台風の空

2011年07月19日 風の戯言


 奥底のしれぬ寒さや海の音

 文春7月号を読み返していたら角折りしたページにこんな句が載っていた。金子兜太が東北大震災避難所を想像していた時に思い出した江戸時代の越前三国の女郎の句、だとか。

 生きていて生きてるだけで燕来る

 この震災を読んだ飯田操さんと言う人の句。読み返すだけで詰る。

 俳句の、抜打ちで一刀の下に切り取られた人生の瞬間が大きな時を超えて迫ってくる。人間は自然界のあらゆる生物と同じで、時の中で生きている。生れれば人はやがて死ぬる。坂井三郎や車谷長吉のように「死ぬ時が楽しみ」とはいかないが、消滅できるのは人間の最高の幸福の様に思えるときがある。
 さまざまなことが浮かんでは消えてゆく。

夏の思い出

2011年07月18日 風の戯言


 車に乗ると「外気温度」が40度を表示していた ! 思わず生きる気力が萎えてしまった。「夏なんだなぁ」と思わずボケたことを口走ってしまう。 
 ただ、台風の進路と魚沼方面の大雨洪水警報に要注意。

 午前中、長岡までF君の入院見舞に行ってきた。肺の一部切除…いろいろな病気があるもんだ。腹と胸の3ケ所に穴をあけ、切り傷はつけないように手術すのだそうな。本人が気にしている「痛がる手術」を無理に聞き出すと、それでも本人は入院前より元気そうで安心。20日の手術を無事乗り切って欲しい。

 入院見舞いといえば、鋸で足を切った仲間のお見舞いに、ニンジンやダイコンを紅白の祝い紙で包み枕元に置いてきたこともあった。早く治して馬や牛の様によく働けと…院長先生が涙を流して喜んでいた、と後で聞いた。
 別の仲間の入院のお見舞いにウィスキーを持って行き、患者を交えて飲み始めたら足らなくなって、看護婦に頼んだら病院から追い出されたとか…。今は皆懐かしい思い出。
 よく考えて見れば、土方からコンピューター屋になって、俺はとても上品になった。

いもり池

2011年07月16日 風の戯言


 久しぶりに赤倉のいもり池を訪ねてみた。
 単に昼時なので腹が減っていただけなのだが、「手打ちそば」の看板に引かれて入ったら、ビールを片手に若い男が盛んに話しかけてくる。自閉症気味の時は腹が立つ。首を絞めるわけにもいかないので適当に相槌を打っていると段々ムカついてきて殺意が本物になりそうになる。

 仕方なしに池に向かうと2羽のカモが桟橋で休んでいた。
 鴨は人間の食いものであることを忘れ、暫く見ていた。

 「妙高山」はインド古代仏教で世界の中心の山である、と一般的に理解している。須弥山は漢字の音訳だという。

 高校の山岳部で妙高三山を歩きまわっていたころを思い出す。テントの中で酒飲んでいたら酔っぱらった顧問の先生が傾れ込んできて宴会になり、青春談義が遅くまで続いた。翌日の笹倉口からの焼山攻めはキツかった。春山の雪の急斜面と二日酔い。だけと、無茶苦茶楽しかったことが忘れられない。

 露天風呂で斑尾山に上る月を眺めていたら「十六夜ですか立待月ですかねぇ」とオッサンが声をかけてきた。放心状態の時に声をかけられ、湯船に沈みそうになった。
 立待月、居待月、寝待月…。日本には自然と暮らす豊かな言葉があったのだなぁと今更ながら驚く。

稲虫送り

2011年07月14日 風の戯言


 7月14日は田島普広寺の毘沙門祭り。昔はね。寺の門前に店も出て、俵を奪い合う裸押し合い祭りが懐かしい。
 子供の頃の思い出で、その日は大抵が大雨で川が氾濫し、土手の上で魚捕りに興じる日でもあった。田圃は泥水に埋まり収穫できなくなるのに…
 またその日は、夜になると「稲虫送り」があり、火遊び、夜遊びが許される夏休みを直前に「心の準備・予感」の日でもあった。

 太鼓の音に誘われて、酒瓶を抱え会場に向かった。たいまつに火が付き「送れよー送れよー、稲虫送れよ〜」の祭りの掛け声は小さなものだった。時は流れている。

 空に満月が昇り始めていた。

 満月や稲虫送りの夏がゆく…問題外の堕策

夕焼け雲の彼方に

2011年07月12日 風の戯言


 夕日が間違って海に落ちないかと楽しみにしている。
 残念ながら、今日はダメだった。明日かも知れない。
 諦めて家路に急ぎ、庭の空に千切れた夕焼け雲が勝手に輝いていた。

 梅雨明けだそうだ。少し早いのじゃないと思うが…。山戸海は遊べるのだろう。静かな海もいいものなんだけど、ね。