春よ来い!

2010年03月28日 風の戯言


 何を血迷ったか、神の啓示を受けたか、昨日、急に思い立って高速道路を走ってきた。柏崎-長岡-高崎-小諸-長野-上越-米山。走った距離は解らないが高速料金は250円!
 山波に雪を頂く越後路、桃やマンサク、コブシ、菜の花の咲く上州路、噴煙の上がる白い浅間山を望みながらの信濃路、雪の降りしきる信越国境、北陸路は雨。気温は0℃から15℃まで様々。
 久々にCDを友にのんびりと車を走らせることが出来た。本当は下道をオンボロ・オープン・カーで走れたら愉快なんだろうな。

 朝には名残の雪が降り、木の枝の先に淡雪がかかり、それはまた綺麗!

 庭の雪も解けて、遅い雪国の春が近づいている。落ち葉の下から土筆や蕗の薹が顔を出し、本格的な春を待ちわびている。

 春よ、来い !

川は流れる

2010年03月25日 風の戯言


 障害者福祉NPOの理事会で、仏教の根本思想は「共生(ともにいきる)」ことだという山崎豊子の話をさせて貰った。
 西川理事長から「迷惑を掛けて生きる。それが人間」、だから「お互い様」なのだというインドの話につなげてもらった。
 「迷惑をかけない」 そんな生き方を強いる日本の社会は、「共に生きる」ことを忌避しているのかも知れない。いろいろ考えると暗くなる。

 「後ろを振り向かないことだ。どんな時にも前を向いていることが大切」と言ったグレース・ケリーの言葉を思い出す。

 川は流れて続けている。

  

春のお彼岸

2010年03月22日 風の戯言


 「俺の時間」が過ぎて行く。
 風船一揆を始めたころは、お彼岸が季節の境だった。「お彼岸が過ぎれば、もう雪は降るまい。もう直ぐ、白い雪原の下から黒い土が顔を出し、やがて緑に覆われ、実りの大地が動き出す」そんな自然への祈りをこめていた。「一揆」は東京への反逆も含んでいた。
 今年は雪が多かったとは言え、見上げるような積雪にはならなかった。昔に比べれば、の話だが・・・。

 最近は、当たり前の風景や音楽に妙に懐かさを覚えたりする。散歩の途中に、ふと立ち止まったり、同じCDを一日中聴いていたり、本の世界が急に深く見えたり、今までになかった「俺の時間」が流れ始めているのかも知れない。

 3連休の中日が大荒れで、初日と今日は穏やかないい天気だった。年老いたランと元カノと1歳半を過ぎた娘の娘と近くを散歩したり、堤防の蕗の薹を摘んだり、俺にもこんな時間があったのかと風の中で空を見上げたりしている。

 経営とは「社員とその家族の永遠の幸せ」を図ることであり、経済合理性は必要だが、業績はその結果でしかない。ドラッガーと松下幸之助と坂本光司が一つの点に集まり始めた。

村の時間

2010年03月18日 風の戯言


 村を出ず子に従わず稲を刈る      中村三郎

 「村には自分の時間が流れている。山にも川にも自分の時間が流れている。出来ることなら死ぬまでこの時間の中で生きていたいと思う」

 俳人の黒田杏子(高浜虚子の娘?)が文春3月号に山口県萩市の81歳の中村さんの言葉を紹介していた。
 高柳から奥に車を走らせると、忘れ去られたような村落を通り過ぎることがある。古い農家に人の気配がして、こんな所にも生活があるんだ! と感動する。その人達の「時間」に思い至り、何となく理解できたよう気がする。春になったら、今度は歩いてみよう。

 同じエッセイの中で医師の日野原重明さんの「命は時間」という言葉も胸に抱いていた。

 生きている、ってことは素晴らしいことなのかもしれない。

嵐の一週間

2010年03月14日 風の戯言


 深夜、イタリーの曲を集めたCDに酔っている。
 ベッドサイドで何百回も聴いているけれど鮮度は落ちない。
 何時聴いても俺の胸を掻き毟り、切なくする。
 人生とは何だ? もう全ての恋は枯れ果てたのか? そうじゃない! まだ消してはならない残り火が「その時」を待っているのだ・・・最期の足掻き・・・なんでもいいや!

 8日の月曜日は岡本先生の社内セミナー。
 9日は法政大学坂本先生の「経営革新セミナー」。経営学のセミナーではありえないのだけれど、坂本先生の講演は感動もので、隣の広川学長とハンカチを離せないで聴いていた。
 その直前に新潟産業大学と寄付講座協定書の調印式もあり、終了後の交流会とあわせて盛大な会を主催させてもらった。ありがたい話です。
 経営品質アセスメントに基づいた経営が理解でき始めたし、コレをやらなければ地域は衰退して行く、そんな危機感の中で一連の人たちに出会えるのは幸運としかいいようがない。

 10日は新潟の関係者へのお礼に出かけ、11日は地元を駆け回り、12日は東京で支援して頂いた方に御礼申し上げ、御馳走になり、ホテルで沈没。今まで味わったことのない眠りに誘い込まれた。不思議なことだが、眠りが全く変ってしまった。

 漸く「痴呆」が訪れ始めたかな?
なんて言いながら手島龍一の文庫を取り寄せ時間を忘れて呼んでいる。「スギハラ・ダラー」「ウルトラ・ダラー」「外交敗戦」「黄昏行く日米同盟」。著者の無念と優しさに時折涙が止まらなくなる。漸く本当の知性に出会えたような気もして、何とも嬉しい。
 もう一つ、出版界が変り始めたと愕然とし、かつ喝采を送るのが岩崎夏海の「もし高校野球の女史マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら」という本。
 間違いなく世の中変り始めている。

 写真は新潟で開かれた第四銀行主催の「食の陣?」での「越後みそ西」の出展風景。
 この会場の入り口で「にいがた里創プラン」の政策立案のアドバイザーだった高橋さんと10年ぶりの出会い。阿部裕子も同じプロジェクトで苦労していたので偶然とは言え、嬉しい再会だった。
 世の中、また何かが繋がり始めた感がする。