夏雲群れる

2011年08月06日 風の戯言


 妙高に勃起したるか夏の雲      草風

 大雨と洪水が去って、夏の空が戻ってきた。さは言えど8日はもう立秋。山に日暮セミが林の中で輪唱し、庭で羽化したアブラセミ達が賑やかだ。ただ、今年の蝉はすぐ逃げる。羽化数の減少から種族の繁栄を盛り返すために、一匹の蝉に至るまで、生存本能を鼓舞しているのかも知れない。

 世界経済が崩壊寸前の様なニュースが流れている。小松左京の「日本沈没」に取り込まれ、以来そんな本を漁り続けていたが、最近は開き直った。
 災害列島、それが俺たち先祖伝来の島なんだ。そして日本人の素晴らしさは、しっちゃかめっちゃかにやられて、もう声も出なくなった人たちが、4年もすると元気いっぱいに祭りを引っ張っていたりする。
 心の傷に手を合わせ、悲しい思い出を一日だけ仏壇に仕舞い込み、今日生きてる喜びを全開させている。それが、日本民族の持つ悲しいネアカ人生なのだ。

 夏雲の中に、雷光がはじけ、雷音が調子をあげ、ドンガラガンと腹に響いて、強い夕立を待っている。夏の爆発だ。

孤独な夜更け

2011年08月03日 風の戯言


 寝静まった真夜中に、一人CDを聴いている。
 魂が吸い寄せられるようで、特にこの「Grealt Britsin」のグリーン・スリーヴスもロンドンデリーの歌も、オンブラ・マイ・フも、スマイルもいい。いつの間にかこのCD一枚で、俺は黄泉の国とこの国を行きつ戻りつ彷徨っている。「ライム・ライト」が始まるとすべてが停止状態になり、深いため息をひとつだけついて、後は黙り込む、それしか出来ない。

 飲み物は「百年の孤独」が昨日終わった。今日からは八海山の「宣有千萬」、オンザロックで飲むべき酒ではない。地の温もりを素のまま頂く、それが一番いいようだ。

ライムライト

2011年08月01日 風の戯言


 夢中になって「ライムライト」を繰り返し繰り返し聴いていたら村上龍の「オールド・テロリスト」(文春連載)の主人公と思しき「関口」が好きな曲をイヤーホーン大音量で聴き続ける「アブナイ」場面に出会った。少し危険だ。
 しかし、古い曲はなぜにこのように歳老いた男の心を震わせるのか? 世界は違うけれど、いくらかは同じ時代を生きた震動みたいなものが共鳴するのかも知れない。ライムライトには絶望の淵で、微かにともる未来の灯が見えたような、そんな希望の欠片が感じられる。

 時代はいろいろな局面を曲がり、2度と同じ時代には戻らない。次々と進化し、変化し、人々が大切にしていたものを奪い去ってゆく。

 この本の中で村上龍が現代を称し「不況ではなく淘汰の時代だ」と言ったのは真実だと思う。不況は何時か好転する時もある。しかし、経済社会で自然淘汰されたものは生き残る術はない。死に物狂いで生き延びたものだけが、次のゲームに挑戦できるのだろう。

 事業としては感度の鈍い奴も目を覚まさせなければならないのだが、ネンネコで育てられた子に「自主性・創造性」なんて言っても解らないようだ。セルフ・マネジメントが正しいのだろうが、時間が足りない!
 暴走したいが「アラ古稀」の体は前を向けて歩かせるのに骨が折れる。

写真はぶどう村の合歓(ねむ)の木。
 まだ、こんな花をつけていた。この花に、こんな名を付けた人に会ってみたくなった。

穏やかならざる夏

2011年07月31日 風の戯言


 古い記憶で、夏山登山は7月20日から8月10日の間が一番天候が安定する「期間」と教わったようだが、地球が鬱病に罹ったようで天気の変化が激しすぎる。
 夕方散歩に出ようとしたら土砂降りになり、タイミングを外せばビショビショになっていた。これも天の助けか !
 それにしても、北アルプスの縦走で膝を挫いても1隊を率いていた石塚は何処に行ってしまったのだろう? 少し歩いてゼイゼイと息が定まらない。頭の回線速度が落ち、一昔前のアナログ回線のようで記憶の像が固まらず、曲の題名が思い浮かばず、何時間も後に「あぁ、チャップリンのライム・ライト」だとやっと判ったりする。遅いのは生まれつきだが、ここまで遅くなると自閉症になりかける。まぁ、いいか !

助かった!

2011年07月30日 風の戯言


 全国各地で災害が続いている中、不思議と柏崎だけが助かっているように思えてならない。今回も県内の大雨で三条や加茂で大洪水が発生しているのに、気象データを見る限り柏崎地域だけの降雨量が少ない。ありがたい。
 十日町方面では1000ミリに近い降雨データもあった。

 ただ、NHKテレビに鯖石川「柏崎市 加納地内」で洪水警報のテロップが流れたために、いろいろな方からお見舞いの電話をいただいた。今日は朝5時から川の見回りに行って来たら、水量は多く、一部田圃は水没していた。
 午後からは薄日も差し、夕方の海岸では若い人たちが砂浜で遊ぶ姿も見られた。
 多くの人たちが水害に見舞われた中、柏崎だけが幸運の女神が微笑んでいたように思えた。