見残しの塔
年老いた象は死に場所を求め、群れから離れやがて朽ち果てていくという。
何故か、随分と以前からこの話が好きだ。
見残しの塔
周防国五重塔縁起
久木綾子が14年の歳月を掛けて84歳で書き上げたというこの本が好きだ。何年か振りに書棚から引き出し、ゆっくりと時間を掛けて読んでいる。そろそろ乱読の世界から脱出を図る時期なのだろう。
かつて、この島国に暮らす人達が、神々と共に生きた確かな時代があった。
源氏の一族新田の家系を伝える若狭新田家が歴史の中に溶けて行く、日向の山村椎葉村の大工を志す若者が、何かに引きつけられるように周防国瑠璃光寺の五重塔に引き寄せられて行く。そんな物語が、今は消えてしまった侍の矜持と運命に翻弄されながら己の幸せを掴み取ろうと足掻く女のつぶやきが古寺の苔の中から聞こえてくるような、いい本だ。
新田と言えば、行兼の新保城は高橋九郎頭という新田の子孫の城だった、との言い伝えられていた。落城の際に死んだ13人の塚が、今もやや離れた山の上にある。
本を片手に、今も残る五重塔を見に行きたい。
カンチョウ !
食物を絶たれ、下剤を浴びせられ意識朦朧とした中で「カンチョー !」は些かキツかったけれど5ミリ程度のポリープ一つが戦果。
先生も慣れたモノで「チョチョイのポイ !」
楽しみに悪化したところを探しているのだけれど、今のところ「言語障害」と「記憶障害」、要は「知能障害」のみ。
しかし何だね、内視鏡が映し出す我が腸内の美しいこと !
ブログ用に1枚欲しいと頼んだが、無視 !
「生命の惑星の条件を探る」を読んだ後だと、目の前に拡がる地球の自然環境の美しさと不思議さもさることながら、人間の体内に詰まった腸内や臓器の思わず見とれてしまう美しさと、その機能の不思議さには悶絶する。
こんな美しき腸内を持つ人間ども、他の星の美術館に売り飛ばしたら、本当に喜ばれるだろうな。
ナンテバカな話を続けてられないが、無数にある宇宙の星たちの中で、こんな美しき知的生命が、人生に悩み、夢を語り、愛に騙され理不尽にも勝手に生きているなんてマンガもビックリだね。
この宇宙は、温かい仏さんの掌なんだろうね。
国会演芸場
ここ連日、知識も良識も戦略もない「ゲス芸人」が日替わりでステージに上がっている。国民の忘却力を支えに早変わりのような「バカヤロウ」にフラッシュをたき続けている。
知識や性格が破壊された「ゲス芸人」の下劣なバライティを見せられる立場としては「何とかしてくれ!」と叫び出したい。
参ったね。
「恥」を背骨に据え、「恩」を忘れず、『卑怯者』は死に値する。自らに恥じることあらば、迷わず腹を切る覚悟がなくてなんで『責任を取る』などと戯言を抜かすのか。
10人くらいの国会議員を骨のある奴は『切腹・介錯』の栄誉を、後は市中引き回しの上獄門、残りはテロの餌食だな。
さぶろう 害なくなった。
もののふ
微熱と咳が続き、早く人にうつさないとこっちまでおかしくなってしまう。
と言うわけで、一日ベッドの中。
ニュース番組を見ていれば、安倍首相が「もう、やってられねぇーよ」と何時切れるのか楽しみになってきた。
隣の朴お姉さんも、習ちゃんにフラレテ、本格的に狂ってきたみたいだし・・・。
こんな時は、本でも読んでいるに限る。
評論家ぽく、地政学的な解説で納得していては、世の中の動きの真因が判らなくなってきている。資源争奪戦、宗教上の戦争、ユダヤ人財閥の繰り人形、ステグリッツ博士の「戦争経済」、アンドルー・ファインスタインの「武器ビジネス」あたりが現世をひもとく解説書になりそうだ。
人生は揺れ動きなから進む光の時間。
釈迦の掌で、納得行く「自律」が必要なんだろう。
司馬遼太郎の『武士』にもう一度触れてみたい。
石塚修は藤原藤太秀郷の末裔でござる、なんてね。