ブナ林 放浪の旅

2011年06月11日 風の戯言


 国道353を折居から阿相島を抜けて桜坂峠から尾神岳-吉川町に至る山道を始めて走ってみた。約一時間、一台の車にも遇わなかった。結構刺激的なルートであり、途中のブナ林が魅力的だった。
 尾神岳は一時カイトのメッカであり、多くの若者たちが集まったという。俺は熱気球だから意地でも行かなかったが…山の中にポツンと1軒だけラーメン屋があり、バアちゃんが車のほうを見ていたが、腹も減っていたが、寄って食べてゆく勇気はなかった。

 土曜日、ちょっと会社を覗きプチ放浪の旅に出るのが楽しみになっている。今日のルートには、崩れ落ちた家や人の気配の消えた殆ど無人化した集落があり、その佇まいが妙に懐かしく、込み上げてくるものもあり車を止められずに走り続けた。
 都会の過密化と、地方の過疎。
 簡単な問題ではないが、現代の価値観?を見直さないとただ時間の中を走らされているだけの人生になりそうな気がする。
 経済人として、働く幸せを求め続けていきたい。カッコつけて、俺らしくない優等生的な答えだが、それをどう実現させていくか。競争と共存、バランスだけの問題ではなさそうだ。

魂の夜間飛行

2011年06月09日 風の戯言


 最近やっと本が読めるようになった。
 少し筒健康を取り戻しているのかも知れない。よく考えてみると、別段どこかが特別に悪いというわけではないのだが…要はエネルギーに欠ける、ということか。
 午後から久しぶりに市役所に出かけ、多くの友人、みんな幹部になっているのだが、達と楽しいお喋りができた。アラコキのおっさんに「お喋り」もないもんだが、建設業時代から、また今の会社を通じての交わりに本音の議論と楽しい会話を許された立場から、彼らには本当に感謝する。

 深夜になって、一日を振り返りながらブルーレイを楽しんでいる。何とも心休まる時間だ。マントヴァーニの「アルフィ」、ザンフィルの「ライムライト」をロンドンの映像を見ながら聴いていると魂が抜け出ていくような静かな感動を感じる。放浪の旅へ…誘惑が広がってくる。
 それにしても、ヨーロッパの古い街並み保存にかける情熱に、人間の幸福に対する価値観の歴史的な蓄積に本当に感動する。

 ランちゃんが居なくなって、不安定な寂しさに襲われる。
 母を亡くした幼いころ、姉が実家に帰ってくると、俺は犬の箱の中で一緒に寝ていたらしい。姉はいつもその話をしながら涙を拭いている。遠い、遠い、づっと遠い昔の話だ。

ランちゃん、逝く

2011年06月08日 風の戯言


 家族の中心だったランちゃんが逝った。
 2週間以上から水だけで生きてきて、昨日の夜には動けなくなっていた。
 前に飼っていたコロが死んで、思春期の娘の話し相手になってくれてから15年。家族の中心であり、家を守りぬいてきてくれた。ありがとう。
 いつでも家族の声が聞こえるようにと、コロの隣に埋めてやった。

日本の行方・・・

2011年06月05日 風の戯言


 昨日の酒が少し時間をおいて効いてきた。
 歳と共に反応するのにタイムラグが発生しているようだ。
 早朝6時ころはすこぶる健康的で、一人「ぶどう村」を散歩し初夏の朝の空気を満喫してきたのだが…後はダメ !

 政治の方向性が揺らいでいる。
 大連立、というが「大政翼賛会」の動きに似て、ある意味末期的症状。政治が国民の求める方向から離れ、というか「求めていること」が解らなくなり現状に対する否定だけが声高に叫ばれるようになって、目指すべき未来に対する言及がなくなっている。リーダー不在、というより我ら国民が幸せな姿を見失っているのだろう。南無阿弥陀仏…だなぁ。
 働く幸せ、大山さんのその言葉をもう一度考えてみなければならないのだろう。

 じょんのび村への途中、田圃の畔に咲いている綺麗な花を見つけた。

風の誘い

2011年06月04日 風の戯言


 6月の緑の風の吹かれて、まだ雪を残した魚沼の山々が泳いでいる。
 戻っていた季節に誘われて、一人湯沢まで車を走らせた。
 山の緑は、今が一番美しいのかもしれない。