9.11 7年目

2008年09月13日 風の戯言


 衝撃の9.11テロから7年が過ぎた。
 あの日、新潟工科大学の佐藤先生とクラブの若い女の子に囲まれてご機嫌にカラオケに興じていた。
 東京にいる倅から携帯が入り「酒飲んでる場合じゃねぇぞ!」と一喝された。急いで店のテレビを点け、唖然としてあの光景を見ていたことを鮮明に覚えている。
 ソ連との冷戦に勝利し、アメリカ一強が崩れていく瞬間だった。「世界が変るな」電話で話しながらも何がどう変るのか予測もつかない。あれ以来アメリカの凋落、中国の台頭、世界は流動化している。

 11日夕刻から第四銀行50周年記念講演会が開かれ、前ソニーの出井伸之氏の「2020年にほんのビジョン-多極化の時代に-」を聴講する機会に恵まれた。
 現代は15世紀の都市国家に似た状態なのではないか、と言う指摘は興味を刺激された。また幕末のペリー来航時、日本の人口は3000万人ほどであり、当時のアメリカ・メキシコ・カナダの総計より多かった、そうである。
 現代はまた、20世紀から21世紀への過渡期であり20世紀の名残と21世紀の萌芽が混在する「ひずみ」の大きな時代だとする。そして2020年になれば21世紀が始まっているのだろうと。

 経営計画は2020年を意識しなくてはならなくなった。
 その時日本はどうなっているのか? いや、どうしなくてはならないのか? 
 愉しくなってきた。

片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭

2008年09月10日 風の戯言


 久し振りに片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭に行って来た。今年は見事な秋晴れで、しかも適度な北東の風も入り煙が綺麗になくなったところに次々と大型の花火が揚り、ここ30年でも最高の花火ではなかったかと思う。
 特に今年還暦を迎えたとなかいの大花火は見事と言うしかない感動的な花火だった。小さな町の中学の同級会で1000万を越える花火を揚げたこともさることながら、人生60年の時をともに喜ぶことの出来る仲間を持った、その喜びの正に爆発だった。
 広い桟敷席から全員が立ち上がり「おめでとう」の言葉に合わせ惜しみない拍手を送っていた。花火のスタンディングオペレーション。何故かしら涙が頬を伝い、鳥肌の立つような感動の中で幸せな時間が過ぎて行った。
 よかったね。おめでとう。
 貴方達は幸せだと思う。伝統と自分達で創り上げた感動は60台を乗り切って行く大きな勇気と力になると思う。
 もう一度、おめでとう! そしてありがとう! 

鯨波

2008年09月08日 風の戯言


 天に星が瞬き雲間に月が流れ
 庭に虫の音が満ちる

 香を焚いて一人月に盃を重ね 
 過ぎ去りし悔いの日々を彷徨う

 何時の日かまた大空を翔けて
                           我が青春の血のリベンジを欲す 

片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭近し

2008年09月06日 風の戯言


 昨年大晦日、中越沖地震追悼と復興祈願の花火は暴風雨の為中止になり、一周年の7月16日、青年会議所のイベントとのコラボレーションで念願の花火が実現した。
 これは柏崎の熱意もさることながら、片貝煙火工業の本田社長の熱意によるところが大きい。
 先代社長本田善治さんとは当時の星野市長の意向で「小千谷雪原まつり」の企画・実行で大変お世話になった。以来30年余、重陽の節句は大抵片貝で大騒ぎしていた時代が続いていた。最近はサスガに疲れて片貝の花火には行けない年が多くなった。
 年末花火のこともあり、今年は「答礼」の意味も含めて久々に桟敷席を手配して貰った。柏崎から関係者10数人で見物させていただくことになった。
 昨日、番付と桟敷席の券を貰いに片貝に寄ったら、例年の花火奉納者の名前が大きく張り出されていた。お祭りはこれなんだよな、と思う。
 今年は良い花火が見れそうだ。

チビ

2008年09月03日 風の戯言


 取材に来ていた新聞記者に逆取材したら、福田康ちゃんの辞任の原因はアルツハイマーらしいとのこと。初期なら良い薬があるらしいけれど、一国の最高指揮官が痴呆じゃネェ。
 我々のレベルじゃ、名前が出てこない、何処であったか忘れた、何を話したか何にも覚えていない・・・なんてことは「通常」だが彼らはそうは行かないだろう。それにしても与党の中にギラギラした存在感ある人が少ないようだ。
 政治は文字通り命と正義を掛けた戦いの方が面白い。衆議院も定員100人くらいにすると良い人材が浮かび上がるのかもしれないね。いいけどさ。

 チビが家庭の中で存在感を増している。孫は可愛いと言うが、俺にはやはり子供達の方が何倍もかわいかったようだ。全ての仕草が可愛かったし、どんなことも許せた。やはり可愛さの度合いが違う。でも、小さな命が増えたことは、また何と楽しいことか!