五穀豊穣祈願

2008年06月16日 風の戯言


 今日はエンマ市の最終日。銀行の支店長を訪ねながら人で賑わう西本町の一角を散策してきた。軒を並べた香具師の露天商は思い思いのものを商っている。行列の出来る店から閑古鳥の鳴いている店まで、この世界も様々だ。
 この三日間はお天気に恵まれ、通りには若いママさんたちの姿が目だった。

 夕刻、越後みそ西の豆作りをお願いしている高柳町荻の島の中西さんを訪ねた。環状集落の中央の田圃一枚をお借りし味噌豆を作っている。今年は2年目。昨年は出来た豆を選りすぐり、新嘗祭に奉納するような気持ちで一合の豆を村の松尾神社に収めた。五穀豊穣 感謝。
 今年の畑の出来はよいので豊かな実りを結んでくれればと祈っている。中西家に立ち寄りお茶を頂いてきた。この集落の家々に心豊かな生活が残っている。

 話は全米オープンゴルフに飛ぶ。
 土日と岩手・宮城内陸地震のニュースに釘付けになり、もう一つはタイガー・ウッズに目も離せない。実を言えばゴルフをこんなに感動しながら見たことは無い。13Hのイーグル、17Hのチップインバーデー、18Hのイーグル。もうどんな演出でもこんな鳥肌の立つような感動は再現できないだろう。
 4日目は最終18HでバーディをとりONEアンダーで並んだ。
明日が楽しみだ。人を感動の坩堝に投げ込んでくれる男 タイガーの魅力を堪能した。

バラが咲いた

2008年06月08日 風の戯言


 酒を一滴も飲まない日々が続いている。まだ1週間ほどでしかないが、中学2年の時から晩酌を覚え、孝行の下宿ではウィスキーを机に忍ばせ、浪人・大学時代は切れることが無かった。まして建設業時代、まして熱気球の時代は文字通り一升瓶が転がっていた。政治に興味を持ち徒党を組んでいた時でもあり、脳はブヨブヨだった。
 この仕事を始めてからも酒とは縁が切れない、どころか磨きが掛かってしまい、午前様になることが通常な状態、だったかも知れない。中谷が元気だった頃は週4日は一緒に飲んでいた。自慢になる話ではないが、自分の中で何かを確かめていたのだろう。
 最近ようやくブレーキがかかり、ついにエンストを起こした。身体の要求なのだろう、呑む気にもならない。
 するとどうだ! 身体も頭もブヨブヨ感がなくなり、切れ味がいいのだ。再開したゴルフは250ヤードは飛ばす。休日は朝から暗くなるまで外に出ていて愉しい。もう少しでジョギングも始められるのかもしれない。
 いわゆる勝利というものを定義するなら、失ったものより得たものが多いことである。とすれば俺は勝利者? まだその評価を下すのは早すぎるが、健康であると言うことは何と愉しいことか!

地球外生命体

2008年06月05日 風の戯言


 地球の歴史の、気の遠くなるような時間から比べれば人間一生なんて化学変化にも似た一瞬に過ぎない。ではあるけれど、生身の人間の感覚的な時間としては結構長いものとして感じる。特に人生50年が弾性限界を超えて80年とか90年に延びている。峠の向こうの長い坂をトコトコと下りてゆくのは、自分としてはキツイ感じがする。
 老後なんていう仮説の未来を前提とすると.生きる力は半減するように思える。明日何があってもいい、今日を力の限りを尽くせばいい、のだ。
 何でこんなことを言うかというと、少しの酒が翌日に応えるようになった。明日、精一杯に生きようと思うと今日の享楽を抑える・・・要は酒を控えることなのだが・・・詰らぬ人生になってきた。

歴史の転換点

2008年06月03日 風の戯言


 1995年に新しい時代が始まったといわれる。18世紀中葉からの産業革命が終焉しグローバリゼーションとITにより世界は大きく変わった。
 そして今年、また何かが大きく変わる予感がしていた。それが何なのか見当もつかないでいたが原油価格の狂騰、食糧不足、イランのベトナム化、サブプライムローン問題による金融危機、地球温暖化の顕在化などからあるものが見えてきた。
 古い本に「中国の近代化は悪夢」との欧州の経済学者の言葉があった。環境問題程度に考えていたが急激な経済復興により食料初めあらゆるものが消費され、需給のバランスが崩れ無秩序なインフレが始まった、というのが正しいのかもしれない。
 現在をどう見るか、それはどう生きるかに通じる。読み解く鍵が必要だ。

6月の風

2008年06月01日 風の戯言


 気力と体力の整合が取れず自家撞着を起こしている。あまり素敵な状態とはいえない。時折、「明日があると思うな!」なんて叫びながら飲んでしまうので、やはりそれが一番いけないのだろう。身体は内臓から年齢を刻んでゆく、多分そうなのだろう。66年間何のトラブルも無く動き続けるなんて、コンピューターやネットワークに関っている者にとって信じられない世界なんだ。凄いもんだね。もう少し丁重に扱わねば・・・。
 先日、中越沖地震1周年の記念イベントの会議があり、その企画に違和感を感じ、年甲斐も無く暴れてしまった。大人気ない振る舞いだが、同席していた知人達から「よく言ってくれた」と慰められた。何かチグハグなんだなぁ。
 被災者として、追悼の意を表し自らを励ますことは勿論だが、今は中国四川省やミャンマー等に同じ被災者としての眼差しが必要なように思う。被災者であるからこそ励ます力があるのだろう。
 それにしても中国四川省の被害の大きさには驚く、というより想像を絶した状況なのだろうと思う。死傷者、被災者の数が桁違いだ。地震ダムの決壊による2次災害の起きないよう祈るしかない。
 この超大規模地震により、中国が大変なことになりそうだ。食料、住宅等の不足から不満が広がり「盲流」となって移動を始めたら政府はどう動くのだろうか。大陸の歴史はそんな妄想を掻き起す。