新潟県経営品質賞 審査終了

2009年01月18日 風の戯言


 新潟県経営品質賞審査が終わり、ホッとしている。
 賞が欲しいことは真実だが、本当の狙いは経営の存続にある。継続とか改革とか、そんな生易しいものじゃない。文字通りの生きるか死ぬかの瀬戸際を進むことになるのだろう。GDPが10%下がるという見通しもある。経済的大断層!
 そんな危機の中で、ホッとしていることも確かだ。自分がやらなくてはならない「経営」の方向が見えてきたからだろう。方向が見え、決断の覚悟さえ出来れば、心は静まる。
 「リーマン・ショック」後で、アメリカの殆どの会社が12月決算で、2月までは「漠然とした不安要素」を抱え、それが3月末には「はっきりした損失」として明確になってくるだろう、といわれている。明確になればあとは今後の方針を決定し、前に進むのみ。半年後には株価が安定し、1年後には実体経済が回復してくるだろう、という。果たしてそうか?
 20日のオバマ政権がどんな効果を生むのか、アメリカ人でなくても気になる。

 本当に、久し振りに気持ちの安らぐ休みだった。多分、禅の世界とはこんな心境なのかもしれない。戦いの中にあって、己の運命を天に預けたようで爽快なのだ。
 阪神淡路が記憶の中で遠くなっている。時間とは何だろう?
 

雪の降る街を

2009年01月12日 風の戯言


 シンシンと、雪が降り始めた。
 寝ようとしたが、気になってアノラックを被りデジカメを片手に公園の道路まで行って来た。ふっと、「雪の降る街を」が身体の何処かで流れ出した。何か、切ない思いが湧き出してくる。 
 1952年にヒットした内村直也作詞、中田喜直作曲の歌だ、そうな。1952年・・・昭和27年・・・そっか、親父の死んだ年だ。
 10歳の俺がそこにいる。次々に親達は逝ってしまい、死ぬということは「どこにもいなくなる」ということだと、それが判るまでと、判ってからも、辛かったなぁ。消えてしまうような寂しさのなかに、いつも一人でいたような気がする。

 そして、みんないなくなってしまった。小林も竹田も中谷も・・・高木さんもいなくなった。医者どんも十三郎先生も福田先生も・・・みーんないなくなった・・・寂しい・・・寂しいよ・・・。

(1) 雪の降る街を 雪の降る街を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  雪の降る街を
  遠い国から おちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ

(2) 雪の降る街を 雪の降る街を
  足音だけが 追いかけてゆく
  雪の降る街を
  一人心に 満ちてくる
  この哀しみを この哀しみを
  いつの日か解(ホグ)さん
  緑なす春の日の そよかぜ

(3) 雪の降る街を 雪の降る街を
  息吹とともに こみあげてくる
  雪の降る街を
  だれも分らぬ わが心
  この空(ムナ)しさを この空しさを
  いつの日か祈らん
  新しき光ふる 鐘の音

月夜の晩に雪が降る

風の戯言


 新潟県経営品質賞のヒアリングシートの記入と送付が終わり、後は15,16,17日の現地審査を待つばかり。
 いろいろ振り返ると、恥じ入る事ばかりが多く落着かない。だから終わったことはもう考えないことにしよう。
 まぁ、一段落、というところか。16日が本番なんだが・・・。

 久し振りに使った脳をクールダウンさせようと窓の外を見たら寒々とした空に冷たい月が輝いている。予報では大雪かと思われたが、積雪は10センチにも満たない。
 天気予報は外れた時のブーイングを嫌ってか、正確なものより極端に悪い予報を出しているようだ。変なの !
 それにしても雪のない冬は助かる。地球温暖化? 単なる地球の気候変動に過ぎないという見方もある。多分そうだろう。最近は作為ある情報が組織的に流されることも多いようだ。時が過ぎて、真実が明らかになる。未来予測の本を、10年くらい過ぎて読むと著者の技量が見えてくることがある。大前研一の「新・資本論」もその意味で楽しい。
 出来ることなら、ゆっくりと時間をかけて、メモを取りながらの読書をしてみたい。目の前を、風に舞う落ち葉のように、文字だけがただひらひらと通り過ぎて行く。頭の中に何も残っていない。あー、嫌だ嫌だ。

67歳の初詣

2009年01月01日 風の戯言


 新年明けましておめでとうございます。
 今年は新装成った加納神社に初詣、石塚家先祖がお世話になった清龍寺、私の菩提寺の周光院を御参りして来た。
 世界的経済危機の年なので、もう神頼み、仏のご加護におすがりするしかない。例年より念を入れて御参りして来た。

 昨年は大晦日の花火の失敗でグショグショ。
 今年はきっといいことがいっぱいあるだろう。

一瞬の永遠

2008年12月30日 風の戯言


 年の瀬の穏やかな冬晴れの一日
 垣根の山茶花が咲き乱れている。酔狂というべきか、自然の気まぐれなのか、平年ならば雪に埋もれて幾つも見えない山茶花が今年は枝いっぱいに花をつけている。

 山茶花の人待ちて咲く心あり   壷泡

 心忙しく、延び延びになっていた石塚家秋の法要を周光院横山真澄師にお願いしてお経を上げてもらった。
 般若心経ともう一巻、幾億千万の娑婆の中に釈迦牟尼仏はおわします、そんな経文が聞き取れた。意味の分からないままに心が温かくなった。

 一瞬の永遠
 乗り遅れた電車には乗れない

 今日はそんな言葉にも出会った。豊かな冬の一日に感謝!