ヤマトの国、麗し

2011年09月29日 風の戯言


 毎年、稲刈りの季節の半ばになると体調が崩れる。隣に農協の大きな乾燥施設が有るからなんだが、自分が建設業の現役時代、直接現場指揮したことから苦情も言えないでいる。防音、防振装置はつけて貰ったのだが・・・粉塵は避けられない。南無阿弥陀仏、だね。

 秋の天気が素晴らしく、お昼休みは善根の田圃の真中でチェアを出して日光浴。少し暑すぎたけれど・・・。

 夕方は結論の出た「ぶどう村」に、何時ものように散歩。建物の取り壊しが始まったようだ。乞われたままに社長になるべきだったのか、最後に財務の破壊が見つかった時点で柏崎市に継続の最終判断を求めたのが良かったのか。間違いはなかったと思うが、どこかで叫び声が聞こえる。

 黒姫と米山の間の山々が夕霞に沈み始め、2度と訪れることのない「今日」一日の幕が下りてゆく。
 寝静まった夜を、一人50−60年代の懐かしい曲を聴いていると神に感謝したくなる。楽ではなかったが、充実した日々を楽しませてもらったのだと思う。心の底から感謝する、そして、みんな、懐かしい。

老年人よ、大志をいだけ !

2011年09月27日 風の戯言


 老年よ、大志をいだけ! Old Boys, be ambitious !
 老年は自由である。風のように自由だ、と俺は思っている。
 子供達は自分の人生を歩き始め、妻には見放された。考えてみれば飯を作らせたり子を産ませたりと随分勝手な使い方をしてきた。だから「もう、嫌だ」と言うのも理解できる。  
 しかし、ここで怯んではならない。まして自己嫌悪に陥ったら敵の思う壺だ。そして、ここからが大事なのだが、健忘症とか、耳が遠いとか、自己責任に馴染まない神の領域が待っているのだ。此れを戦略的に駆使できれば再び自由を獲得する日は近い、のだ。

 老年は幸せである。少なくとも「幸せだ」と考えるべきだ、と俺は思う。
 一応老年の定義を「還暦」とすれば、そろって「戦前・戦中・闇市時代」の生まれということになる。子供の頃は貧しく、殆ど縄文時代のような毎日を送り、やがて輝くような高度成長期を経て、今また落日を迎えている。しかし、多難な時代だったとは言え、世界史的にも例のない「幸せな時代」をこの国で生きることが出来た。真面目に努力すれば必ず報われる、そんな時代が、そんな国が他の何所にあったのか。 前世代は赤紙一枚で努力も、才能も、未来も全てチャラにさせられ死地に送られた。そんな不条理から比べたらトンでもない幸せな世代なのだろうと思う。
 
 また若い人たちを羨ましいとは思わない。「暗闇」を知らない世代は明るく陰影がない分、人生のヒダ、味わいを知らないのではないかとさえ思うこともある。人生の尺度として比較しようもないが、「夢」を持てたし、プロジェクトXもあった。自らの力で手にした鳥肌の立つような感動を記憶の中にいくつか残している。

 今、未来が見えないから不安だと言う。
 しかし、老人は自由である。いや、自由になれる、と俺は思っている。
 リタイヤし初めて本当の人生があるのかもしれない。妻子を養い会社の発展を願い、時には媚を売り、時には人を裏切り、時には胃袋の裏返るような酒も飲んできた。誰にも本音が言えず、「もっと違う人生」を夢見て流れる雲を眺めていたこともあった。

 我々に残された時間はもう少なくなっている。どう考えても、残り僅か50年。そんなにないかも知れないが、元気でさえあればもう一勝負は出来る。車と同じで、人間も長持ちするようになった。人生50年が平均寿命80歳になった、とすれば6掛けの人生なのだ。70歳は気持ちも身体も昔で言えば42歳。まだまだ若い、のだ。でもあんまり調子に乗ってこんな話をしていると役人が飛んできて、年金の支給年齢を上げたり老人税を取ろうとしたりする。

 子供達にも注意しよう。「可愛いでしよう!」なんて催眠術懸けられて孫をあやしている場合じゃねぇぞ、って言いたいね。孫を預けて夜中まで遊んでやろうってんだから性質が悪い。皺を伸ばし、ダイエットし始めたら女房も完全に敵方に寝返ったと見て間違いない。
 「気を付けよう、暗い夜道と古女房」

 で、結論。老人よ、大志を抱け!
 ここまで言えばいくらお人好しでも次の行動は見えてきただろう。そう、財産持って逃げ出すことだ。少しの期間でもいい。精々1週間くらいでいいけど自分が何者でもない、知らない土地で自由に過してみるのもいい。痴呆症と間違えられ、強制送還が落ちかも知れないが、一度自由を味わった心と身体は一味違った精彩を放ち、違った人生を与えてくれるに違いない。残り僅かな時間しかないが、黙って風雪に晒してしまうこともないだろう。

 人生は不思議だ。願ったことは実現するし、時には天候すら味方をしてくれる。しかし、願わないことは何も実現しない。どんな時にでも前向きに生きる、ってことは素晴らしいことなのかも知れない。
 健忘症という、個人の責任に属さない神の領域を楽しもう!

 (何年か前の原稿を多少手を加えたものです。あしからず)

人生は全てが夢の中

2011年09月26日 風の戯言


 漢字変換がスムースに出来ない。苛立ちながら深夜のCDを聴いている。気が付けば、懐かしく心の深い所を抉るような曲が続く。昔の曲はどうしてこうも切なく心に響くのだろう。
 何日か前から、6人の姉・兄達と電話や顔を見て昔話をしている。みんな元気で嬉しい。
 自分の両手両足にある火傷の痕を誰も教えてくれなかったけれど、明子姉と電話していて初めて柏崎田町の家で薬缶をひっくり返して大火傷を負ったことを知った。母親が俺をおぶって近くの高桑医院に駆け込んだ、との話も初めて聞いた。嬉しかった。母親が急に身近になった。死に別れてもう65年になる。優しくなれる、とてもいい日だった。ありがとう。

45年振りの旧友や初期の頃の気球の仲間、高校の頃成績では絶対にかなわなかったクラスメートなど涙の出るような会話が弾む。
 暫く仕事に行き詰まっていたせいか、何かが見え始めた「今」が嬉しすぎるのか、今生の別れの様な気持で夢中で話している。俺の青春の勲章たち。みんな近いうち会いたいね、言ってくれる。嬉しいね。

 俺の中で、何かが急に変りだしている。突然、死が訪れるわけでもないだろうが懐かしすぎる。
 考えてみれば、ここ何年か雲の中を突き進んでいたようにしか見えない。青空は、また戦闘の舞台でもあるのだろうが…かかってこい !

風と、海と、雲と

2011年09月25日 風の戯言


 優しそうな雲が大空に漂い、秋が訪れている。
 
 午前中は小千谷の船岡公園と山本山で遊び、午後は海が見たくなって「聖ケ鼻」で風と海と雲に吸い込まれてきた。崖っぷちにチェアを持ち出し、太陽と風を満喫。笠島の褶曲の向こうに原発が霞んで見える。誰も来ない、自分だけの世界、穴場。こんな風景、他にはないのになぁ。

 最近、見様に何かが懐かしく感じれたり、いきなり心を鷲掴みにされることが多くなった。感受性が豊かになった、とはとても思えないのだが…自分の中で、自分では気づかない「何か」が変わり始めているのだろう。

 小千谷の山本山高原も久し振りだ。周囲360度空が広がり、展望台の上はバードウォッチャ達が話しこみ、指さす方を盛んに望遠鏡で覗きこんでいた。こんな豊かな趣味を持った人たちが居たんだなぁ、と妙に羨ましく思う。いつか、こんな時間を持ちたい。
 船岡山は西脇家の縁の深い公園で、西脇順三郎の碑もある。血迷っていた大学の頃、詩に誘われ、教授に相談したら図書館の人を紹介され、訪ねたら西脇順三郎とランボーを勉強するように強く言われた。ランボーは高校の頃、同宿の彫刻家からも話を聞いていたけれど、あの狂気の様な世界は全く俺を拒絶していた。西脇もそうだ。ただ、「木枯らしの夜」だったか、記憶は定かでないが言葉の中に寒々とした風景が広がってきたのを覚えている。人間の存在の描写なのだろう。

 太陽と風と、海と雲を眺めながら去りゆく時間の寂しさと充実感を味わってきた。こんな日もあるのだなぁと思う。

向日葵

2011年09月24日 風の戯言


 台風15号も去り、心配された大雨も柏崎では大事に至らず、やっと青空が戻ってきた。

 旧ぶどう村のコスモス畑に一輪の向日葵が咲いている。