加納神社 遷宮祭

2008年11月03日 風の戯言


 俺の住む上加納地区には八所神社と白山神社の2柱がある。ここも例外ではなく少しづつ過疎化と高齢化が進んでいる。夫々に先人達の思いの籠った神社なのだろうが、もう3,40年も前から統合の話があった。それがスムースに運ばなかったのは古いものへの拘りがあったに違いない。
 2度の地震を期に「統合の話」が進み、今夜遷宮祭が行われる。新月の夜に灯りも会話も閉じられて、正装に白手袋、マスクの出で立ちで暗闇の中を集落中の善男善女がただ黙々と古式に則った所作を繰り広げるのは、可笑しいようで、実は静粛な気分になる。
 というのはかれこれ30年ほど前、八所神社の神域拡張と社殿の修理拡張の経験を覚えているから・・・。

 みんな現代的な生活に浸り、村の神社なんてあまり念頭にはないのだけれど、でもやはりいざとなるとみんな神妙な顔つきでリハーサルに余念がない。
 加納の集落の中ほどの、実り豊かな「紫雲谷」が鯖石谷に合流するのどかな風景の中に、新しい神社は早くも溶け込んでいるように見える。

 佐藤宮司の優しく諭すような手順の説明に集落の人たちが神妙に頷いている。こんな風景も良いもんだ。

カラマツの林からの誘い

2008年11月02日 風の戯言


 31日、無事に経営品質申請書を提出できた。面倒な社長と社員の間に立って取りまとめてくれた事務局に感謝!
 中越沖地震の後、あまり新潟にも行っていない。仕事の一区切りがついて、仲間と夜の古町を襲撃してきた。暫らく行ってなかった店に「養命酒」が残っていて、昨日は一日ダウン。「養命酒で二日酔いする馬鹿がいる」なんてネタにされていたらしいが、口惜しいけどホントになってしまった。まぁ、飲める健康が回復してきているということか。

 今日は早朝から良い天気。ベッドから青空を見ているうちにカラマツの林が見たくなった。もういい色になっているんだろうな・・・頭の焦点が合いだした頃合を見て、コミュニティの「秋の収穫祭?」を一回りして戸隠まで車を走らせた。
 
 からまつの林を出でて、
 からまつの林に入りぬ。
 からまつの林に入りて、
 また細く道はつづけり。
 
 カラマツに魅かれるのは間違いなく白秋の名残だろうが、奥行きの計り知れないようなカラマツの林に出会っていない。やはり浅間なのかな。

 カメラ片手にブラブラしていると川の水音に吸い寄せられた。目と肌だけで感じていた自然に「音を聴く」楽しみがあったのかと気がついた。風の音や虫の音(ね)も良いけど、せせらぎの水の音には何とも言えない安らぎを感じる。
 走りながら、時折車を止めてトランクから折りたたみ椅子を取り出して広げ、秋の雲と遠い山波を見ていると、風が軽い眠気を運んでくる。戦乱の中の一炊の夢、か。

中越地震 4周年

2008年10月24日 風の戯言


 昨日は中越地震4周年、6時少し前「丁度、この時間だったよね」などと当時を思い出しながら「じょんのび村」で話し込んでいた。「じよんのび村」は来年春までの工事に入り、閑散としていた。ここもあの地震で手酷くやらてしまったのだが・・・。試練は続く。
 前日の22日夜は「NPO 全国防災支援ネットワーク」の代表理事の羽鳥さんと初対面ながら午前様に近くなるまで飲んでいた。芭蕉が「奥の細道」行脚で柏崎を訪れた時、連絡の手違いで宿を断られた、と伝えられる「天屋旅館」、本当は本家の「天屋旅館」だったらしいのだが、子供の頃に海に連れてきて貰って遊んだ、と言う懐かしい思い出を手繰り寄せながら、中越沖地震でメチャクチャになった建物をボランティアで修復したという、女将の語る嬉しい話の主から尽きない物語を聞き続けた。余談だが「天屋旅館」は「江差追分」の市川与一郎の縁に繋がる。

 そして、今日は株価が8000円を割った。
 世界の主要国首脳が額を寄せて練った対策をあざ笑うが如く6000兆円とも7000兆円とも言われる世界のホームレスマネーが、暴れまわる癌細胞のように自らの生存環境である世界経済を叩き壊している。
 後の世界史で、この時代は何と語られるのだろう。

千羽鶴

2008年10月18日 風の戯言


 総務課の若いママさんの3歳の子供が難病を患い、入院してしまった。可愛そうに・・・・。
 何日か過ぎた日、優しい取締役が「千羽鶴を折ろう!」と声を掛け、社員だけでなく銀行マンの家族、話を聞いた知り合いの人たちからも千羽鶴が届いている。
 先日の中堅幹部セミナーの後、ホテルのロビーで懇親会が始まるまでの短い時間にみんなが夢中になって千羽鶴を折っている姿は何か一種怪しい雰囲気?
 でも、友達思いの温かい心に溢れていて、見ていて涙が出るほど嬉しかった。

 ありがとう。

 若いママさん、大変だろうけど、頑張れ!

蜘蛛の糸

2008年10月12日 風の戯言


 ひたすらにただ待つ日々か空の蜘蛛     草風

 畑の柿が色づき胡瓜は枯れ、ゴウヤの実も小さくなり、ミニトマトはひび割れ始めた。マリーゴールドはこんな季節にも花をいっぱい付け、バラも秋の陽を受けて支えきれないほどの真紅の花を咲かせている。
 前の公園の公孫樹の葉も黄色に染まり、静に秋が歩いてくる。ふと、蜘蛛の巣に目が行った。写真を見ながら、久し振りに芥川の「蜘蛛の糸」を思い出した。一番好きなのは「芋粥」。東京での夢破れ、途方もない挫折感の中で、俺をふるさとに引き戻したのは兄貴の一言と「芋粥」だった。柏崎に俺の生きる場所を示して貰った一瞬だったと思う。

 相変わらず休日は経営品質申請書の取り纏めに費やしている。遊び不足のストレスが脳の動きを鈍らせ、思うように言葉が出てこない。これじゃホントの痴呆症になってしまう。
 提出までもう3週間。卒業論文? いや新たな出発点とすべく納得行くまでプランを練り、社内で幾つかの会議を重ね、みんなの思いを積み重ねて行きたい。新たな戦略ではなく、今までやってきたことの意味を振り返り、再認識するだけで創風はトンでもなく強くなるはずだ。

 全く無関係で脈絡もない話だが、最近の北朝鮮の金正日親分の写真を見ていて隆慶一郎の『影武者徳川家康』を思い出した。関が原で家康は死に、本多忠勝が影武者の二郎三郎を身代わりにすることを秀忠、本多正信、井伊直政、榊原康政に伝え、徳川幕府を永らえさせた。歴史小説とは言え歴史の隙間を摘み合わせてな並び替えれば、全く新しい東海一ま弓取り像が復活する。信じたくなるほどの歴史の虚構の舞台解釈に酔ってしまった。
 本物のことはと思えないほど紀州家、尾張家、水戸家等の跡継ぎ達はみな不思議と若かった。或いはホントの話だ、かも?
 こんな話で一杯飲みたいネェ・・・。