片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭近し

2008年09月06日 風の戯言


 昨年大晦日、中越沖地震追悼と復興祈願の花火は暴風雨の為中止になり、一周年の7月16日、青年会議所のイベントとのコラボレーションで念願の花火が実現した。
 これは柏崎の熱意もさることながら、片貝煙火工業の本田社長の熱意によるところが大きい。
 先代社長本田善治さんとは当時の星野市長の意向で「小千谷雪原まつり」の企画・実行で大変お世話になった。以来30年余、重陽の節句は大抵片貝で大騒ぎしていた時代が続いていた。最近はサスガに疲れて片貝の花火には行けない年が多くなった。
 年末花火のこともあり、今年は「答礼」の意味も含めて久々に桟敷席を手配して貰った。柏崎から関係者10数人で見物させていただくことになった。
 昨日、番付と桟敷席の券を貰いに片貝に寄ったら、例年の花火奉納者の名前が大きく張り出されていた。お祭りはこれなんだよな、と思う。
 今年は良い花火が見れそうだ。

チビ

2008年09月03日 風の戯言


 取材に来ていた新聞記者に逆取材したら、福田康ちゃんの辞任の原因はアルツハイマーらしいとのこと。初期なら良い薬があるらしいけれど、一国の最高指揮官が痴呆じゃネェ。
 我々のレベルじゃ、名前が出てこない、何処であったか忘れた、何を話したか何にも覚えていない・・・なんてことは「通常」だが彼らはそうは行かないだろう。それにしても与党の中にギラギラした存在感ある人が少ないようだ。
 政治は文字通り命と正義を掛けた戦いの方が面白い。衆議院も定員100人くらいにすると良い人材が浮かび上がるのかもしれないね。いいけどさ。

 チビが家庭の中で存在感を増している。孫は可愛いと言うが、俺にはやはり子供達の方が何倍もかわいかったようだ。全ての仕草が可愛かったし、どんなことも許せた。やはり可愛さの度合いが違う。でも、小さな命が増えたことは、また何と楽しいことか!

たまには空をみなよ!

2008年08月27日 風の戯言


 たまには大空を見ていなよ。雲の流れ行く様を・・・。そんな時間が少なくなった。頬に爽やかな風を受けて・・・一日中海と空を見ていたい・・・うーーん、大分痛んできたな!
 そんな感傷に浸っている暇もなく、次々と世界中の激動のニュースが入ってくる。昨日のNHKで榊原英資がグリーンスパンの言葉として「100年に1,2回の大変動」という1929年の世界恐慌の再来を思わせる情報を伝えていた。
 世界の資源インフレは需要の落ち込みで早くも変化が出始めたようだ。それにしてもダイナミック&スピーディ。

 そんな我が家に娘が娘を連れて帰ってきた。新米パパと子供を風呂に入れるだけで大騒ぎ。全て、市販のマニュアルどおりに子育てに没頭している。良かろう! それが母親だ。加油!

 高柳、鯖石の仕事を終わらせて、早めに家に帰った。鯖石川の辺で暫らく雲のなかれるままを見ていた。せせこましい中で、それでも切り取られた「時間」は貴重に思えたね。
 たまに男が空を見ている、そんな時間も良いもんだ、よ。

B型人間の悲哀

2008年08月26日 風の戯言


 中村天風は感情と心とは別物だ。心は行動を律するシステム、だと。北京五輪のマラソンで優勝したケニアのワンジルが日本で学んだことは「忍耐」だと言ってたことで思い出した。
 感情の起伏の激しいB型人間にとって、感情を制御するのは辛い。それでも年とともに「瞬間湯沸し器」は大人しくなった。単に機能が落ちただけ?・・・うーーん!

 今日の読売新聞編集手帳のサッチャーがボケた記事に、かつての「鉄の女」の短い語録が紹介されていた。

 「コンセンサスの旗の下で、誰が戦いに勝ったか?」

 「たとえ一人になっても、私が正しければ問題は無い!」

 グループ力の結集が叫ばれ、「責任をとる」と言う言葉が曖昧になった現在、俺は自裁だと考えているが、サッチャーの言葉は重い。
 B型人間は、迷うのでもなく、心がフラフラするのでもなく、しがみついた激流の中の根っこが実は漂流していることに気がついたときの己ほど辛いものはない。
感情的知性とは人の心を読み取る能力でもあるのだろうが、時折「やかましい!」ことでもあるのだ。

 「愛」とは条件のつかない無償の絶対的な好意。

 何だか知らないが「B型人間」には悲哀が漂っている。

北京オリンピック閉幕

2008年08月24日 風の戯言


 北京オリンピック閉会式を見ながら書いている。
 中華人民共和国がこの巨大な大会を無事に閉会に漕ぎ着けたことに正直感動している。
 多少この国の歴史を読んでいる者にとって、この国にこれ程の平和が訪れたことは、内実は何があるにしても、かつてなかったように思う。
 毛沢東の死去、四人組の追放、文化大革命の終焉と中国現代史の激動期を経て、恐る恐る未来を語り始めた1985年、山田晴男を主将とする信州大学の学生達と上海、北京、石家荘を訪れた時、この国はまだ混沌とし苦悶していた。
 あれから数回中国を訪れているが、そのたびに大きな変化を実感していたが、この国がここまでのイベントをやり遂げたことを喜んでいる。
 この国がこれからどんな歩みをするのか分らない。きっとまた新たな苦難を抱えながら、一日一日の歴史を刻んで行くのだろう。
 ただ、今日、世界は新たな時代に入ったことは間違いないようだ。
 人間の、平凡な人間にとっての幸福とはアメリカ流の欺瞞に満ちた自由なのか、中国流の管理された自由なのか、日本的な無責任な自由なのか・・・・俺には判らない。