柏崎市安田 明神の秋

2011年11月10日 風の戯言


 毎年、この風景が頭から離れない。
 本当は午前中、イチョウの落ち葉と古い民家の佇まいが何とも言えないのだけれど・・・景色を遮る電柱などがぶち壊してしまう。
 現代に、後世に残せる「美」があるのだろうか?

京都、秋の旅

2011年11月05日 風の戯言


 毎年、秋になるとバカの一つ覚えのように京都・奈良を旅している。駅弁を食らい眠るだけの、5時間ほどの電車の旅が楽しく、気の向くままにお寺や神社を訪ねている。
 今年は清水寺と嵯峨嵐山。帰りはお天気に誘われて二条城近辺を歩いてきた。何も考えずに、景色に見とれてフラフラと歩く自由を久し振りに味わった。いいもんだ。

知られざる花

2011年10月30日 風の戯言


 何時もの散歩コースを少し変えてみたら、この秋空に名前の知らない花が咲いていた。元々、いちいち花の名前を知っているほどヤワではないけれど・・・。

 昨日の星空は、本当に星が降ってくるような、凄い空だった。周りに明かりもない真っ暗なところで見たかったのだけれど。娘の娘を抱いて庭で星を眺めていると「あっ、飛行機!」と叫ぶ方向を見れば翼の明かりが、微かな音を引いてくる。
 そういえば最近旅行をしてない。
 気ままな一人旅がしてみたくなった。

 ISO27001、ISO9001の継続審査が28日に無事終了したが、表に出ない改善指摘事項がいくつかある。形に囚われていたところもあり、今後は実質を伴ったキチンとしたものにしていきたい。若い社員がやる気満々になっている。彼らに任せて行くことが組織の成長にどれだけプラスになることか、考えるとわくわくしてくる。社内全体に取り組みを広げて行きたい。会社の未来の為に。

ムーン・リバー

2011年10月29日 風の戯言


 「音楽」が好きだと言えるほど詳しくもないのだけれど、最近CDを聴いていて何かとてつもなく懐かしい感情に浸っている自分を感じる。
 今日も朝から雲一つない青空で、疲れきって動く気力はないだろうとタカを括っていたのだが、車が走り出してみると秋の景色に血迷い、当て所もなく走り続けてしまった。
 小村峠を越えて上越の山道を迷い秋の一日を楽しんできた。カーステレオから流れるアメリカの曲だけでなく、風景や風に何故こんな懐かしさを感じるのか、不思議なドライブだった。
 酒とバラの日々、夢見る人、懐かしきケンタッキーの我が家、想い出のサンフランシスコ、ラブ・ミー・テンダー、ムーン・リバー、ある愛の詩・・・人生のある季節、身近で奏でられ続けていた曲。
 ただ、電子化で音楽の経済的価値はゼロに近づき、急激な質の低下を招いている、という。儲かっているのはアップルだけだという指摘も複雑な思いにさせられる。
 人の心を満たすものは、長く深い苦悶の末に生まれ出でた宝石の様なモノなんだろうと思う。

 シンガポールから戻った友人が奈良で英国式フルーツケーキの店を始めた。「ラム酒に1ヶ月以上漬けたドライフルーツを使っていますので、焼き上がってから冷蔵庫で1ヶ月寝かせて頂くとBESTです。」とのこと。待ちきれない。
 昨日は札幌の八戸さんが会社に寄ってくれた。丁度社内でのパーティが始まる時間だったので、終わってから市内で合流し懐かしい話を楽しんだ。
 自分の時間でないような、心温まる時間が過ぎて行く。

落ち葉

2011年10月23日 風の戯言


 鯖石ロードレースが繰り広げられているコミュニティの公園で、銀杏の実が落ち始めている。

 書店で蓮池透さんの「私が愛した東京電力」を買い求め、帯を眺めている。
 FUKUSHIMAの後、原発の安全神話は崩れ去り、原発停止、エネルギー問題、人間の生への根本的な疑問など、多分歴史的な転換期を迎えているのだろう。経済成長を急ぐあまり核廃棄物の最終処理の問題、膨大な国の借金を子供たちに残し、みらへの夢をぶち壊してしまっている。
 自分達の世代が一番幸せな時代を生きたと思っていたが、それは未来の子供たちの夢を潰すことにより購ってきていたものだったのだ。

 未来に夢がなければならない。何かあるはずだ。