平成22年 初詣

2010年01月01日 風の戯言


 紅白が終わって、例年通り2年参りに出かけた。集落の上加納神社と清瀧寺と周光院。清瀧寺は4代目までの祖先の菩提寺、以降15代までは安住寺、自分は15代の3男坊だからと近所の周光院を自分の寺に決めている。

 墓に閉じ込められて自由を亡くすのは我慢できないので、それは作る気がしない。ただ、自分の命が尽きた時、家族だけで密葬し、後は都合のよい金曜日の夕方5時から8時くらいまでベルナールを会場にして自由な時間に来て貰って「さよならパーティ」をやれば、皆が楽しんでくれるものと思っている。楽しそうにカラオケまでやられると、生き返ってしまいそうだが・・・。

 現代の葬式が型に嵌りすぎ、面白さがないのが不満なのだが・・・皆が集まってくれて、ワインでも飲みながら俺の悪口を言い合っている・・・なんてのが理想なんだ。

 新年早々変な話だけれど、死は誰にも訪れるものなので、それほど忌み嫌うほどのものではないだろう、と思っている。「お疲れ様」って、そんなもんなんだろう。

 何はともあれ、新しい年が始った。
 楽しく生きる、大切なのはそれだけなのだろう、と思って今年も完全燃焼したい。68歳になろうとしているのに何を血迷っているかと叱られそうだが・・・南無阿弥陀仏。

荒海を見に行く

2009年12月31日 風の戯言


 窓の外は雪が降り続いて、雪景色が綺麗だ。
 頭がボワーとしてビクリとも動かなくなったまま窓の外を見ながら、今日1年の終わりを迎えている。これもまた至福の時か。
 
 昼を過ぎて、家の掃除の邪魔にされ、カメラ担いで夢遊病者のように車を走らせている内に、急に海が見たくなった。
 中央海岸には誰も居なかった。
 立っていられないほどの雪交じりの強風、吹雪の中で荒海を見続けていると、不思議な力が湧いてくる。
 束の間の大自然。
 たまに荒海を見に行くのも良いもんだ。
 

朝霧の中で

2009年12月26日 風の戯言


 諸々有って、4月に就任して貰った社長の辞任届けを受理し、また元の体制で再スタートをすることになった。来年は新・5ケ年計画の2年目。激動期の経営計画を議論している最中ではあるけれど、前に進むことしかない自分達にとって決意を新たにするいい機会にしたいと思っている。

 24日、クリスマス・イヴに東京に営業に出かけ夜は柏崎に戻ってイッパイ。25日は悪友達とイタリアン・レストランで賑やかにイッパイ。キリスト生誕を祝う恋人達の雰囲気をぶち壊してしまったようで、何とも楽しい会ではあった。いい加減にしろ ! と言われてしまいそうだが・・・。

 写真は25日、雪景色を包んでの朝霧・・・靄(もや)と言うのかな・・・デジカメでは表現できない光景だった。
 片田舎に住んでいると、時々神と隣り合わせに生きているような風景に溶け込んでしまうことがある。

冬の晴れ間に

2009年12月22日 風の戯言


 もう直ぐ「平成21年」、西暦「2009年」が終わる。
 日々戦いに明け暮れ、時間に終われ、この年に何を為したのか・・・記憶に残るものはない。もう少し意味のある生き方もあるのだろうけれど、まぁ、こんなもんだ。

 今夜は建設業の時代とパソコン村時代の「仲間」というか、昔にお世話になった何人かの仲間と楽しい酒を飲んだ。本音でぶつかりあった関係と言うのは、心が通じ合っていて、涙が出るほど嬉しい。
 「またやろうよ! 」別れ際の挨拶に男同士の付き合いは良いものだな、とつくづく思う。

 年末までもう少し、頑張ろう !

ぼんやりした不安

2009年12月20日 風の戯言


 納得できない降雪に戸惑っている。
 「挨拶」程度の雪だとタカを括っていたら一丁前の雪になった。でも、今日は青空が見えたりして、やはり不思議な気候だ。

 芥川が「ぼんやりした不安」と自殺した昭和2年は1927年。大恐慌はその2年後に爆発する。サブプライム問題の分析も対策もないままに、ジョーズ・ソロスの警告を嘲笑うように商業用不動産バブルが弾けようとしている。穴吹工務店の倒産劇の裏側には複雑な人間模様がありそうだけれど、これも単なる「1件」に過ぎなくなりそうだ。
 経済は「新しい経済学」が出現しないと救いようのない時代に突入しているのかも知れない。ケインズ以来、それは見えていないのだろう。となれば、自分の身は自分で守る知恵と力を備えておかなければならない。
 「ぼんやりした不安」が情報化により未来が見えるような不安に変っている。未来に挑むバカさ加減が今ほど必要な時期はないのかもしれないが・・・勇気と知恵。