坂の上の雲

2010年12月04日 風の戯言


 「坂の上の雲」に流れるサラ・ブライトマンの「Stand Alone」が何処からか聴こえてくる。人間の寂しさと必死になって放すまいとしている「何か」を、あの透明な、人の声とは思えないソプラノが鷲づかみにしてくる。
 司馬遼太郎の「坂の上の雲」−日露戦争の旅順口-第2回旅順港封鎖作戦に「千代丸、福井丸、弥彦丸、米山丸」の船名が出てくるが弥彦丸、米山丸は柏崎と縁の深い小樽の板谷商船の船であったという。越後タイムス前主幹吉田昭一氏から聞いていた話で、いろいろな資料で確認している。
 貴族院議員、参議院議員板谷順助は柏崎市四谷の出身。

 話が逸れた。
 「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている」
 この本の冒頭に書かれた一行だが、歴史を振り返ってみると、現在が如何に多くの困難を乗り越えてきたかが実感させられる。生成発展、この言葉の深さ。

 明治維新が1868年
 日清戦争が1894年(明治27年7月〜28年3月)
 日露戦争が1904年(明治37年2月〜38年9月)
 一次大戦が1914年〜1918年
 二次大戦が1938年〜1945年
 そして2010年が間もなく閉じようとしている。

今日から12月

2010年12月01日 風の戯言


 久し振りの東京会議を終えて家に辿り着けば、満天の星が我の帰りを待っていてくれる。しばし夜空に魅入り、人の繋がりの温かさに感謝。この仕事を始めて20年近くの付き合いから来る信頼感の蓄積とは、やはり有難いものだと思う。今日は建設システム課配野君の誠実なネットワークが実り始めたところ、もう少し見守ろう。
 新橋の林立する素敵ビル群のひとつに忍び込み、41階のフロアから見る風景は町抜群。御馳走になり地上に降りたら「写真の世界」、何処だかわかんないけれどいい風景。
 本当は表参道のエルミネーションも見たかったのだが、これは後の楽しみ。12月になって、東京の魅力が爆発しているようだ。

米山林道

2010年11月28日 風の戯言


 秋の陽に誘われて、昨日は米山林道を終点まで攻めて来た。「攻めてきた」というのは少し大袈裟だけれど林道の至る所に「落石注意」の立て札があり、途中には「今落ちたばかり」の割れた石が路面に散らばっていて冗談は止して欲しい雰囲気。久し振りにビビッた。熊に出くわしたら写真を撮ろうとデジカメをスタンバイさせていたが、そんなゆとりは何処がに吹っ飛んでしまった。
 帰路、大平の集落を過ぎて「手打ち蕎麦」の幟に吸い寄せられたら、そこは「米山ガーデン」。中学の同級生、本間公一が主宰する山と海と池とハーブに彩られたロッジのある、それは素晴らしい山の庭園。
 話には聞いていたが名前と場所がわからず今まで来なかったのが悔やまれる。
 夕方は女房とじょんのび村。一風呂浴びて飯を食っていたら大勢の知人友人が次々に声を掛けて来てくれて、賑やかな夕食になった。

 もう、12月も間近い。

無題

2010年11月23日 風の戯言


 先日のじょんのび村のドブロクとほんのび饅頭の組み合わせが悪かったのか、そのご飲み会が重なったのが悪かったのか体調不良が続いている。頑迷なインキン田虫は治まったようだが。

 眠れない夜を、古い引っ張り出して聞き出したらパティページの「テネシーワルツ」にまたつかまってしまった。
 あの、男の心をギタギタにしてしまうような歌声を聴いていると、高齢者の自制心なんぞ何処かに吹っ飛んでしまい、部屋の中を喘ぎ喘ぎ、恍惚と後悔の海をのた打ち回っている。全ては過ぎ去った時間でしかないが・・懐かしいのだ。

 我が家の紅葉の写真があった。
 二度と帰ってこない、我が家の秋。

我が家の秋

2010年11月21日 風の戯言


 結婚して38年が過ぎ、秋雄兄貴が亡くなって36年になろうとしている。母が逝って63年、父が58年。
 過ぎ去った時間を、庭の椅子で赤く染まったモミジを見ながら数えていると、山口百恵の歌の世界に沈んでしまいそうになる。

 穏やかな、小春日和が3日も続き今日は畑仕舞いの儀を執り行った。豊かな恵みをもたらせてくれた畑を片付け、庭と畑の神様に灯明と酒を捧げる。自分達だけのささやかな行事。

 夜の庭に出てみると満月が輝き、星達が瞬いている。