かび上がり、ドバイ発の激震の未来が見えてくる。
世界は常に綱渡りなのだが、現在の状況は文明史的な変換点である事を実感させている。経済の仕組みと価値観が変わってしまったのだ。
新しい時代には新しいやり方がある。ただ過渡期の現実は単純そうで魅惑的だ。表面的な現実の根底を理解する為に知恵と情報を総動員しなくたはならないのだろう。浅はかな現実認識では目的とのギャップを埋めて行く戦略の根底の出発点がずれている事になる。
知的資産経営は人的資産経営であり、価値観のズレを認識し、共有化し、報連相によるコミュニケーションの促進、ナンテ教科書的ではない全人格を振り絞った弁証法的によるアウトへーベンが求められる。
激動期、人が生きて行くのは容易ではない。でも、それはそれで楽しいではないか。
庭のモミジがいい色に染まっていた。