米山林道

2010年11月28日 風の戯言


 秋の陽に誘われて、昨日は米山林道を終点まで攻めて来た。「攻めてきた」というのは少し大袈裟だけれど林道の至る所に「落石注意」の立て札があり、途中には「今落ちたばかり」の割れた石が路面に散らばっていて冗談は止して欲しい雰囲気。久し振りにビビッた。熊に出くわしたら写真を撮ろうとデジカメをスタンバイさせていたが、そんなゆとりは何処がに吹っ飛んでしまった。
 帰路、大平の集落を過ぎて「手打ち蕎麦」の幟に吸い寄せられたら、そこは「米山ガーデン」。中学の同級生、本間公一が主宰する山と海と池とハーブに彩られたロッジのある、それは素晴らしい山の庭園。
 話には聞いていたが名前と場所がわからず今まで来なかったのが悔やまれる。
 夕方は女房とじょんのび村。一風呂浴びて飯を食っていたら大勢の知人友人が次々に声を掛けて来てくれて、賑やかな夕食になった。

 もう、12月も間近い。

無題

2010年11月23日 風の戯言


 先日のじょんのび村のドブロクとほんのび饅頭の組み合わせが悪かったのか、そのご飲み会が重なったのが悪かったのか体調不良が続いている。頑迷なインキン田虫は治まったようだが。

 眠れない夜を、古い引っ張り出して聞き出したらパティページの「テネシーワルツ」にまたつかまってしまった。
 あの、男の心をギタギタにしてしまうような歌声を聴いていると、高齢者の自制心なんぞ何処かに吹っ飛んでしまい、部屋の中を喘ぎ喘ぎ、恍惚と後悔の海をのた打ち回っている。全ては過ぎ去った時間でしかないが・・懐かしいのだ。

 我が家の紅葉の写真があった。
 二度と帰ってこない、我が家の秋。

我が家の秋

2010年11月21日 風の戯言


 結婚して38年が過ぎ、秋雄兄貴が亡くなって36年になろうとしている。母が逝って63年、父が58年。
 過ぎ去った時間を、庭の椅子で赤く染まったモミジを見ながら数えていると、山口百恵の歌の世界に沈んでしまいそうになる。

 穏やかな、小春日和が3日も続き今日は畑仕舞いの儀を執り行った。豊かな恵みをもたらせてくれた畑を片付け、庭と畑の神様に灯明と酒を捧げる。自分達だけのささやかな行事。

 夜の庭に出てみると満月が輝き、星達が瞬いている。

貞観園の秋

2010年11月17日 風の戯言


 春先に伺っただけで御無沙汰している高柳 貞観園の写真が届いた。
 池に浮かぶ紅葉の色彩が素晴らしい。

 秋が静かに時を刻んでいる。

風まかせ-創立40周年記念のお誘い

2010年11月15日 風の戯言


 先日、日本の熱気球の草創期の仲間「風まかせ」の伊藤さんから「40周年記念パーティに来ないか?」との電話を貰い、勿論「行く!」と即答。1月15日、今からワクワクしている。
 「柏崎熱気球苦楽部」の創立は昭和47年くらいか?
 大洲小学校で「こどもの日」に鯉幟の代わりに熱気球の初係留は49年、もう36年の昔の事になる。小千谷の「風船一揆」が51年。様々な場面が思い浮かぶ。結局「かぐや姫」「ゆう子」「紅緒」の熱気球3機を手作りし、情熱と青息吐息で青春を過してきた事になる。

 写真は高柳−石黒のブナ林。誰も訪れた形跡もなかった。