秋祭り
朝には八石山に霧が流れ、澄んだ青空に赤トンボが舞い、夕陽に公園の銀杏の葉が燦めく。雲は様々な美しい色を奏でている。夜になれば満天に星が輝き、宇宙に浮いたような静かな時が流れてゆく。
休日は遁世のような生活で、海辺の喫茶店で1人紅茶を飲みながら、波を見る。
午後からは集落の神社の秋祭り、祝詞を聞きながら不思議な想いに包まれる。秋の稲刈りも終わり、「七人の侍」のラストシーンのように村人達が収穫の喜びを全身で表しているような、あの映画と重なり、神事が進んでいく。
人は生まれ、結婚し、やがて死んでいく。「谷間に三つの鐘が鳴る」 その映画の解説をしてくれた友人は、おれは人を殺してしまったと呟いていた。
海岸に寄せる波を見ながら、いろいろなことを思い出している。風は思ったよりも温かかった。
ある板前の死
4月3日の嵐の夜の宴会より体調が崩れ、信じられないほど酒が飲めなくなった。
12日は寿司屋で1本のビールが3人で飲みきれなかった。昨日は1合徳利を何とか片付けた。
会社の近くの和食の美味い店で「かわたに」の板前藤村君が亡くなっていた。45歳、心筋梗塞らしい。
簡単な宴会や昼食は何時もそこだったのだが、体調不良以来昼食は家で取ることが多くなり、2-3週間行かなかったので知らなかった。
彼は高柳町栃ヶ原集落の出身で、四季折々に山菜が採れた、キノコが採れたと食事前の山話で何時も盛り上がっていた。人の良い、本当の料理人だった。御冥福を祈る。
それにしてもショックで、気持ちが定まらない。
休日の気晴らしドライブも、山の風景も、一人聴いている音楽も、今までになかったような深みのある感情で迫ってくる。
何とも言いようのない寂しさが<深い池に沈んでいく・・・。
高橋和子写真展
高橋和子写真展が柏崎游文舎で開催されている。
2回目でもあり、人を惹き付けて放さない魅力に富んだ写真が並んでいる。厳寒の北海道で、多分息を殺してシャッターチャンスを待っている姿が想像できそうだ。雪や氷の世界ながら、そこに暖かい息づかいが感じられる。人間の存在の哀しさを見透しながら、だからこそなのだろう、温もりが伝わってくる。良い写真だ。
彼女とは同級生で、出生は50日しか違わない、今は柏崎市、合併前は南鯖石村、その元は石曽根村の行兼という戸数47軒という小さな集落の幼馴染み。
彼女がアマチュアながらこんな写真を撮るようになるとは想いもしなかったけれど、贔屓目を離れても素晴らしい写真が会場を埋めている。
多くの人達が、一枚一枚の写真の前で感嘆し、話し合っている姿が嬉しい。
額 自慢
我らは7人兄弟姉妹、今日は新潟市にいる真ん中の兄貴が「じよんのび村」で同級会とのことで久し振りに来柏した。
堀の義兄の墓をお参りし、加納の姉の顔を見て、実家の墓をお参りし、行兼(ゆきかね 集落名)の実家に寄りお昼をご馳走になってきた。
子供の頃の話に花が咲き、縄文時代のような生活が思い起こされた。
鯖石の石塚家の祖は、百足退治、平将門の乱で有名な藤原藤太秀郷であり、姓は藤原、苗字は居住地から「佐野氏」「石塚氏」と別れたという。
戦国時代、織田の武将滝川一益に破れ、追われ、石塚の兄弟は高柳山中、鯖石行兼に身を隠し難を逃れたという言い伝えがある。
代が変わり、お寺の伝承も怪しくなってきた。
男兄弟3人寄ると、残念ながら今は「額」の広さの話になる。「ハゲ」と「額」との境は何処か? 今は亡き義兄の「医者どん」と兄弟縁者が集まっての夜通しの宴会では、何時もその医学的境界線の弾き方の酔論が賑やかだった。
最終的結論として酔議が固まったのは「禿頭に止まろうとした蠅が足を滑らせて流れ、足場が安定してパッと飛び立つところが「ハゲと額の境界」と言うとになった。
あの頃の酒には、今は失われてしまった「大きな」ものがあった。人生だったか・・・ 夢だったか・・・ 未来だったのかな?