ニッカの聖地 余市蒸留所

2007年05月06日 風の戯言


 小樽を出て、石狩湾に添って西に暫らく行くと余市に着く。ウィスキーの好きな人ならニッカの「余市」や「竹鶴」は外せないだろう。ニッカは、どこか職人の味が残り独特の文化を持っている。
 考えてみれば、人間が酒を飲むなんて行為は、最も無駄な、意味もないことなのだが、その無意味さを俺は文化だと思っている。
 ここは余市、ニッカの聖地なのだ。

 「竹鶴政孝が、海と山に囲まれた北海道の余市町に理想の ウイスキーづくりの自然を見いだし、1934年(昭和9年) に竣工したニッカ創業の蒸溜所。今でも創業時と変わらぬ 伝統的な「石炭直火焚き蒸溜法」でモルトウイスキーをつ くっています」と案内にある。

 工場見学の団体に紛れ込んで、途中の説明をパスしながら「試飲所」に駆け込んだ。25年の SINGLE CASK 原酒が俺を手招きしている。
 迷わず一杯をグビッとやる。うまいっ! 続けて15年物をグビッ! うまっ! もう一度25年をグビッ! うまぁっ!! 
 ウィスキーみたいな顔をした販売所のボスに、「ここでしか販売していない」25年と15年の原酒を注文し、ラベルを良く見ると54度と61度 えっ! 61度? アルコール分を確認したら、さっきの「うまっ!」がいきなり戻ってきた来た!!

 芝生で大の字で沈没・・・・意識が遠ざかってゆく・・・ ・・しあわせ!

 

今春看又過

2007年05月05日 風の戯言


 稲田に用水が引かれ田植えが始まった。
 毎年同じ時期に(だから暦が出来たのだろうけれど)繰り返される風景はいいものだ。2000年の連作を屁とも思わない稲と言う不思議な作物の持つ力によるものなのだろう。
 山々は新緑に匂い立ち、野山に満ちた水気が普段の風景を霞ませている。
 春の大型連休は人間も再生させる力があるようだ。

 久し振りに本を読んだりセミナー資料をに目を通し、充実した時間を過している。ただ、65歳にもなって未だ至らざる事の多さに愕然とする。しかし、それに気づき、熟慮し、計画を練り実行してゆくことが大切なことであり、悔いてもしょうがないのだろうと思うことにした。静かにファイトを燃やし続ける・・・年も忘れることにした。

 この連休の中で「ぶどう村」が幕を下ろした。
 いまさら自分に出来ることもなく、またその気になってもいかんのだろうと思う。物事には天の時というものがある。俺は自分の会社の経営と、自分自身の仕上げにもう少し一生懸命になる必要があるようだ。
 「俺は大器晩成」なんて嘯いていたら、もう晩鐘が鳴っていた。日暮れて道まだ通しの感は濃いが、鳴り終るまでまだ時間もあるようだし・・・。

 父の弟でアララギの歌人であった高野好吾の和歌一首
  
   断ち難き悩み抱きて
    深大寺の
     夕暮るる坂を一人上りく。

 ・・・・・
 こんな時は杜甫の有名な詩でも借りてくるしかないな

 江碧鳥逾白  江碧(こうみどり)にして鳥いよいよ白く
 山青花欲然  山青くして花然えんと欲す
 今春看又過  今春 又過ぐるを看る
 何日是歸年  何時の日か 是れ帰えれる年ぞ

5月まだ薫風ならず

2007年05月04日 風の戯言


 5月の、珠玉のような連休は、命を蘇生させてくれる。
 疲れ切った身体と心に、新緑と太陽が新しい命を吹き込んでくれる。小さな庭と、小さな畑、俺たち夫婦には十分な広さなのだが、落ち葉を掃いたり花を植えたりしていると幸せすぎる時間が流れていく。
 思い立って、近くのコンビニで弁当を買い、テーブルと椅子を車に積んで近くの山に行った。
 柏崎市野田から上越市柿崎に通じる小村峠の頂上に昼餉の場所を選んだ。眼下に野田の集落と田圃が広がり、別俣の盆地が細越城址に隠れ、久米のゴルフ場の向こうに八石の山波が連なる。息を呑む風景、とまでは行かないが、現在進行形の野田の歴史が時間の中に沈殿していく風景は美しい。
 暫らく、5月の風を頬に受けながらコンビに弁当を楽しんだ。「贅沢なことしているね」と通り掛りの人が声を掛けていった。こんな遊びを知っていてくれる人たちが居る。それだけで嬉しさが倍化したような連休の初日だった。

 明日は何処にしよう?

 

小樽運河

2007年05月02日 風の戯言


 連休の前半、早春の北海道を旅してきた。
 桜はまだ咲かず、山には雪が残り、道の脇の柔らかな蕗の薹の緑が美しかった。

 新千歳から小樽の着いたのはお昼過ぎ。早速タラバカニの炭火焼にかぶりつき、地ビールを聞こし召した。真昼間から酒を飲めるなんて最高の贅沢で、旅の楽しさはここに極まる。
 半ば千鳥足で小樽運河を見物、チェックインタイム前のホテルに我が身をねじ込み爆睡。あぁ、このしあわせ!

 小樽で一つだけ見ておきたい所があった。
 旧板谷宮吉邸である。宮吉は柏崎の出身で小樽財界の重鎮、板谷財閥の創始者。日露戦争旅順港封鎖作戦で板谷商船の米山丸、弥彦丸が自沈している。当時、日本中を湧かせた戦争活劇の主でもある。
 三代目板谷順助の名が戦後第一回参議院選挙北海道選挙区の首位当選者として、ある。戦前、貴族院議員に属していたらしいが詳しいことは分らない。義父の叔父に当る。
 旧板谷邸は現在海宝楼としてその面影を伝えている。多分素晴らしかったであろう庭園は砕石が敷き詰められ、心を痛める。祇園精舎の鐘の音・・・だ。

畑始めの儀

2007年05月01日 風の戯言


 人間は出自が動物であり、現在もその1種であることに、当然のこだが、変わりはない。
 動物である以上生命を繋ぐ為に食物を口にしなくてはならないし、その生命を燃焼しつくす為には、心身ともに健康でなければならない。
 口にする食物は自然界の恵みであり、その事を神に祈り、口に出来ることのありがたさを神に感謝しなくてはならない。人間は他の生命を「戴き」自らの生命を紡いでいる。「戴きます」「ご馳走様でした」「ありがとう」は日本人が自然と共に、感謝の意を込めて生きてきた証でもある。
 テレビで「グルメ」を主題にした番組が多すぎるが、時折食物を口に出来るありがたさと意味を教えてやって欲しい。

 まぁ、そんな気持ちを込めて柏崎市高柳町(ちょう)荻の島の環状集落真ん中の田圃を借りて「畑始めの儀」を執り行ってきた。有機肥料・減農薬を7年続けている田で味噌用の大豆を創りたい。神に献上する味噌と味噌漬けをここで作ってみたい。

 直会は「じょんのび村」で夜の更けるまで続いた。

 きっとみんなの気持ちを乗せたとても美味しい味噌が出来ると思う。飲みながら、収穫祭の秋祭りの準備が進められていた。

 全ては神と共にあった。そうなんだ!、と思う。