サハシノショウ
6月が近づき、紫陽花の季節がやってくる。
5/26の新潟日報 日報抄に「サハシノショウ」が取り上げられていた。
その話題の近くで事の仔細を目撃していた身には飛び切りに嬉しい話。
「サハシノショウ」は深い蒼色の紫陽花で、多分この世で最も綺麗な紫陽花。
横村出さんの「放下」に出てくる毛利「佐橋の荘」との縁深き紫陽花。
一度だけ実物を新道で見たことがある。
横村さんの「チェチェンの呪縛」は今のウクライナを知るに絶好の本だと思う。
朝日新聞モスクワ支局に勤務してた時のレポート。
記者の目に、温かい血の温もりを感じる。
奥さんは星野知子さん。女優とは思えない楚々とした美人。
与板の周広院は自分の菩提寺と定めた曹洞宗のお寺。
同じ墓地には八石城主の墓もある。
横村さんから頂いた紫陽花の芽はしっかり育っていた。
クマを探しに
叶屋で韃靼蕎麦を食べていたら、隣が馬場さんで、天気がいいからクマ探しにと与太飛ばして店を出た。
「クマさんに会ったら宜しく伝えて下さい!」
ギャッ、一本取られたようだ。
そんなわけで、久し振りに353を走ってきた。
写真は高柳石黒と野田を結ぶ小岩トンネル。
残念ながらクマは出なかった。
車の中で「雑草」を思い出した。
「雑草という草はない」昭和天皇の言葉として無茶苦茶好きなんだが、元は牧野富太郎か。
しかし昭和天皇の「雑草」と、植物学者牧野富太郎の「雑草」の意味・含むものは自ずと違ってくる。
週刊誌か何かで池上彰がAIの蘊蓄を語ってい記事にあった、AIは言葉の意味まで理解しうるか、という話。
日本語の妙、特に俳句は言葉の裏の世界を「読み取る知識・感性」
そんなこと言ったセロシアの「アクネドート」とかいう世界、いやあれは風刺を察して笑う庶民の世界か?