11月8日の「ぶどう村」

2008.11.08 風の戯言


 株式会社「柏崎ぶどう村」の社長になり損ねてもう2年近くになる・・・・・。昨年は畑でぶどうが採れたけど、今年は世話する人もなく、草茫々。
 「鯖石ぶどう園」は中鯖石の農業文化遺産。このまま放ったらかしにされたままでは寂しすぎる。「ぶどう村を守る会」を立ち上げる時期が来たようだ。

 写真は入り口の坂を上り詰めたところにある「もみじ」。 綺麗な赤に染まっていた。

 装いて人待つ山の紅葉かな        草風

明日は立冬

2008.11.06 風の戯言


 秋深し隣は何をする人ぞ  芭蕉
 旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡り・・こっちが好きだな。

 明日は立冬
 先日、戸隠に向かうとき妙高には雪があり、火打はもう白くなっていた。

 写真は自宅前の公園にて

加納神社 遷宮祭

2008.11.03 風の戯言


 俺の住む上加納地区には八所神社と白山神社の2柱がある。ここも例外ではなく少しづつ過疎化と高齢化が進んでいる。夫々に先人達の思いの籠った神社なのだろうが、もう3,40年も前から統合の話があった。それがスムースに運ばなかったのは古いものへの拘りがあったに違いない。
 2度の地震を期に「統合の話」が進み、今夜遷宮祭が行われる。新月の夜に灯りも会話も閉じられて、正装に白手袋、マスクの出で立ちで暗闇の中を集落中の善男善女がただ黙々と古式に則った所作を繰り広げるのは、可笑しいようで、実は静粛な気分になる。
 というのはかれこれ30年ほど前、八所神社の神域拡張と社殿の修理拡張の経験を覚えているから・・・。

 みんな現代的な生活に浸り、村の神社なんてあまり念頭にはないのだけれど、でもやはりいざとなるとみんな神妙な顔つきでリハーサルに余念がない。
 加納の集落の中ほどの、実り豊かな「紫雲谷」が鯖石谷に合流するのどかな風景の中に、新しい神社は早くも溶け込んでいるように見える。

 佐藤宮司の優しく諭すような手順の説明に集落の人たちが神妙に頷いている。こんな風景も良いもんだ。

カラマツの林からの誘い

2008.11.02 風の戯言


 31日、無事に経営品質申請書を提出できた。面倒な社長と社員の間に立って取りまとめてくれた事務局に感謝!
 中越沖地震の後、あまり新潟にも行っていない。仕事の一区切りがついて、仲間と夜の古町を襲撃してきた。暫らく行ってなかった店に「養命酒」が残っていて、昨日は一日ダウン。「養命酒で二日酔いする馬鹿がいる」なんてネタにされていたらしいが、口惜しいけどホントになってしまった。まぁ、飲める健康が回復してきているということか。

 今日は早朝から良い天気。ベッドから青空を見ているうちにカラマツの林が見たくなった。もういい色になっているんだろうな・・・頭の焦点が合いだした頃合を見て、コミュニティの「秋の収穫祭?」を一回りして戸隠まで車を走らせた。
 
 からまつの林を出でて、
 からまつの林に入りぬ。
 からまつの林に入りて、
 また細く道はつづけり。
 
 カラマツに魅かれるのは間違いなく白秋の名残だろうが、奥行きの計り知れないようなカラマツの林に出会っていない。やはり浅間なのかな。

 カメラ片手にブラブラしていると川の水音に吸い寄せられた。目と肌だけで感じていた自然に「音を聴く」楽しみがあったのかと気がついた。風の音や虫の音(ね)も良いけど、せせらぎの水の音には何とも言えない安らぎを感じる。
 走りながら、時折車を止めてトランクから折りたたみ椅子を取り出して広げ、秋の雲と遠い山波を見ていると、風が軽い眠気を運んでくる。戦乱の中の一炊の夢、か。

中越地震 4周年

2008.10.24 風の戯言


 昨日は中越地震4周年、6時少し前「丁度、この時間だったよね」などと当時を思い出しながら「じょんのび村」で話し込んでいた。「じよんのび村」は来年春までの工事に入り、閑散としていた。ここもあの地震で手酷くやらてしまったのだが・・・。試練は続く。
 前日の22日夜は「NPO 全国防災支援ネットワーク」の代表理事の羽鳥さんと初対面ながら午前様に近くなるまで飲んでいた。芭蕉が「奥の細道」行脚で柏崎を訪れた時、連絡の手違いで宿を断られた、と伝えられる「天屋旅館」、本当は本家の「天屋旅館」だったらしいのだが、子供の頃に海に連れてきて貰って遊んだ、と言う懐かしい思い出を手繰り寄せながら、中越沖地震でメチャクチャになった建物をボランティアで修復したという、女将の語る嬉しい話の主から尽きない物語を聞き続けた。余談だが「天屋旅館」は「江差追分」の市川与一郎の縁に繋がる。

 そして、今日は株価が8000円を割った。
 世界の主要国首脳が額を寄せて練った対策をあざ笑うが如く6000兆円とも7000兆円とも言われる世界のホームレスマネーが、暴れまわる癌細胞のように自らの生存環境である世界経済を叩き壊している。
 後の世界史で、この時代は何と語られるのだろう。