蓮池 薫さん
夕陽に吸い寄せられて、海に行って来た。
昔のユースホステルの海。いろいろな思い出が蘇ってしまつた。
蓮池薫さんとは何度か出会っている。市役所でまだピリピリしているころ。新潟産業大学で見かけたこと。そして八幡開発が韓国将棋連盟の人たちを招いた晩餐会で〆の挨拶を託され、「どうすればいいんだ?」と蓮池さんに聞いたら「任せてください。何を言ってもかまわない、後は私が良い様に通訳しますから]って、いやぁ、参ったね。二人で大笑いしてしまった。それで亦彼が大好きになった。
「半島へ、ふたたび」はそんな彼の魅力を余すところなく表現している。あの苦難の中で、どうしてこんな純な心が残せたのだろう、と感動的でさえある。最初の訳である「孤将」の背景が見えたりして、本好きとしては久方ぶりの良い出会い、という感じ。
耐久レース
後期高速度長時間耐久レースが始まった。
難儀なことがテンコ盛りだけれど、だけど、現場ってどうしてこうも楽しいのだろうか!
第一線を退いて「会長」なんて呼ばれていると、何かユトリを感じるね、なんて公職にある悪友は好きなことを言う。自分では意識できないが、何かやはり違ってきているのだろうな、と思う。でも、現場が一番楽しい!
浅田次郎の「天切り松」を読んでいたら(誠に乱雑な本の読み方なのだが・・・その上最近は何が書いてあつたかテンデ覚えていない)
「改革をなそうと思うものが命を惜しんではなりますまい。生きながらえて志を遂げるも天命、道半ばにして斃れるもまた天命」
とありました。結果の評価を恐れて何もせん者は男の生き方を生きていない。男は自分の信じた道を突っ走るだけ。テーラワーダ仏教の本にもそんなことが書いてあった。そんな乱暴な書き方ではなかったろうが・・・。人間は長生きする為だけに生きているわけではなかろうに。人生を見切る、という言葉を使っているけれど、それが大切なのだろう。
お盆休み
いろいろあって、お盆休みが終わる。
一年の折り返し点。待った無しで後半戦と来期が押寄せてくる。楽しく、命の限り、しぶとく、明るく・・・だな。
茂木健一郎のエッセイに出会った。
「脳科学者」なんて、怪し過ぎる、と思っていた。ただ、新潟大学脳研究所の所長生田房弘先生の講演は、もう17,8年昔だが、刺激的だった。一流の学者の世界というのは、逆に非常に謙虚であることに感銘を覚えた記憶がある。
「決断の最期は脳の直感である」
「選択のプロセスにおいては、脳の[感情]のメカニズムが大活躍する。脳の選択に、本来、正解は存在しない。論理的な推論を積み重ねればどの選択が正しいのか判る、と言うのであれば苦労はしない。最後にどちらにするかという決断の選択は脳内の感情の回路を中心として生み出される「直感」によるしかないのである。脳が何が正解か分からないという「不確実性」の下で選択するというプロセスは、脳の中で「嬉しいこと」を表している物質ドーパミンが過去にどのような状況で分泌されたかなど、様々な履歴によって決まる。その際の「選択の方程式」に絶対的な正解がないことこそが、脳の驚くべき特徴なのである」(週刊ポスト8.21,28号)
人間の脳が、と言うより価値観や行動力がどう形成されるのかは、まだ暫らく謎なのだろう。宗教や環境などの違いによる人間の多様性は理解を超えている。当然といえば当然過ぎることなのだが・・・。
ただ、人間の[選択]のプロセスで、過去に「うれしかったこと」の履歴が大きな要素を持つ、という示唆は自分の人間理解?に「ものすごく」参考になった。
終戦記念日
戦争が終わって64年が過ぎたことになる。
64年が過ぎて、歴史と言うものが勝者のものでしかないという事実が少しづつ明らかになってきている。
日本のアイデンティティが何処にあるのか、この流離の旅もそろそろ終わりにしなくてはならない。冷戦構造による歴史観と日本民族古来の歴史観、三方向に分離し明日に向かう日本のエネルギーの方向が集約されないできている。失敗の本質を見るまでもなく、国民を幸福にする為の戦争としての目的、戦略、戦術共にバラバラではなかったのか、と思う。
評論家的な視点でなく、自分がそのとき決断をしなくてはならない立場としたら、自分はどんな考え方をすればよかったのか。歴史の「if」を楽しんでみる。
日本だけでなく、あの戦争を境に新しい時代の価値観の安定を求めて未だに激動を続けている。応仁の乱以降徳川の平和が訪れるまでの戦国の世は約150年。諸行無常、安定なんてのはこの世の物ではないのかも知れない。
戦争を否定すれば戦争を否定する権力が生まれる。人間の幸福の基盤とされる「国」の存在に対する同意は、他国との利害の調節上批評家としても熱く成り易い。愛国心に依り得られるもの何か。どこかで何が一番大切なのかの価値観の同意を取り付け、全体をリードして行く現代の国論のまとめがいる。
悶々としながら野田の山道を走り「北向」集落に車を止めた。立派な石垣が残り、集落の在りし日の此処に住む人たちの屋号を彫った碑も見えた。大勢の子供達の遊ぶ声が聞こえてきそうな寂しさに文字通り胸を締め付けられる。祭囃子が聞こえてくる。牛の鳴き声が聞こえてくる。未来を信じ、労働の確かさを信じ、人の温かさと醜い欲が織り成していた山里の人間模様を、滂沱の涙とともに思い出している。
たった60年余の時間で如何にも遠くに来たもんだと思う。終戦時の縄文時代のような生活から、散歩でも蛇や蛙に出会うことも少なくなった現代。人間を含めた生物の生きる自然環境が静かに様変わりしている。これが正しいのか?