そして・・・3.11

2013年03月11日 風の戯言


 ささくれ立った心に、TVから流れる芹洋子の歌声が優しい。
 音楽番組、歌番組の類いは普段はあまり見ないけれど、何気なくチャンネルを回していたら「四季の歌」が流れてきた。もう、遠くなった歌だ。

 朝礼の黙祷で今日が始まり、夕焼けに染まる八石山を眺めながら、まだ両脇に雪が残る道を歩いた。

 夜、雪の壁にキャンドルを灯してきた。
 冬の空一杯に輝く星達が、声を掛けてきてくれた。

明日から、また頑張るか !

3.11・・・明日・・・

2013年03月10日 風の戯言


 テレビを入れると、全ての番組が「3.11」
 重苦しい画面を、出来るだけ逃げないで見ている。
 NHK-BS1の7時半から9時までの「THE NEXT MEGAQUAKE」は特に衝撃的だった。地震のメカニズム、データの解析により予知能力が上がってきた。これは「幸せ」なことなんだろうか? 人間は未来予知能力に欠けていることで、ある意味「その瞬間」まで暢気に、幸せに生きられたのかも知れない。
 コンピュータの能力向上と過去のデータ解析により未来予知はかなりの確率で予見できるようになった。しかし、人間の能力を超えた自然現象への対処など、未来予測が明らかにされるのは返って不安感や絶望を増幅させる。
 人類の生息数が危険ラインを超え、地球規模で自然環境が変化をし続け、絶望的な未来予測が「人生の意味」を変え始めている。ただ、生き続けることに重要な意味があるとした「人生論」が新たな視点を求め続けているように思えて仕方がない。

 明日は「3.11」
 暫くこの崖っぷちを彷徨い歩くのが必要なのかも知れない。

3.11・・・・・

2013年03月08日 風の戯言


 3.11 が近づいてきた。

 大地震、大津波 ・・・避けられない自然災害。
 原発事故 ・・・・・ 避けなければならない事故。

 経済人として「再稼働」と「廃炉」の極論の中で、現実的な解決を模索している。どうすれば良いんだろう ?

春近し、隣は何をする人ぞ

2013年03月06日 風の戯言


 昨日は「啓蟄」、ホントなんだなと思わせる晴天。
 春は確実に近づいているらしい。

 柏崎の平場の雪が消え、田圃が顔を出し、もうすぐ春耕が始まりそうだ。
 我が家の屋根の雪も消え、積雪は1メートル20センチ程度にはなった。後は勢いがついて消えていくだろう。

根津美術館

2013年03月03日 風の戯言


 痴呆症と鬱が酷くなり、放浪癖が再発した。

 「大人の休日」で東京までの電車賃が3割ほど安くなり、映画も美術館も1000円で鑑賞できる。これは有り難い。

 金曜日の夜は、吹雪で電車が遅れ東京着が遅くなってしまったのだが、ウサマ・ビン・ラディンの暗殺ミッションを題材とした「ゼロ・ダーク・サーティ」を見てきた。鑑賞すると言う言葉は使えないが、ヒョットしたら本物の現場?と思わせるほどの緊張感が伝わってくる。中身はともかく、久し振りに「映画らしい映画」を見た満足感がある。

 土曜日は「わすれない ふくしま」を恵比寿の東京都写真美術館ホールで見た。制作者の意気込みが空回りしている感じで、上映後関係者の対談があったが、誰に何を訴えるのかもう少し冷静になれたら面白かったのかも知れない。
 自分の経験から言っても、東北大震災の現場を見たものにとって、それは全く無理な世界なのだが・・・。

 放浪の旅の目的は、実は「根津美術館」にあったのだが・・・美術品よりも、晴れた日にあの庭を散歩したかった。夢は叶った。紅茶がとにかく美味かった。
 美術展としては「名物の茶道具」や「良寛」には興味がない、というより「判らない」のだ。子供の頃、蔵にあった茶茶碗でペンキを溶かしたりして、話したくない過去があるからかも知れない。
 殷の青銅器は、その時代背景やそれを作った人達の生活、人生に想像が飛躍して、見ているのが妙に楽しくなった。
 日本など、正に「夷狄(いてき)」だったのだろう。