学園都市 柏崎
柏崎は残念ながら長岡の「米百俵」のような明快な教育の理念を持ち合わせていません。江戸末期、藍沢南城三余堂の隆盛は夢の中であります。
しかしながら21世紀知識情報化時代の地域社会経営は人材の育成に懸かっています。故に、良くぞこの地に2つの大学を残してくれたものと先人達の先見に感謝するものであります。教育は百年の大計であり、古今東西変わることのない理念かと思います。
私達はこの激動の時代を子供達の教育と、この教育環境を育成し未来の子供達と地域の繁栄に繋げたいものと熱望しているものであります。
未送信のメールが残っていた。
整理し、新聞に投稿してみたいと思っている。
母親
母親の名前を、大学卒業まで知らなかった。
7人の子供を生み、生命が尽きたのかも知れない。5歳の時だったそうである。継母が出来、俺は母の名を「忘れた」。7歳で祖父が死に、10才で父親が死に、15歳で祖母が死に、母親の名前なんてどうでも良くなったのかもしれない。
母の名前は千歳と言う。大学の卒業名簿か何かに名前を記入する欄があった。故郷に暮す長姉に、俺は明るい声で尋ねたらしい。電話の向こうの声が突然に泣き叫び、俺を罵り、やがて嵐が過ぎて、長い時間消ええるように泣き続ける電話を、俺は切った。
俺はとんでもない事をしてしまったのかも知れない。考えてみれば、24歳にもなって母の名前を知ろうともしなかった自分は本物の馬鹿者なのかと心底情けなくなった。
母は14代続く旧家の一人娘だった。祖父達は何を考えていたのか、、地域の曹洞宗の大寺の檀家総代の一人娘を横浜のフェリスに遊学させた。大正時代の何とも大らかな空気が伝わってくる。
病を得て、実家に戻った母はやがて父と一緒になり、賛美歌を口ずさみながら子育てや家の掃除をしていた、という。みんな姉達の話だ。
15歳まで生きた祖母から母の話を聞いたことがない。今にしてみれば、子供に先立たれた母の悲しみを思うことが出来る。幼子を残して死に行く母の悲しさと無念を、思うことが出来る。その母の悲しみと無念が、今も俺を見守っているのかも知れない。あの世、ってのがあるのかもしれないと思う。
まだお盆、でいいのかな。
オシムの言葉
いま「オシムの言葉」が面白い。
この本を読んでいてオシムと言う人に興味を持った。オサムは嫌いだけれど・・・で、サッカーを見るのが楽しくなった。先日のイエメン戦もいわゆるオシムのサッカーの先端が見えた。日本サッカーの文化みたいな後ろへのパス回しには相変わらずイライラさせられるが、ボールを持ったらゴールに向かって走る、とにかく前へ、チャンスだと思ったら果敢にシュートを放つ、それがサッカーだと言うオシムジャパンの明日が楽しみだ。
「重要なことは、ミスをして叱っても使い続けることだ。
選手と言うのは試合に出続けていかないと成長しない。どんな悪いプレーをしたときでも、叱った上でそれでも使う。ミスをした選手を、それだけで使わなくなったら、どうなる?
その選手はもうミスを恐れてリスクを冒さなくなってしまうだろう。何時までもからを破ることは出来ない」
オシムの言葉は深い。
彼の背負ってきた悲しみと無縁なわけはないけど、やはりというか、残念ながらと言うか、人間には特上、上等、中等、下等などの幾つ彼の格差がある。彼は特上に属するのだろう。馬鹿には人が見えない。見えるのは自分だけ。所詮人は見たいものだけしか見えない、のかも知れない。
地域と大学
軽々しく引き受けてしまった柏崎市第4次総合計画市民会議の副会長職に悶絶している。当初は委員の一人として気楽に参加していたのだが吉田新潟産業大学学長の任期途中の会長辞任と言う一波乱が有り、刺々しくなった会議を和やかに進行させるのが俺の役割と自認し副会長職を受けた。それなりの期待は果たせていると思う。
行政における「長期発展計画」の位置づけとその策定手法は理解しているつもりではいる。選挙の洗礼も受けない、専門知識も関連情報に触れる機会の少ない一般市民が今後10年にわたる10万年の戦略構想を描けるはずがない。従って会議といっても個々の委員が自分の思いを述べるだけで、意見陳述会であって議論の場ではない、のは前回前々回の経験から知っていたはずなのに・・・悶絶している。議論にならんのじゃ・・・。市民の海からどんな基準で選ばれたのか、とにかく30人の委員が背負う背景の総和は広すぎる。それが柏崎今後10年の課題なんて言われても混乱の渦に巻き込まれてしまい、まとまりがつかない。
会議終了後はみんな絶望と欲求不満の塊みたいな顔で部屋を出てくる。酒に誘っても仏頂面で帰ってゆく。とりあえず自分の精神状態だけでも平穏に保っていかないとテロリストが誕生してしまう。
柏崎は海と山に囲まれた人口10万の古い町。北国街道の宿場町であり、北前船の港町でもあった。明治後石油産業の発祥地でもあり、鉄鋼業の栄えた農村工業都市でもある。
近年、高速道路の恩恵を受けたけれど高速新幹線の谷間が心配されている。世界最大の原子力発電所の立地を受け首都圏との経済関係は濃厚であり、工科系の新潟工科大学、経済系の新潟産業大学という2つの4年制大学の立地がある。
このファンダメンタルを受けて、未来計画を立てるとすれば郷土の師弟教育しかないだろうと思っている。俺に立案執行させてくれればあっという間に学園都市柏崎を立ち上げて見せるのだが・・・。
アルビン・トフラーの「富の未来」でもそうだが、未来は知識情報化社会になる。知識が一番の富を生み出す元となりその傾向は暫らく続く、という。地域を支えるのは高度な知識を持ったリーダーが活動する経済社会なのだと。そのための福祉であり健康づくりなのだと。
柏崎の毛色の違う2つの大学の存在は非常に大きな意味を持つ。しかも10万都市にあるというこの凄さを戦略的に活用しないてはない。絶望している暇はないのだ。