お盆が過ぎていく・・・。

2011年08月15日 風の戯言


 子供たちと孫がお盆休みを過ごし、今夜は皆帰ってしまって、賑やかだった家に静けさが戻ってきた。
 自分の高齢化が進んでいるのか、寂しさが今までにない深さで身体に浸み込んでくる。
 もうすぐ3歳になる外孫が甘えている仕草は、何とも温かいものを運んできてくれる。家族だなぁと思う。

 69年も生きていると、お世話になった多くの人たちに申し訳ないことをしてしまった謝りと、御礼の言葉を同時に発行しなくてはならない。

 今日はまた、66年目の終戦記念日でもある。
 3歳を過ぎたころで、戦争に負けたということは理解できなくとも、敵が戦車で攻めてきて手当たり次第に皆殺しにするんだ、そんなことを大人たちがヒソヒソと話していたことを今も覚えている。戦車が来たら裏山の横穴に隠れて、穴の前に木を並べて穴を隠すんだとか、それこそ真剣に話していたように思う。

 歳を取ると、花の美しさに見とれ、窓の外に来る鳥たちともカタコトの言葉が通じあい、労り合う自然とのコミュニケーションに上昇していく。

 「Beautiful dream 」Vol.4 GreatBritain が素晴らしく、このCDを聴きながら酒を飲んでいると、最高の幸福が訪れてくる。このCDの最後の曲は「蛍の光」で、それがまた何とも好きなのだが、ラス前の曲が「僕のうちは.君の歌」(ザンフィル)でまベラボーにいいのだ。
 そして静かに、最後の「蛍の光」が始まる。

 酔っ払いの音楽の旅は、妄想の世界で過ぎていく・・・気の向くままに・・・嬉しいのだ。

 ありがとう。

百日紅

2011年08月14日 風の戯言


 休日なので寄り道しながら帰路についた。
 鵜川から芋川を抜けてぶどう村に抜けようとした時、お盆だけれど、人の気配の消えた古屋があり、よく見れば廃屋なのだろう、窓は落ち壁が下がっていた。
 その庭に百日紅が満開の花を咲かせていた。不思議なバランスが何かを訴えているようで、やがて消えさる者のうめき声のようなものかもしれない。多くなった。

 

実りの秋(とき)を待つ

2011年08月13日 風の戯言


 お盆休みに入った。

 今年は3日の休みしか取れないが、それでもゆったりとした気持ちで過ごせるのはやはり長い地域の習慣によるものなのだろう。
 昨日は会社の納涼会で、歳を忘れて「イッキ!」を繰り返していたらさすがにダウン。珍しく、昨夜は帰宅後台所の床に転がって寝たらしい。何の証拠もないのだが…。

 墓参りも済ませ、静かな「時」を楽しんでいる。

トイレの神様

2011年08月08日 風の戯言


 かつて石塚家には厠を祀る習いがあった。
 藤原-佐野-石塚の流れをくみ、滝川一益に攻められ館林錠が落城した時に、敵に追われて越後まで落ちのび百姓家の便壺に身を沈めて難を逃れた、という臭い伝説がある。
 もう逃げられない、という意味でその土地の名を「行きかねた-行兼」に改めたとか、臭く怪しげな言い伝えではある。
 
 古い記憶を掘り起こすと、格式ある寺の様ながっしりしたつくりの正面玄関の左側に「上の便所」があった。来客用のトイレだったのだろう。

 トイレに今朝、神様が降りてきた。

 早くウンコして会社に行きな ! そんなところか?

夏坊主

2011年08月07日 風の戯言


 子供の頃は簡単に海に行けなかった。
 自転車は無いし、バスは人の乗り物であり、海がどこにあるか知らなかった。山の上に上がれば箱庭のような街が見え、その先に青い海があった。
 だから夏休みの臨海学校は、場所は番神海岸で、花火は岬館の坂で見た。興奮し自己制御できなくなった自分は全く別人になってしまっていた。そんなことが多々あった。
 中学校に入ったら、多少知恵も発達してき、バンガロー村に城を据え水族館や量たちをあおって何かやろうとしていた。人間思ったことを突き進めば必ず道は開かれる。今も小名譲菜幼児性の中にいる。遠い、遠い、涙が滲んで見えなくなるように遠い 去りし青春時代

 八国峠からは柏崎の町並みと海が見える。
 大きな夕陽が米山の脇に沈んでゆく。
 空一面の夕焼けと明日の幸運を約束している。