穏やかならざる夏
古い記憶で、夏山登山は7月20日から8月10日の間が一番天候が安定する「期間」と教わったようだが、地球が鬱病に罹ったようで天気の変化が激しすぎる。
夕方散歩に出ようとしたら土砂降りになり、タイミングを外せばビショビショになっていた。これも天の助けか !
それにしても、北アルプスの縦走で膝を挫いても1隊を率いていた石塚は何処に行ってしまったのだろう? 少し歩いてゼイゼイと息が定まらない。頭の回線速度が落ち、一昔前のアナログ回線のようで記憶の像が固まらず、曲の題名が思い浮かばず、何時間も後に「あぁ、チャップリンのライム・ライト」だとやっと判ったりする。遅いのは生まれつきだが、ここまで遅くなると自閉症になりかける。まぁ、いいか !
助かった!
全国各地で災害が続いている中、不思議と柏崎だけが助かっているように思えてならない。今回も県内の大雨で三条や加茂で大洪水が発生しているのに、気象データを見る限り柏崎地域だけの降雨量が少ない。ありがたい。
十日町方面では1000ミリに近い降雨データもあった。
ただ、NHKテレビに鯖石川「柏崎市 加納地内」で洪水警報のテロップが流れたために、いろいろな方からお見舞いの電話をいただいた。今日は朝5時から川の見回りに行って来たら、水量は多く、一部田圃は水没していた。
午後からは薄日も差し、夕方の海岸では若い人たちが砂浜で遊ぶ姿も見られた。
多くの人たちが水害に見舞われた中、柏崎だけが幸運の女神が微笑んでいたように思えた。
柏崎 海の花火
仕事でお世話になっている何人かのお客様と、何人かの気球の仲間達、そして何人かの社員たちとその家族。大勢の人たちに囲まれて今年も柏崎の花火を見ることができた。
目の前の海中に弾ける花火たちを眺めながら、現実と遠い記憶の中の出来事のような、不思議な感じも味わった。
10万とか20万人とか、大勢の人たちが歓声を上げ、拍手をし、ざわめいている。花火の、それも重量感もあり、華麗な海の花火に人は夢中になっている。
最後の「市民一同」の花火の頃、堪えていた雨がそそっと降ってきた。「東北の人たちの涙だね」と女性社員の一人が呟いた、という。
会場の出口のところで日本海太鼓のメンバーが「柏崎の四季-夏」だと思うが、心の籠った太鼓を演奏していた。「ありがとう!、頑張れ!」の一言と募金箱の足しを入れてきた。
人はみな助け合って生きている。人間社会の「経済」とはそんなことなんだろう。ありがとう。いい1日だった。
写真は創風システムと社員一同の奉納花火、「柏崎の花火は世界一」5寸玉10発+尺玉10発同時打ち上げ。
なんだかなぁ・・・
20,21,22日と夜の三連チャンで昨日は完全KO ! 仕事の延長戦とは言え、楽しみ過ぎの嫌いはある。以後気をつける。
今日は朝のドライブを久しぶりに出雲崎方面へ。ただ、何となく風景に寂しさが混じり始めた。真夏の海辺に何が起きているのだろう?
午後は中鯖石 善根から石川峠を抜け、小国の八王子・横沢を通り相野原観音堂を写真に収め、山野田から大沢、高柳へ2時間ほどウロウロしてきた。大沢の「ブナ林」を見たかったが山の途中で息が切れ、入口で断念。歳のせいか ?
車で人の生活圏を走り抜けながら、改めて思うのは「熱狂の時代」を通り過ぎてきたこと。江戸時代の人口3000万人が
現在の12700万人を一つの頂点として、今は静けさが蘇りかけている時代に差し掛かっている。
自分の言語機能が、元々障害はあったにしても、衰え始め明確な言語として捉え、認識、表現できない悔しさの中でのたうち回っている。
とまれ、久方ぶりに「石川峠」で風を感じてきた。まだ鶯が鳴き、多くのオニヤンマが谷風に舞っていた。
それにしても、「郵政大臣 田中角栄」の開道の碑の何と誇らしげなことか !